ガキの頃に道端で拾った絵本にこんな話があった。


ある一人の女が大変凛々しい男に恋をした。女は熱心に恋心をアピールしたが、男にはなかなか届かない。ある日、男は悪い魔女に出会い、その魂を吸い取られ、男の意識は自分にそっくりな人形の中に閉じ込められてしまった。ところが間抜けな魔女はその人形を落としてしまい、件の女がその人形を拾って…………


この話の続きは破れていて読むことができなかったために結末は未だにわからない。ではなぜこんな話を思い出したのか。それは今まさにこのおれが人形の中に閉じ込められてしまっているからだ。おれの本体はベッドに横たわって呑気にグゥグゥと寝息を立てている。さっきからティーポとリュウが触るなり叩くなり尻尾を引っ張るなりしても全く起きる気配はない。


「し、死んでる、の、かな?」


バカもやすみやすみ言え、あの寝息が聞こえないわけではあるまい、と思えど生憎人形の身では声なんか出るはずもなく、もどかしい気持ちになったがティーポがおれの思いを代弁してくれた。


「いや、息はしてるから生きてるだろ。うーん、おれ達じゃわかんないよな……」

「誰かに聞いてみる?」

「そーだな……あ、何だ、あの人形?」

「……レイにそっくりだね。」


リュウがひょいっと片手で人形のおれの身体を持ち上げた。腹に指がギュッと当たっているのが少し痛いと感じる。なぜ人形の身体なのに痛覚があるのか、という疑問は置いといて、どうやら見た目はおれにそっくりらしい。あの絵本の通りならば、おれに恋焦がれる女がいて、悪い魔女と出会った俺は魂を吸い取られて……ということになるが……生憎このおれに心当たりのある女、はたまた悪い魔女など存在しない。


「……とりあえず、村に行ってみる?誰か賢そうな人に聞いてみてさ……」

「そーだな……にいちゃんの代わりにコレ連れて行こうぜ!」

「あ、ぼくが持つよ。」


リュウがおれを自分のカバンに突っ込み、二人はどたどたと慌ただしく外に出た。さて、どうなることやら。まずあの本の続きを思い出すことが問題解決のヒントになりそうだが、コイツ等にそれを伝える方法などありゃしない。一体おれが何をしたっつーんだ……





「はー……村のヤツらってバカばっかだなー」

「そういう言い方は良くないと思うな……」

「だってさ、一人くらい心当たりのあるヤツがいても良くないか?あーあ、ここがウィンディアだったらなぁ……」


村中の人に尋ね回ったが結局なんのヒントも得られなかったようだ。ぬえの件以来、村人のおれたちに対するあたりもだいぶ柔らかくなったとはいえ無理もない。おれもリュウのカバンの中から様子を窺っていたが、状況の説明がとても理解の追いつくようなものではなかったのだ。


『にいちゃんが寝たまま起きなくて、代わりににいちゃんそっくりな人形が落ちてたんだ!これってどういうことだと思う?』


突然こんなことを言われて状況を把握してアドバイスができるヤツなんかいるだろうか。いるとしたらそれはおれをこんな風にした張本人だけだろう。さて、どうしたもんか。おれの心を体現するように二人が大きな溜息をついた時、突然背後から若い男の声がした。


「いたいた、おーい、悪ガキども。」

「む、最近は何も盗んでないやい!」

「おぉ、悪い悪い、つい、な……いやさ、そのレイの人形のことなんだけど……」

「な、何か知ってるの!?」

「お、教えてくれよ!どんな小さいことでもいいんだ!」


おれの名前が出た途端、リュウもティーポも目の色を変えて若い男ににじり寄った。男は顎髭を触りながら、まぁ落ち着けよ、と二人を宥めながらマクニールの屋敷とは反対の方向を指差した。


「あっちのさ、シーダの森の外れに賢樹の切り株って言われてるでけェ切り株があんのは知ってんだろ?」

「あ、あぁ、なんか変なジジイが住み着いてるって聞いたことあるような……」

「メイガスさんじゃない?ぼく、この前、森で食べられそうなキノコを探してたときに少しだけ話したよ。」

「賢そうだったか?」

「うーん……物知りだったとは思う。ごめん、早く言えば良かったね。」

「いや、思い出してくれただけでもじゅーぶんだよ!ヒゲのあんちゃん、ありがとう!リュウ、急ごうぜ!」

「う、うん!」


二人は改めて若い男に礼を告げるとどたどたと慌ただしく例の切り株を目指して走って行った。息を切らしながら森の小道を抜けると、煙管を吹かしながら大きな本を読んでいるじいさんが切り株の隣に腰掛けていた。慌てているティーポをどうどうと落ち着かせたリュウが一歩前に出て、一体どこで習ったのやら、丁寧な口調でじいさんに話しかけ始めた。


「あの、メイガスさん、この前はありがとうございました。今日はメイガスさんの豊富な知識をお借りしたくて、お会いしに来ました。」

「ふむ……良かろう。して、わしのどんな知識を求めとるんじゃ?」

「ぼくたちの大切な兄が、眠ったまま目覚めないんです。叩いても、引っ張っても。そして、近くにこんなものが落ちていました。」


リュウはカバンの中にいたおれをそっと優しく掴み、じいさんに手渡した。じいさんはしげしげとおれを眺めながら立派な髭を弄くり回していた。そして、ふむ、と一言呟くとおれをリュウに返して大きなカバンをごそごそと探り出し、一冊の絵本を取り出した。まさか、この本は……


「リュウ、この本を持って行くといい。」

「いいんですか?」

「うむ、お前さんにはキノコを分けてもらった恩があるからのう……」

「ジイちゃん、ありがとう!リュウ、でかした!」

「う、うん、あの、メイガスさん、ありがとう!」


二人はじいさんに頭を下げて礼を告げると、またしてもどたどたと慌ただしく家を目指して走って行った。リュウのカバンの中で激しい揺れを感じている。はぁはぁと二人の息が切れているのも聞こえて、こんなになるまでおれのために奔走してくれているのを嬉しいとさえ感じてしまう。おれが二人を何よりも大切な宝物だと思っているのと同じで、二人もおれのことをそんなふうに思ってくれているのだろうか。そんなことを考えているうちに帰り着いたようで、二人は寝室に駆け込むや否やじいさんから渡された絵本を開いてぱらぱらとめくり始めた。ところがある問題に直面したようだ。


「……ぼく、あんまり読めないや。ティーポ、読める?」

「お、おれも少ししか……くそっ、あのジイちゃんに読んでもらってから帰るんだった!」


やはり、二人はまだ完全には文字が読めないようだ。だが、幸いおれの身体はリュウに支えられている。開かれているページをじっと覗き込んでみると、そこには大変なものが描かれていた。なんと、件の女が男の人形に、所謂、その、キス、をしているのだ。このページの文字を読んでみると、幼児向けだから生々しくはないものの、これが紛れもないキスシーンであることを示している。まさか、この状態から戻るには……


「……ねぇ、これってさ、にいちゃんの人形に、キス、しろってことかな。」


やはり文字など読めなくても絵の意味はわかってしまったようだ。ティーポが目を泳がせながら蚊の鳴くような声でつぶやいた。


「……ぼくが、する。」


リュウがおれを持ち上げて、自分の目の高さまで上げた。何故か頬を赤らめている。


「……いいや、ここはおれの出番だろ。」


ティーポが少し乱暴にリュウからおれを引ったくって、これまた同じようにおれを目の高さまで上げた。ティーポの頬も赤らんでいる。


「……ぼくがする!」


リュウが勢いよく顔を近づけてきた。


「あっ!だ、だめだ!」


同時にティーポも顔を近づけてきた。



ちゅ



人形の身ではあるが、両頬に柔らかい感触を感じた瞬間、突然おれの意識は何かに吸い上げられたかのようにふわっと飛んで行ってしまった。一瞬の出来事で何が何やらわからなかったが、ひとつだけわかることがある。それは、確かな家族の愛。血は繋がってなくとも、おれたちは確かな家族で、真実の愛で結ばれているのだ。


「……ティーポ、リュウ!!」

「うわっ!!にいちゃん!?」

「レ、レイ!?大丈夫!?」

「ああ……もう大丈夫だ……おれのためにありがとな……」


ベッドから飛び起きて、二人をぎゅうっと腕の中に閉じ込めてやった。リュウはすぐさまおれの背に小さな手を回してきたが、ティーポは少し照れくさいのか、よせやい、なんて言いながらおれの胸を軽く触っている。リュウの手前、押す素振りを見せてはいるものの、実際には触っているだけ。ああ、やっぱりおれって愛されてるな、なんて行き過ぎた幸せを噛み締めながら、腕に閉じ込めた大切な宝物をぎゅうっと力一杯抱きしめてやった。二人の間から顔を覗かせて、開かれたままの絵本に目をやると、最後のページで元の身体に戻れた男が真実の愛を知って件の女と結ばれたシーンでめでたく物語は終わっていたのだった。






真実の愛




「にいちゃん!く、苦しい!」

「レイ!痛いよ!」

「お、おぉ、悪い……ん?あ、あの人形は……?」

「……あれっ?これ、さっきまでレイの人形だったのに……」

「バッ、ババデルのジジイ!?何で!?」

「ま、まずい!今度はババデルのじいさんが……!?」






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