「おいテメー!!」
「…………」
聞き覚えのあるこの声は3組の亜久津君だ。長身で銀髪の、とても怖い外見の、おまけに言葉遣いもとても怖い男の子。また誰かと目が合ったのをガン飛ばして来やがった、とか文句をつけるつもりなのだろうか。先日の健太郎君からの忠告もあって、関わりたくない私は無言で通り過ぎて行ったのだけれども。
「テメー!!無視するとはいい度胸だな!!」
「…………」
あの亜久津君の呼びかけを無視するとは。そんな度胸のある男の子は彼と同じ3組の千石君くらいではないだろうか。
「テメー!!コラァ!!テメーだよ!!文武爛!!」
「……えっ!?わ、私ですか!?」
「他に誰がいるんだ、あぁ!?」
「ひいぃっ!!すみません!!な、何の御用でしょうか!!」
いつも通り、のんびり帰ろうと思っていただけなのに、何が気に食わなかったのか。どうやら亜久津君から声をかけられていたのは私だったらしい。タバコを吸っていたり他中の生徒からカツアゲをしていたり……あまりいい話を聞かないから正直恐怖の対象でしかない。そんな彼が私なんかに一体何の用事があるというのか……まさか、先日の一件で余計なことをしてくれやがってとブン殴るつもりなのだろうか。
「……ちょっと付き合えや。」
「……な、何に、でしょうか?」
「チッ!!いいから黙ってついて来いや!!」
「は、はい!し、失礼します!」
周りの視線が痛い。行くぞ、と小声で言いながら私の少し前を亜久津君が歩き始めた。このまま立ち止まっていれば姿を消してくれるんじゃないかな、なんて思ったけれど、彼はチラリと振り返って私がついて来ているかを確認しているようで。慌てて小走りで追いかけたら、再び前を向いて歩き出した。亜久津君は何度か振り返りながら目的地を目指してひたすら歩いていく。そんなに私が逃げないかどうか見張る必要があるのだろうか、一体、私はどこに連れて行かれるんだろう……
歩き続けて数分、亜久津君が歩みを止めたのはある洋菓子店の前だった。亜久津君はチラリと私の方を振り返ると、テメェが先に入れや、と。何故用事もないのにこんなところに入らなければならないのか、なんてこと言えるわけもなく、私は渋々お店へ足を踏み入れた。
「で?」
「え?」
「チッ……何食うんだ。」
「え?わ、私、お財布持って来てないし……」
私がそう言うと亜久津君はくわっと目を見開いた。間違いなく機嫌を損ねてしまった、と慌てて謝ろうとしたのだけれど、彼の口から出たのは想像だにしていない言葉で。
「女に金出させるなんてダセェ真似すっかよ。俺の奢りだ。好きなモン食えや。」
「えっ!?……そ、そう、ですか。」
今まで話したこともない相手に何故奢ったりするのか。まさか、ここで餌をやって今後好き放題に……なんて悪い想像をしたけれど、これまで亜久津君が女の子に酷いことをしたなんて噂は聞いたことがない。健太郎君もそう言っていたじゃないか。けれども先日のお礼、なんてことはあり得ないだろうし……もしかして、もうすぐ2年生までの復習テストが近いから、彼は見返りに私のノートでも求めているのだろうか。これでも一応学年ではトップ10に入る成績だし。
「で、では、モンブランを……」
「……!?テメェ!!」
「ひぃっ!?す、すみません、や、やっぱり他の……!!」
好きなものを食べろと言われたから選んだつもりだったのに。やはりモンブランは少しお値段が高めだったために図々しいと思われたのだろうか、亜久津君は身を乗り出して怒鳴って来た。しかし、またしても私の予想とは大きく異なり意外な言葉が飛び出してきて。
「話がわかるじゃねーか……」
「……はい?」
「モンブラン……悪くねェ。」
「……?ど、どうも……」
「おい!!……モンブラン、2つだ。」
亜久津君は店員さんを呼んでモンブランを2つ注文した。1つは彼が食べるのだろう。意外も意外、まさかあの亜久津君がモンブランなんか食べるなんて。もしかして好物なのだろうか。
「あ、あの……モンブラン、お好きなんですか?」
「あ?悪ィかよ。」
「い、いえ!とても素敵だと思います!」
「フン……」
亜久津君はポケットからタバコとライターを取り出した。まさか制服を着ているのにタバコを吸うのだろうか、と彼の口元を凝視してしまっていると、突然彼の口が動き出した。
「おい。」
「は、はい!?」
「……何見てやがる。」
「え、あ、タバコ、あの……」
「……嫌いなのか。」
「えっ?」
「タバコ。」
何を言ってるんだ。嫌い云々以前にそもそも中学生がタバコを吸うなんて言語道断だ。けれど、そんなことを言っても通じるタマではないし……どうしたもんかと悩んでいると、タイミングよくモンブランが運ばれてきて。
「あっ!来ましたね!うわぁ、美味しそう!早く食べましょう!」
「……フン、まぁいい。」
亜久津君は咥えかけていたタバコを箱に戻して、ライターと一緒にポケットに入れた。ほっと一息ついて、いただきます、と一言添えてから目の前の大きくて美味しそうなモンブランにフォークを入れた。甘い。上品だ。とても、美味しい。本当にこんなものを奢ってもらっていいのだろうか、と心配になるけれど、手は止まってはくれず。どんどん口へモンブランを運んでいく。ふと、亜久津君に目をやると、じーっと私の方を見ていることに気がついた。
「あ、あの……」
「あ?」
「み、見られていると、食べづらい、の、です、が……」
「……気にすんな。」
「で、でもですね……」
「いいから食えや!」
「は、はい!い、いただきます!」
何なんだ一体、と思いながら私は夢中でモンブランに貪りついた。綺麗に食べ終えて再び彼の方に目をやると、既に彼の皿からもモンブランは消えていて、満足げに口角を上げていた。そんなにモンブランが口にあったのだろうか。とにかく上機嫌なら何よりだが。
「おい。」
「はい?」
「どうなんだ。」
「えっ……お、美味しかったです、とても。」
「フン……ならいい。」
亜久津君は伝票を持ってレジにすたすたと歩いて行った。慌てて帰り支度を整えて彼の後を追って店を出た。ごちそうさまです、と一言告げると、礼儀はなっているようだな、と上から目線で言われてしまった。さて、一刻も早く家に帰ってテスト勉強がしたいのだけれども、彼はここから動く気配がない。一体どうすればいいのか、と悩んでいると、おい、と上から声が降ってきて。
「……次は。」
「え?」
「次、何食うんだ。先に教えとけ。」
次?まさか、この恐怖のティータイムが再びやってくるというのか。どうしよう、お断りなんかしたらブン殴られる……最悪、死が待っているかもしれない……ゾッとした私はひとまず自分の好物の一つを告げることにした。
「チ、チーズケーキ!」
「チーズケーキ……?フン、まぁいい。明日も空けとけ。いいな。」
「えっ?あ、明日?明日は、その、よ、用事がですね……」
「あぁ!?」
「ひっ!す、すみません!あ、空いてます!大丈夫です!」
「チッ……逃げんなや。」
「わ、わかりました!!」
じゃあな、と言いながら亜久津君は向きを変えて歩き出してしまった。私の家は反対方向だ。けれど、彼は本来の目的であるはずのものを私から受け取っていないことに気がついていないようだ。私は彼の後を追って、後ろから声をかけた。
「あ、亜久津君!」
「あ?何か用かよ。」
「あ、あの、これ……」
とりあえず今日持っている科目のノートを取り出して彼の手元へやってみた。けれど彼は受け取る気配はなく、その顔はみるみる不機嫌そうになっていって。
「何だこれは。」
「えっ、テ、テスト勉強に使うのかと……」
「テスト……?くっだらねェ!んなモン要らねェ!!」
「ひええ!えっ、じゃあなんで今日私にお菓子を奢ってくれたんですか……?」
「……暇潰しだ。じゃあな。」
そう言うと亜久津君は再びすたすたと歩いて行った。暇潰しで他人にケーキを奢るだなんて変わってる人だ。しかし恐怖のティータイムは今日で終わりではない。むしろこれははじまりに過ぎないのだ。
「明日は健太郎君から地理を習おうと思ってたのに……仕方ない、健太郎君からノートだけ借りよう……」
モンブラン
でも、亜久津君の好みがモンブランだなんて意外だったな……もしかして甘い物が好きなのかな……
***
あの女の好みはモンブランにチーズケーキ……チッ……千石の言う通りか……面白くねェな……