「先生!あの……あっ……!」
「どうした文武、そんなに慌てて。」
「あ、あの、あ、亜久津君を叱らないでください!」
「は?亜久津を?叱る?」
「えっ?」
「何か勘違いしてないか?俺はただ、今日の放課後の追試の話に行っただけだぞ。テストの点に赤点があったら試合には送り出せんからな……まぁ、アイツの場合、本試に出席していないだけで毎回追試は何故か合格レベルだが……」
なんと、私の勘違いだったらしい。恥ずかしい、穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。3組の先生から何があったのかと聞かれたため、生徒の間で流れている噂を先生のお耳に入れたのだけれど、横から4組の先生が、ついさっき登校してきた亜久津君が花壇に向かっているのを見たと教えてくれた。私は職員室を飛び出して花壇へと走った。
「あ、亜久津、君!」
「あぁ!?……テメーか。」
片手にコンビニの袋を持っていた亜久津君は、咥えていた煙草を指にとって地面に落とそうと手を前に出したのだけれど、何故か手を、というか私の顔を凝視したまま微動だにしない。あの……と小さく告げると、くわっと目を見開いて、動くな、と呟いてどこかへ行ってしまった。彼の言葉通り、一歩も動かず待っていると5限の開始のチャイムが鳴ってしまった。動けないままおろおろしていると、亜久津君が正面からのしのしと歩いて来るのが見えた。そしてくいっと親指で背後を指差した。ついて来い、ということだろうか。私がぶんぶんと大きく頷くと、物分かりがいいじゃねーの、と満足気に呟いて、くるりと向きを変えて歩き始めた。
大人しくついていくと、テニスコートの横を通ってテニス部の部室に辿り着いた。彼は乱暴に扉を開けるとくいっと顎を動かした。きっとここに健太郎君がいたら、亜久津と二人きりで、しかも密室なんて絶対ダメだ!なんて怒るに違いない。けれど、私は彼に謝らなければならないのだ、黙って彼の要求を受け入れて、先に部室へ足を踏み入れた。鍵でもかけられるのかと内心ハラハラしていたのを悟られていたのか、彼は扉を大きく開けてストッパーまでかけてくれた。そして、のしのしと部室に入ってきてドカッと丸椅子に腰掛けた。じーっと顔を凝視されていて正直とても怖いけれど、それよりも謝らなければという気持ちの方が強くて。
「あ、あの、亜久津君!」
「……何だ。」
「あ、あの、その、き、昨日は、ごめんなさい!あの、あ、亜久津君、あの、さ、最低なんて、その、私……」
「……チッ、落ち着けや。」
「ぶっ!!」
亜久津君はコンビニの袋から何かを取り出して私の顔に投げつけてきた。結構弱い力で投げられたから痛くはなかった、しかし何も投げなくても……なんて思ったけれどそんなこと言えるはずもなく、咄嗟に出した掌に運良く落ちてくれた何かを見ると、パッケージにはとても可愛らしいフォントで『栗もなか』と書かれていた。
「く、栗もなか?」
「あ?テメーが食いてーっつったんだろうが。」
そう、私が彼に向かって酷い言葉を投げつけてしまった昨日の朝、私達は栗もなかを食べに行く約束をしていたのだ。
「……買ってきてくれたの?」
「……たまたまだ。」
「た、たまたまで栗もなか買うの……?」
「あ?文句あるなら返せや。」
「か、返しません!あ、あの、ありがとう……」
「ケッ!」
亜久津君はコンビニの袋を漁ってブラックコーヒーの缶を取り出して喉を動かしながらグビグビと飲み始めた。通学中の寄り道、買い食いなんて厳禁なのだけれど、敢えてそんな余計なことは言うまい。私は彼の隣の丸椅子を指差して、かけてもいい?と尋ねてみた。するとこちらも見ずに、好きにしろ、とぶっきらぼうに返されて。断られなかったことに安堵した私は丸椅子に腰掛けて、もう一度彼に謝罪の言葉を、今度はゆっくり告げた。
「あの……昨日は、理由も知らずに酷いことを言ってしまって、ごめんなさい。花壇のこと、その、守ろうと、してくれたのかな……って勝手に思ってます。」
「……そんなんじゃねーよ。」
「じゃ、じゃあどんなの?」
「……暇潰しだ。」
「そ、そう……で、でも、ありがとう……」
私が彼にお礼を述べると、彼はぐるんとこちらに首を回して、またしてもくわっと目を見開いてぼそぼそと言葉を紡ぎ始めた。
「……次、何食うんだ。」
「えっ?」
「次!何食うんだっつってんだ!」
「ひいっ!え、えっと、あのっ、そ、そろそろ中間テストが近いから、あの、お、終わってからでも、い、いい、かな……?」
「……ケッ!くっだらねーな、好きにしろ!」
好きにしろ、つまり中間テストが終わるまで返事を保留にしても良いということだろう。
「あ、ありがとう、あの、今回、失礼なこと言ってご迷惑かけちゃったから、私に奢らせて欲しいの……お願いしますっ!」
「……迷惑だなんざ思っちゃいねー。」
「お願い!私の気持ちの問題なの……」
「フン、好きにしろ。」
亜久津君は満足気にニヤリと笑うと、コンビニの袋を持ってスタスタと部室を出て行ってしまった。一方の私は暫くぼんやりしていて、5限の終了のチャイムの音を聞いてハッと我に返り、慌てて6組の教室へと駆け戻った。
「爛!心配したぞ、職員室へ行ったっきり戻って来ないから……」
教室の入り口を開けると、健太郎君がびゅんっと駆け寄って来た。
「健太郎君、ごめんね。あの、あ、亜久津君がいて……」
「あ、亜久津!?ふ、二人で話してたのか!?今の時間ずっと!?」
健太郎君は私をじいっと凝視して、どこも痛くないかとか、酷いこと言われなかったかとか、とにかく心配してくれている。
「う、うん、でも、全然怖くなかったよ!花壇の件も謝ったし……あ、そうだ、私、整美委員長に……」
「その件なら俺が千石に伝えて、千石から委員長に伝えてくれたよ。もうみんなもその話はしていないし、三人で東方のクラスに行ってサッカー部のアイツに問い詰めたら白状したよ。今日の放課後、責任を持って花壇を綺麗にするってさ。」
「そ、そうなの……ありがとう、ごめんね、いつも迷惑かけちゃって……」
「気にすんなって。あ、今の授業のノート、後でコピーさせてやっから心配すんなよ。」
「あ、ありがとう!うぅ、助かります……」
健太郎君と話しているとあっという間に6限開始のチャイムが鳴った。それからいつも通り授業を受けて、放課後の委員会活動を終え、委員長と一緒に6組の花壇を見に行った。例のサッカー部の彼はスコップを片手にせっせと花壇を整備していて、私に気がついた途端こちらに駆け寄って来て、とても大きな声で先程の無礼について謝罪してきた。今回のことは気にしてないけれど、もう嘘なんてつかないでね、とだけ告げ、彼とはなんとか和解することができた。
今日はなんだか疲れていて、先に帰るねと健太郎君に挨拶をしにテニスコートへ向かったのだけれど、彼の姿を見つけることはできないし、いつもと違って練習の風景はない。あれ?と思って辺りを見回してみると、丁度フェンスの前に東方君がいた。
「東方君、お疲れ様。あの、今日の練習は……?」
「おお、文武、お疲れ!明日は試合だからな、物品の確認とか最終調整とかでいつもみたいな練習はしないんだよ。」
「そうなんだ……あ、だから部長の健太郎君がいないんだね。」
「そういうこと、顧問の先生の所に行ってるよ。そういえば昼間の件、解決したんだって?南から聞いたよ。」
「あ、うん!そうなの、亜久津君は無実で……あ、でも暴力は良くなかったなぁ……うーん、難しいな……ひゃっ!!」
なんて、東方君と話していると突然誰かに肩を掴まれた。くるっと振り向くと亜久津君が少し不機嫌そうに立っていた。そういえば太一君が明日の大会に亜久津君も出場するって目を輝かせて話していたっけ。東方君は少しおろおろしていたけれど、大丈夫だよ、と小さく告げてから亜久津君の方を向き直した。
「亜久津君、追試は……?」
「ケッ、終わってなきゃこんなとこ来ねーよ。」
「そ、そうだよね。お疲れ様。えっと、明日テニスの試合なんだよね?頑張ってね……」
「ハッ、テニスなんざくだらねーよ!……おい、ちょっと来い。」
「えっ?わ、わかった……あの、東方君、健太郎君に先に帰ることを伝えてもらっていいかな?」
「えっ、あ、あぁ、構わないぜ。き、気をつけてな。」
「うん、ありがとう。」
亜久津君がぐいっと私の肩を引っ張り、私の身体を反転させると今度は腕を掴んできた。逃げると思われているのだろうか。彼に引っ張られるままずんずん歩いて行って、校門にたどり着いたところでその手をパッと離された。そしてくいっと顎を動かしたもんで、ついて来いという意思表示だと解釈した私は黙って彼の後ろをついて行ったのだった。
栗もなか
「あ、あの、どこか行くの?」
「……暇潰しだ。」
「……ど、どこに?」
「グダグダうるせェな!」
「ひぃっ!ご、ごめんなさい!ど、どこへでもお供します!」
「ケッ……」