先日のキスの一件以来、ティーポのおれに対する接触がやや過剰になってきたような気がする。例えばつい3日前に村の民家からちょいと野菜を2,3個拝借しようといわゆるドロボー稼業に努めていた時のこと。無事に一仕事終えて森の奥に帰る途中突然背後からドンッと何者かがぶつかってきて。いつもなら猪や野犬の類かと思うところだが、腰にしっかりと人の腕が巻きつけられているとそんな誤解をするはずもなく。


「……ティーポか?」

「にいちゃん!おかえり!成功した?」

「ああ……ばっちり、な。」

「さっすがにいちゃんだぜ!村の奴らなんかじゃかないっこないね!」

「まぁ、こうもあっさり上手くいくとおれの腕前より村の連中の警戒心の無さが……ってとこがあるよ。」

「ふーん……まぬけな奴らってことだね!」

「……やれやれ、ゆかいだねぇ。」


ティーポはおれの身体に巻きつけていた腕を離し、辺りをキョロキョロ見回して人がいないことを確認すると、おれの左手に自分の右手を絡ませてぎゅっと握ってきた。


「お、おいティーポ……」

「いいじゃん、誰もいないんだしさ。にいちゃん、すき、だよ。」

「…………おう。」


といった具合で、弟から寄せられる好意を無碍にできず、ひとまず肯定の返事をすることしかできない自分がなんとも情けない。


ちなみに今、その弟は兄貴として、弟であるリュウに干し肉の作り方を教えてやっている最中で。そういえばここ数日は三人で行動することも少なくなってきたような気がする、というのもティーポが率先してリュウに生きる術やら盗みの極意やらを伝授しようとしているからなのだけれども。やはり兄貴として弟が可愛くて仕方ないのだろう、その気持ちはおれもよくわかる。


考えるべきことは山ほどあるはずだ。それなのにおれの頭は真っ白……いや、清淑なる紫で塗りつぶされてしまっている。そう、全てはあの日のキス、そして、彼のあの目、あの表情、そこからおれの世界の色は変わり始めてしまったのだ。認めなければならない。ここ数日、いついかなる時も、清淑なる紫が必ず視界の端に入るよう意識付けをしてしまっていることを。視界の中央ではなく、端に。彼はいつも、いつでもおれを真っ直ぐに見つめてくる。時には目を輝かせながら、あるいは、熱のこもった眼差しで、はたまた、瞳を揺らしながら……そして、知ってしまったのだ。彼のもう一つの顔を。『弟』とはまた別の……『男』の顔……


「……ゃん、にいちゃん!!」


ああ、ついに幻聴まで…………





「にいちゃん!!聞いてる!?」

「……おわっ!?うおっ!!」

「うわっ!!レイ!?大丈夫!?」

「あははは!何してんの!?にいちゃんでもそんなドジするんだね!」

「う、うるせぇぞ!」


ティーポとリュウの干し肉作りの様子を少し離れたところにある切り株に腰掛けて眺めていたのだが、物思いに耽っていて作業が終わった二人の声掛けにも気付けなかったようで。名前を呼ばれてハッとした瞬間、視界は清淑なる紫を捉えていて。驚きのあまり、切り株から滑り落ちて地面に尻をぶつけてしまった。驚くリュウに反してティーポは歯を見せながらニシシと笑っていた。以前から知っている、おれの弟の可愛らしい笑顔。あの日見た、口元を三日月形に歪ませていた妖しい笑みは幻だったとさえ思う程、あどけない可愛い顔立ちの笑顔で。





その後、作った干し肉を家に持ち帰り、三人で川に入って水浴びをした。最初はカナヅチだったリュウもかなり泳げるようになってきたようで、今ではティーポと泳ぎを競い合っているくらいだ。


暗くなる前におれ達の家に帰り、三人で飯を食ったら各々の時間を過ごし始めた。俺は武器の手入れを、リュウはティーポと共に剣の稽古を。兄貴の役割を全うしているティーポは、リュウの前では絶対俺に対して甘えるような素振りを見せない。それどころか強がって当たりが強くなっているとさえ思われる。俺はこれまで『弟』としてのティーポしか知らなかった、いや、見えていなかっただけなのかもしれない。リュウの前での兄貴のような一面も、先日の、『男』としての一面も。





リュウとティーポは家に入ってくるなり直ぐに寝床で横になっていた。無理もない、食料の貯蔵をして、川であれだけ遊んで、剣の稽古までして疲れていないわけがない。二人の様子を見に行くと、いずれも掛け布団を蹴飛ばして眠りこけていて。特にティーポ。無邪気な寝顔はやはり『弟』そのもので。おれはフッと笑って弟達にそれぞれ掛け布団をかけてやり、立ち去ろうとした。今日ももう終わりか、なんて思ったその時だった。





「にいちゃん……すき……」





ティーポが、あの日と同じ顔で……口元を三日月形に歪ませて笑っていた。


「……寝ぼけてんのか?」

「そんなわけないでしょ?ねぇ……この前、おれ、言ったよね?」

「……何を、だ?」

「わかってくるせに。にいちゃんのそういう飄々としたところも、すきだよ……」


彼は一歩前に足を踏み出した。同時におれは一歩後ろに足を下げる。また一歩、さらに一歩。互いの距離は縮まらない、かのように思われたが、ついにおれの背には壁が。もう、後戻りはできない。そして、前に進むことも。だが、彼は前から迫ってくる。一歩一歩着実に。夜も更けて辺りに灯りなど殆ど無いに等しいのに、何故だか彼の眼光が鋭く光っているのがわかる。ついに彼は妖しく笑いながらおれの目の前にやってきた。おれを見上げて彼は言う。





「あの日の続き…………忘れちゃったなら、思い出させてあげるから、さ。」





夜も更けた、なんて、前言撤回。夜はまだ、始まったばかりなのだ。





夜はまだ始まったばかり




「にいちゃん……」

「な、なんだよ。も、もう遅いぞ?お、お前も今日は疲れて……」

「何言ってんの?夜はまだこれから、でしょ……?」


ティーポは清淑なる紫の髪をふぁさっとかき上げた。あまりの美しさに思わず生唾を飲んでしまった。彼はおれの手を取るとゆっくり夜の森へと歩き始めた。夜はまだ始まったばかり…………




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