テニスと亜久津君


「こ、ここは……?」


着いたのは謎の小さなバーのようなお店で。どうやら昼間は喫茶店として営業しているようで、亜久津君は少し乱暴にドアを開けて、奥の席にどかっと腰掛けた。くいっと顎を動かし、座れ、と言葉も無しに訴えてくる。私は黙って指示に従い、彼の向かい側に腰掛けた。


「仁、コーヒーでいい?」

「ケッ!それ以外何があるっつーんだ!」

「もう、可愛くないわね……あ、メニューはこちらです。お決まりになりましたらお呼びください。」

「あっ、えっと、アイスティーを……」

「承知しました。少々お待ちください。」


とても綺麗な女の人が亜久津君を呼び捨てにしていたけれど、彼はそのことに怒る素振りもない。もしかして、彼女、とか?なんて思ったりしたのだけれど、すぐにコーヒーとアイスティーが出されて、話を聞いている内に二人が親子であることが判明した。さて、飲み物を口にして沈黙の時間が続いているけれど、彼はどうして私を連れ出したのだろうか。


「あ、あの、亜久津君、何か話?」

「あぁ?暇潰しっつったろ。」

「え?用事はないの?」

「ねーよ。」

「そ、そうなんだ……あ、ちょっとノートまとめてもいい……?」

「ケッ!勝手にしろ。」


亜久津君から許可をもらった私は、健太郎君からコピーしてもらったページを出して、ノートを綺麗にまとめた。しばらく黙ってノートを書き進め、終わったところでテーブルにショートケーキが運ばれてきた。どうやら亜久津君のお母様からのサービスのようで。突き返すのも失礼だろうから、ここはお言葉に甘えてケーキをいただくことにした。


「はぁ、美味しかった……」

「……おい、テメー。」

「うん?何?」

「……栗は好きか。」

「えっ?栗?うーん……うん、美味しいし、好きだよ。」

「ハッ!いい度胸だ!」


亜久津君はニヤリと口角を上げ、二杯目のコーヒーを勢いよくゴクゴクと飲み干した。時計を見ると、もう18時が近い。私が慌てて家に帰ろうと立ち上がると、亜久津君も立ち上がった。お会計を支払おうとしたけれど、お母様に静止されてしまった。息子がお世話になっているから、だとか。ぺこぺこと頭を下げて、次はちゃんとお客さんとして来ますと約束してからお店を出た。


「行くぞ。」

「えっ?あ、あの……」

「早くしろ!」

「えっと……亜久津君はお母様と帰らないの……?」

「チッ……察しろ!送ってやるって言ってんだよ!」

「えっ!?い、言ってな……」

「あぁ!?」

「ひいっ!ぜ、是非よろしくお願いします!」

「ケッ!さっさと歩け!」


亜久津君は私の前をのしのしと歩いて行く。1,2歩ほど後ろを少し早足で着いて行くと、彼はくるりとこちらを振り返った。


「……早いなら早いって言え。」

「えっ?い、いや、大丈……」

「あぁ!?」

「ひいっ!す、すみません!す、少しだけ早いです!」

「チッ……こっち歩け。」


亜久津君は私の腕を引っ張って自分の左側へと寄せた。車道から離れたところを歩け、ということだろうか。そういえば以前も振り返りながら歩いてくれていたけれど、あれは私が逃げないかどうかじゃなくて、歩く速度や安全面を気にしてくれていたのだろうか。


みんなは亜久津君を怖い人だと言うし、実際暴力を振るっている所だって見てしまった。だけど、花壇の一件については亜久津君が全て悪いとは言いきれなくて。彼なりに花壇を守ろうとしてくれた、不器用な優しさだったのかもしれない。かと言って暴力は絶対にダメなのだけれども……なんてぼーっとしていると、私の持っている通学鞄が近くを歩いていた男性にドンッとぶつかってしまった。


「痛っ!」

「あっ!ご、ごめんなさい!」

「……フン、気をつけなよ。」

「す、すみませ……」

「おい!テメー、どこ見て歩いてやがる!」

「あっ、亜久津君!」


私の不注意だったにもかかわらず、亜久津君は男性の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけ始めた。彼の腕を引っ張って、やめて!と言うと、不機嫌そうに舌打ちをしてパッと手を離した。男性は軽く咳をしながらキッと亜久津君を睨みつけたのだけれど、亜久津君もジロリと見下ろして、まさに一触即発といったような様子で。


「お前……亜久津……亜久津仁か?」

「だったら何だ!!誰だテメーは!!あぁ!?」

「だ、ダメだよ!暴力は絶対ダメ!」


亜久津君がギュッと拳を握ったのを見逃さなかった私は暴力を振るわせないよう必死に彼の腕に抱きついた。


「うるせぇ離せ!!」

「テニス部のみんなにも迷惑がかかるんだよ!?絶対ダメ!」

「チッ……行くぞ!」

「きゃっ!あ、あの、本当にすみませんでした!」

「……亜久津仁……テニスだと……?」


あの男性は亜久津君を知っているのだろうか、去り際に何やらぶつぶつと呟いていたけれど、亜久津君に引っ張られるまま歩みを進めたので内容は全然把握できなかった。


無言のまま腕を引かれて歩いていると、私の家に辿り着いたのだけれど、家の前には腕組みをして立っている健太郎君がいた。


「爛!遅かったじゃないか!」

「健太郎君!あ、あの、東方君から……」

「聞いたよ!まぁ、亜久津が一緒って聞いてたからある意味心配はしてなかったけど……大丈夫か?」

「う、うん、あ、あの、亜久津君、今日は、その、ありがとう……」

「……暇潰しだ、じゃあな。」

「あ、亜久津、コイツのこと送ってくれてありがとう、気をつけて帰れよ。」

「ケッ!」


亜久津君はくるりと踵を返して行ってしまった。健太郎君曰く、来週は一番大切な試合だから亜久津君を見ているとハラハラするとかで今日の花壇の一件も実は気が気じゃなかったらしい。私は放課後のことも含めて健太郎君に亜久津君に対する印象を話したけれど、どうも半信半疑といった様子だった。





そのまま何事もなく1週間が経って、例のテニスの試合の日を迎えた。私は普通に自宅で読書でもしようと思っていたのだけれど、突然健太郎君から電話がかかってきた。どうやら着替えを忘れてしまったらしく、お母さんに電話をしても出なかったとのことで。それもそうだ、ちょうど回覧板を回しに私の家へ来ているのだから。私は彼のお母さんに事情を話したのだけれど、もうすぐ仕事に出かけるらしかったので、私が着替えを持って行ってあげることになった。


会場に着くと、大勢の人がテニスコートに集まっていた。どうやら今日が決勝戦のようで、既に千石君の試合が始まっている。健太郎君と東方君は惜しくも青春学園のダブルスチームに負けてしまったようだ。私に気がついた太一君がフェンスを開けてくれたので、健太郎君への届け物を渡して、近くのベンチに腰掛けた。


しばらく試合を眺めていると、なんとあの千石君が青春学園の2年生に負けてしまった。勝者の彼は、最後に大の字になって倒れ込んでいた。千石君もいつものへらりとした笑顔を見せていない。お互いそれほど死力を尽くしたのだ。とても感動的な試合で、周りの人も二人に拍手を送っていた。


彼等がコートを去ると、次の選手が入ってきた。青春学園は帽子を被った小さな男の子。山吹中は亜久津君。ものすごい体格差だ。しかも向き合った二人の雰囲気はなんだかとてもピリピリしている。試合が始まってすぐ、帽子の彼、越前君のサーブが亜久津君の顔に当たってしまい、コートは一触即発状態に。


みんなこの試合に釘付けになっていた。もちろん、私もその一人。亜久津君の動きはとてものびのびとして型にはまらないとても自由な、そして荒々しい力のテニス。相手の越前君という選手は始めは亜久津君に翻弄されていたけれど徐々に動きについてきて場面を盛り返した。試合の後半、亜久津君は緩急をつけて大人のプレイスタイルのテニスを始めた。けれど越前君も負けじとそれに食らいつき、とうとう越前君の勝利という形で決着がついた。亜久津君は最後に越前君の胸ぐらを掴んだけれど、暴力を振るうことなく一応穏便に試合は終わった。山吹中は負けになってしまったけれど、関東大会には進めるようで大健闘だと思う。


表彰式も終わって、帰ろうかと思ったら亜久津君が太一君と話している場面に遭遇した。太一君はテニスを辞めるという亜久津君を必死で説得していたけれど、亜久津君は太一君の目指す姿は越前君だと諭してその場を後にしていた。木の影からお母様も出てきていて、亜久津君に声をかけていたけれど、彼は少しだけ照れながらも来てんじゃねーよ!と怒鳴っていた。でも不思議と本気で嫌がっているような感じではないように思えた。親子の触れ合いに水を差すのも悪いと思った私はコートの方へ戻り、テニス部のみんなと一緒に帰路へ就いたのだった。





テニスと亜久津君




「あっ!」

「健太郎君?どうしたの?」

「す、水曜からだっけ、テスト……」

「う、うん、去年はもう少し遅かったのにね。」

「……爛、帰ったらノート貸してくれ。」









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