ミルクレープ


あれから2週間が経った。やはりあれは本当に彼の暇つぶしだったのだろう、この2週間、彼は一度も私の前に姿を現さなかった。おかげで進級後のテストにも集中できて見事学年で6位という好成績を収めることができた。


さて、今日は火曜日、健太郎君に金魚の水槽の水換えを手伝ってもらう日だ。放課後になるとすぐ健太郎君が理科室へカルキ抜きを取りに行ってくれた。私はせっせと教室内の整備や花瓶の水換えを進めて、健太郎君と一緒に金魚の水槽を洗ったり水を換えたりした。その最中、話題に出たのはテニスのことだったのだけれどここで意外な人物の名前が。


「えっ、亜久津君が?」

「ああ、あんだけ嫌がってたのに、急に都大会に出る気になったんだと。」

「亜久津君って強いの?」

「ああ……一応ウチで千石と張り合えるのは亜久津くらいだと思う。2年の室町がシングルス1に来ることが多いんだけど、実はクジで決めててさ。」

「クジ!?それはまた千石君が好きそうな……」


あの亜久津君がテニスをしている姿、全く想像がつかない。どちらかといえばラケットを武器にヤンキー同士で殴り合いなんかしてそうなイメージなのに……とぼーっとしているといつの間にか水槽の手入れが終わっていて。慌てて健太郎君にお礼を言うと、気にすんな、と優しく背中をとんっと叩かれた。


「今日は帰るのか?」

「うん、健太郎君はテニス部でしょ?頑張ってね!」

「ああ……じゃ、気をつけてな。」

「うん、また明日ね!」


健太郎君と昇降口で別れて、私はスタスタと校門へ向かって一直線。いつも通り校門を出て左に曲がろうとしたら、何かに躓いてしまい身体がつんのめりに。


「ひゃっ!!」

「……!!この鈍間が!!」


転ぶと思ってぎゅっと目を瞑った途端、誰かに制服の首ねっこの部分を掴まれた、いや、誰か、ではなく、彼、亜久津仁なのだけれども。どうやら私は亜久津君の長い脚に躓いてしまったらしい。


「あ、あの、ごめんなさい……ありがとう、ございます……」

「……フン。」

「きゃっ!」


急にパッと手を離されて、私は前に一歩大きく踏み出した。危うく転ぶところだった。もう少し優しくできないものか、と亜久津君をじいっと見上げたら、彼はくわっと目を見開いた。思わずひぃっ!と悲鳴をあげてしまったのだが。


「まだ何も言ってねェ。」

「す、すみません……えーと、何か御用でしょうか……」

「あ?テメー……」

「ひぃっ!もも、もちろん、覚えてます!あ、あの、私が、今日は、その……」

「フン、さっさと案内しろ。」

「は、はい!ぜひ!」


何故いつもこんなに偉そうなんだ、そして何故突然現れるのか、何の前触れもなく恐怖と対面するこちらの身にもなってくれ、なんてことを言えるはずもなく。私はギクシャクしながら彼の前を歩き始めた。


また無言の時間……怖いなぁ……なんてモヤモヤ考えていると、彼はまたしても何の前触れもなく突然口を開いた。


「……今日は何食うんだ。」

「えっ!?え、えーと、ミ、ミルクレープなんてどうでしょう!?」

「……美味いのか?」

「わ、私は、好き、ですけど……亜久津君はどう、だろう……嫌、かな?」

「知らねェ。好きにしろ。」


気のせいだろうか、少しだけ口角が上がっている様な気がする。もしかして意外と甘党なのだろうか。以前もモンブランをあっという間に胃に収めていたし、なんて考えていると目的のお店の前に到着した。ここのミルクレープは母も大好きでよく買ってきてくれているから美味しいということはよく知っている。


入店して、何か飲み物は要りますか、と亜久津君に確認したところ、要らねェ、とのことで、ミルクレープを2つ注文した。今日もスイーツがやって来るまでギクシャクした時間を過ごすのかと思いきや、亜久津君から珍しい質問をされた。


「……文武爛、っつったな。」

「え?は、はい。」

「テメェ、頭良いんだってな。」

「えっ?テ、テストはわりと上位、だとは思う、けど……」

「……コレ、教えろや。」


亜久津君はメニュー表のある一点を長い人差し指で示していた。目を細めて見ると、そこにはマロングラッセの文字。


「マロングラッセ?簡単に言うと栗の砂糖漬け、かな。シロップで煮詰めて甘さをどんどん高めていくらしいよ。あっ、ヨーロッパでは永遠の愛を誓う証として……ってごめんなさい、喋りすぎました!」


余計なこと言いやがって、と怒られるかも、なんて心配をしたけれど、杞憂に過ぎなかった様で。亜久津君ははぁっと溜息を吐きながらドスの効いた声で返事をしてきた。


「あ?教えろっつったのは俺だ。いちいち謝るな。」

「し、しかしですね……」

「……今みたいに話せ。」

「えっ?」

「敬語じゃなくて良いっつってんだ。」

「わ、わかりま……」

「あ?」

「わ、わかった!」


亜久津君は満足気にフンと鼻で笑うとグビグビとレモン水を飲み干した。と、同時にミルクレープがやってきた。久々のスイーツに思わず、わぁ……と声を漏らしてしまった。すると亜久津君が一度舌打ちをした。亜久津君の方をパッと見ると、何故か口角が上がっている。


「……気が変わった。」

「えっ?」

「ここは俺の奢りだ。」

「え、えぇ!?また!?わ、悪いで……悪いよ、いつもいつも……」

「あぁ?いいから早く食えや。」

「わ、わかったよ……」


いただきます、と手を合わせてミルクレープにフォークをさした。ふんわり、だけど、ずっしりとしている。ミルクレープはミルクとクレープを合わせた造語ではなく、千枚のクレープ、なんて意味の言葉らしい。さすが千枚、ズッシリとした重みがある。口に運ぶとふんわりもっちりとした食感、クリームの甘さも広がって本当に美味しくて、ほっぺが落ちると思って頬に手を添えてしまうほど。ちらりと亜久津君を見やるとなぜかわなわなと肩を震わせている。もしかして、美味しくなかった……?


「あ、あの、お口に、合わない……?」

「……悪くねェ。」

「えっ?」

「……なかなかだ。悪くねェ。」

「そ、そう?美味しい、なら良かった……」


亜久津君は、悪くない=良い、とのことで。次々にミルクレープを口に運んでいた。お気に召した様で何よりだけれど、またしても奢られるのは本当に申し訳なくて。


「あ、あの、いつも奢られるのは申し訳ないから、せめて半分こにしない……?」

「あ?女に金出させるなんてダセー真似できっか、黙って奢られろや。」

「……はい。」


結局押し負けてしまって亜久津君がお会計を済ませてくれた。お店を出た後、いつも通りご馳走様でした、と頭を下げたのだけれど、彼はじーっと私を見下ろしていた。首を傾げるとまた低い声で話しかけてきた。


「次は何食うんだ。」

「えっ?つ、次、は……わ、和菓子は?いつも洋菓子ばかりだから……」

「……フン、いいだろう。」


亜久津君は満足そうにニヤリと笑うと、じゃあな、と立ち去って行った。大きな背中を見送っていると、ちらりと振り向いた彼が大きな声で、次は来週だ!と言ってきた。来週か、忘れない様にしなければ、と私は鞄からメモ帳を取り出して予定を書き込んだのだった。





ミルクレープ




亜久津君は栗が好きなんだよね……栗羊羹、栗きんとん、栗大福……うーん、何にしよう、なんて、帰り道は頭の中を栗のことでいっぱいにして帰ったのだった。









もどる
lollipop