亜久津君に連れてこられたのはゲームセンターだ。ゾンビをピストルで撃つゲームやレーシングゲーム、高い所を歩いている様な仮想体験ゲーム、それからメダルゲームにクレーンゲームなんかを楽しんでいる。次はどのゲームをしようかとウロウロしていると、あるゲーム機の前で亜久津君がぴたりと足を止めた。
「……?お菓子のスクイーズ?」
「あ?何だそれは。」
「え?握ると柔らかくて気持ちいいマスコットだけど……あっ、あれ可愛いね。モンブランだよ。」
「何?フン……くだらねェ。」
嘘つき。自分がそれを見て足を止めたんじゃないか。生憎、亜久津君がモンブランを好んでいるのはとうに知っているのだ。私は日々のお礼にこれをプレゼントしようとゲーム機の前に立ったのだけれど。
「やめとけ。金の無駄だ。」
「私、クレーンゲーム得意だよ!」
「あ?……面白ェ。」
亜久津君はニヤリと口角を上げ、腕組みをしながら私がクレーンゲームをするのをじっと見つめていた。昔からテレビゲームではよく健太郎君に負けてばかりだけれど、クレーンゲームならば一度も負けたことはない。集中してクレーンを操作して、ここだと思ったタイミングでボタンを二度押ししてがっちりとスクイーズを掴み、見事1回のチャレンジで獲得することができた。
「やった!はい!あげるよ!」
「…………」
亜久津君にモンブランのスクイーズを差し出したけれど、彼は私を見つめて無言のままだ。もしかして、女の子に取ってもらったのがダサい、なんて思っているのだろうか。
「あ、あの……い、いらない?」
「……!チッ……しつけぇからもらってやる。いいか、勘違いするなよ。テメーがしつけぇからだ。」
亜久津君はハッとしたかと思えば口早に捲し立てて、私の手からバッとスクイーズを奪い取った、と思いきや。彼はスクイーズごとわたしの手を握りしめてきた。けれどもそんなに力は入っていないみたいで、振り解こうと思えば振り解けるだろう。このまま少し間を置いて、彼は小さく、来い、と呟いた。私が頷くのを確認した彼はくるりと向きを変えてゲームセンターを出て、私の手を引きながらずんずんと歩いて行った。
「ここは……?」
ストリートテニス場、だろうか。そういえば最近健太郎君が東方君や新渡米君と一緒に練習に来てるって言ってたっけ。
亜久津君は私に向き合って手を離すと、カッと目を見開いて私の目を凝視してきた。
「……文武爛……」
「えっ?な、なに?」
いつもおいとかテメーとか言われているからか、名前で呼ばれるとやや緊張してしまう。それを察したのか、別に何もしねーよ、と呟かれてしまった。
「……あ、あの……亜久津君?」
「……チッ、まあいい……」
「えっ?……わっ!!」
亜久津君はその辺に立て掛けてあったラケットを手に取ると、ぴっと手を振ってその先端をわたしの方へ向けた。鼻先、というほど近くもないけれど、ラケットが空を切った衝撃で、ふわりと風が生じてわたしの髪を揺らした。しーんとして、気まずい。しかし、この沈黙を破ったの亜久津君の衝撃的な言葉だった。
「テメー……俺の女になれ。」
「……えっ?」
「……俺の女になれ。」
「おっ、お、おれのおんな?そ、それって……」
「チッ……テメー、頭良いんじゃねーのか……」
俺の女になれ。そんな台詞は少女漫画の世界にしかないものだと思っていた。一瞬理解が遅れてしまったけれど、亜久津君は私と、いわゆる、その、お付き合い、というものを御所望なのだろうか。彼は決して冗談など口にするタイプではないだろう。
「……何か言え。」
「…………あっ、え、えっと……」
「テメーに拒否権はねーよ。」
亜久津君はくるりと背を向けてしまった。お断りなんてしたら殴られてしまうだろうか、なんてことも思ったけれど、その心配はないだろう。だって、私の返事はお断りではないのだから。
「……よ、よろしく、お願いします。」
「……嫌なら断れ。」
「……正直、ビクビクしてしまうところはあると思う。でも、亜久津君のこと嫌いと思ってないし……おやつ食べに行くのも楽しいし……」
「……テメーは……好きでもねー男と付き合えんのか。」
「えっ!?えっ、えぇ!?すっ、す、好き……!?」
そうだ。告白というものをされたわけではないのだ。ハッと気が付いたけれど、私は亜久津君のことを何だと思っているのだろうか。
4月まではただの怖い不良生徒で一生関わり合いなんて無いと思っていた。けれど、彼は私の知る、粗暴で素行が悪くてどうしようもない、いわゆるただのヤンキーといったものではなかった。暴力を振るうことこそあったものの、その理由が見えた時には彼の根底にあるポリシーのようなものが見えたような気もした。何より、あのテニスの大会で見せていた熱い姿。あれこそが彼の本当の姿なのかもしれない。認めよう。私は、彼に魅力を感じているのだ。千石君や健太郎君とはまた違った魅力を。
「……す、きです、多分。」
「多分だ?」
「す、す、好き!好きです!」
「ケッ!最初からそう言え!」
「あ、あの、あ、亜久津君、は……?」
「あぁ?知るかよ!」
亜久津君はぷいっとそっぽを向いてしまった。俺の女になれ、なんて小っ恥ずかしい台詞よりも、好きの二文字の方が余程簡単なような気もするけれど。まぁ、彼にそんなことを期待しても無駄か、と小さく溜息をついたその時だった。
「ぶっ!!」
「やる。」
「もう!食べ物を投げ、ちゃ…………」
「フン……」
彼が私の顔にゆるく投げてきたのはマロングラッセだった。以前、ミルクレープを食べに行った時にマロングラッセにまつわる話をしたような覚えがある。しかし、彼がそんなことを覚えているはずもないだろう。私は袋を開けて、マロングラッセを一粒ぱくりと口へ運んだ。甘く、口の中で解けるように崩れていく。元々の栗の甘さがこのシロップと絶妙のバランスで、正直永遠に味わっていたいとさえ思うほど。
「……美味しいっ!」
「フン……当たり前だ。」
「これ、どこのお店?今度食べに……」
「俺だ。」
「えっ?」
「……俺が、作った。」
「えっ、えっ……ええぇぇ!?」
なんとも意外な才能だ。そう言えば彼の好物はモンブランだ。自作していてもおかしくはない。しかし、驚きはこれだけではなかった。きっとこれこそが今日一番の驚き。
「ここはヨーロッパじゃねェがな……」
「……!?えっ、ええっ!?」
「あぁ!?テメーが言ったんだろーが!!」
何驚いてやがる!と頭をぐしゃぐしゃと触られてしまった。彼がこんな風に触れてくるのは初めてで、ドキンと胸が高鳴った。けど、最大の驚きはこれじゃない。そう、最大の驚きとは、ヨーロッパで男性から女性へ贈る意味のことなのだ。
「……覚えててくれたんだ。」
「……たまたまだ。」
「あの、さ、私も女の子だから、やっぱりちゃんと、聞きたいな。」
「ケッ!くっだらねーな!!……チッ、そろそろ帰るぞ。」
亜久津君は腕ではなく私の手をぎゅっと掴んだ。とても大きな手に私の手はすっぽりと覆い隠されてしまった。少し痛くて、ちょっと痛いなと呟いたら、ケッ!と悪態をつきながらもかなり力を緩めてくれた。こうして亜久津君と私は初めて前後ではなく隣に並んで帰路に就いたのだった。帰り道でもう一度だけ、やっぱりだめ?と尋ねたら、とても小さな声で、好きじゃねーなら付き合わねェ、と呟いてくれたのだった。
マロングラッセ
「マロングラッセ、本当に美味しかったよ!また作ってくれる?」
「めんどくせー……気が向いたらな。」
「ふふ、楽しみにしてる!」
「ケッ!くだらねー!」
翌日、そのまた翌日、更に翌日……亜久津君は毎日マロングラッセを私の机の引き出しに入れてくれるようになった。流石、永遠の愛の証……なんちゃって。