彼の噂


「えっ、毎週試合なの?」

「はいです!都大会が始まったです!」

「……亜久津君も出るの?」

「はいです!亜久津先輩は大会には必ず来てくれるとても優しい先輩です!練習には中々来てくれないですけど……」

「そうなんだ……」


掃除が終わった後、休憩がてら二人でベンチに腰掛けて亜久津君のことを色々話していた。どうやら太一君から見た亜久津君は強くてかっこいい先輩のようだ。そういえば健太郎君から、部内に一人だけ亜久津君を恐れていない1年生がいると聞いたことがある。彼がそうなのだろう。


「……文武先輩?」

「あっ、ごめんね、ちょっと考え事してて……」


太一君はキョトンとした顔で私を見つめている。なんでもないの、と一言告げると、彼は手に持っているスポーツドリンクをゴクゴクと飲み干して、先輩たちのお手伝いに行くです!と勢いよく駆け出した。私も何か手伝えないかな、と彼の後を追おうと立ち上がったのだが。


「おい!文武!大変だ!」

「えっ?」


私の名を呼んだのは3組の整美委員長だった。遠くから何度も大変だと叫びながら物凄い速さでこちらへ駆け寄ってくる。


「6組の花壇!大変なことになってるぞ!」

「……えっ!?」

「今日俺が水やり当番で、最後に6組の花壇に行ったんだよ!そしたら花が……!」


彼が話し終わる前に、私はテニスコートの扉を開けて駆け出していた。必死で走って、花壇に辿り着いて、花壇の光景を目にしてへなへなと力なくしゃがみこんでしまった。先輩方の代から大切に育てられている綺麗な花がぐしゃぐしゃに散らかされていたのだ。


「ひどい……」

「風じゃこうはならねーよな……ほらここ、やけにデカい靴跡があるだろ?これ絶対誰か人間の仕業だよ。」


涙が頬をつーっと伝った。一体誰がこんなひどいことを……と思った時だった。


「亜久津……」


3組の整美委員長がボソッと呟いた。まさか、亜久津君が……?


「……俺、先生に言ってくる!」


彼は職員室の方へ走り出してしまった。残された私はこの花壇の周りをくまなく調べてみることにした。手掛かりは柔らかい土に残されている大きな靴跡、それから壁にある謎の丸い跡、そして、花壇を囲んでいる丸いレンガがひとつだけ倒れていることだ。


「この跡……普通の靴じゃないような……それにこの丸い跡……」

「文武!」

「あっ、委員長……先生は?」

「今、職員会議中みたいでよ。とりあえず事務員さんに言って先生に伝えてくれるよう頼んできた。で、何かわかったか?」

「あ、うん、とりあえず……」


私は気がついたことを彼に説明した。すると彼はまじまじと靴跡や壁の跡、丸いレンガを観察し始めて、顎に手を当てながら犯人探しの推理を始めた。


「この靴、裏にトゲか何かついてたのか……?それにこの丸い跡……拳で殴った、とか?レンガは……蹴り倒した、いや、これで誰かを……」

「ちょ、ちょっと、なんか穏やかじゃないよ……」

「……ここで亜久津が誰かと喧嘩したんじゃねぇか?」

「え、えぇ!?そ、それだけで決めつけるのは……!」


私はハッとした。先程、亜久津君は校舎裏で男の子を殴りつけていたではないか。もしかして、ここで一悶着あって、殴られていた男の子があっちへ逃げて……


「文武、何か気づいたのか?」

「え!?う、ううん、な、何でもない、よ。」


事を大きくしたくない私はなんとかこの場をごまかして、再び職員室へ向かった彼を見送ってから先程亜久津君と顔を合わせた場所へと向かった。


「穴のあいた大きな靴跡……やっぱり……」


先程花壇で見つけた大きな靴跡と同じものがここにもある。やはり、あの二人は6組の花壇と関係があるのだ。確かあの男の子はサッカー部だったような……


時計を見るともう運動部が後片付けに入る時間帯だった。私は慌ててテニスコートへ戻ったのだけれど、健太郎君からとても心配されていて、サッカー部のところへ行くタイミングを失ってしまった。彼は確か東方君と同じ5組だったような気がする。明日、昼休みにでも彼を訪ねてみよう……できれば、亜久津君も……


健太郎君とゆっくり帰る通学路。考えることがありすぎて、まるで私の心も頭の中も、あの荒れた花壇のようにぐちゃぐちゃになってしまう。うー、と小さく声を漏らしたらとても心配そうに健太郎君が私に声をかけてきた。


「……爛、さっきどこ行ってたんだ?3組のヤツと一緒だったろ?」

「あ、うん、6組の花壇に行ってたの。ちょっと、色々あって……」

「ん?大丈夫なのか?それ。」

「うん、先生にも伝えたみたいだし……でも、気になることがあって……」


私は先程のあらましを包み隠さず全て健太郎君に話して、彼の見解を聞いてみることにした。


「……で、どっちかが花壇を荒らした犯人、あるいはそこで二人が揉み合った拍子に、って具合だろうな。」

「……やっぱり?」

「……案外、そのサッカー部のヤツが犯人なのかもしれないな。」

「えっ?」


意外だった。健太郎君はあまり亜久津君のことが好きじゃないように思えていたから、てっきり亜久津君が犯人だと言うのかと思っていた。


「その穴のあいた靴跡ってさ、サッカー部のスパイクじゃないか?」

「……!!そ、そう、そうなの!私もそう思ってたの!でも、3組の彼は絶対亜久津君に違いないって……」


そう、彼は去り際に、先生には亜久津がやったって言っとく、と力強く豪語していたのだ。一応、そう判断するのは時期尚早だと訴えてみたものの却下されてしまったのだけれど。


「……明日、話聞きに行くんだろ?俺も行く。爛に何かあったら大変だからな。」

「な、何かって大袈裟だよ……でも、一人で行くのは心細かったから助かる。ありがとう、健太郎君。」

「気にすんなって、幼馴染なんだし。じゃ、また明日な。」

「うん!また明日!」


いつの間にか家の前についていて、私は健太郎君と別れて自分の家に入った。いつも通り、すぐに宿題を終わらせて、家族でゆっくり夕飯を食べて、お風呂に入って、好きなゲームをしたり本を読んだりして、少しだけ早めに就寝しようとしたのだけれど、花壇のことで頭がいっぱいで寝付くことができなかった。


翌日、学校へ行くと6組の花壇が亜久津君に荒らされたという噂が飛び交っていた。どうしてこんなことになっているのだろうかと隣の席の男の子に聞いてみると、なんでも3組の整美委員長がサッカー部の彼が亜久津君と争っていた事を知って5組に話を聞きに行ったのだとか。ちなみに亜久津君はまだ登校していないようだ。


「そ、そんな……亜久津君の話も聞いてないのに……」

「聞くまでもないだろ、あの亜久津だぜ?文武、お前タメ口で結構馴れ馴れしくしてたからその腹いせ、なんて言われてるぜ。」

「え、えぇ!?私のせい……!?」

「流石の亜久津もそんなことでキレねえだろ。」

「……健太郎君!」


助け舟を出してくれたのは健太郎君だった。朝練を終えたであろう彼は朝っぱらから汗だくになっていて、水で濡らした髪をタオルでわしわしと拭きながら言葉を続けた。


「とりあえず昼休み、東方のクラスに行って、その後か放課後に千石のクラスに行く。それでいいな?」

「う、うん、ありがとう!」

「おう、んじゃまた後でな。」


健太郎君は自分の席へと歩いて行った。そうだ、ちゃんと本人達から話を聞かなきゃ。時間はあっという間に過ぎ去って、昼休みになった途端、私は健太郎君の手を引っ張ってまずは東方君のいる5組の教室へと急いだのだった。





彼の噂




でも、もし亜久津君だったらどうしよう……心の中で少しだけ彼のことを疑う自分がいて、何故だかちくんと胸が痛んだ。










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