期待しちゃっていいですか




一昨日からずっと寝ても覚めても上鳴君のことが頭を離れない。無理もない、私は、彼に恋をしているのだから。正直、恋愛感情の『好き』の気持ちはこれまで感じたことがない。幼稚園の頃は男の子の友達も数人いたけれど、幼い私に恋愛感情なんてわかるはずもないしおそらくこれが私の初恋なのだろう。認めたくはないけれど。


時間とはなんて無情なのだろう。来るな来るなと思っていても、必ずその時はやって来てしまうのだ。時刻は現在11時10分。私は待ち合わせの約束をした例のマックの前にいる。遅い。11時と指定したくせに。一体どこで油を売っているのだろうか、とスマホを見ると、彼から大量の着信の連絡が。折り返しかけてみるとすぐに電話は繋がった。


「もしもし?上鳴君?」

「さっちゃん!ごめん!電車一本遅れちゃった!もう降りててあと4,5分でそっち着くから!」

「そう……先に入って待ってていいかしら?」

「もちろん!むしろ席取っといてほしい!」

「わかったわ。気をつけて。」


…………平然と話せただろうか。まずい。顔が、痛い。頬が、痛い。口角が上がりそうなのを無理に抑えているからだ。これから、会えるのだ。認めたくないけど、認めたくないと思っているということはそれは事実でしかないのだ。そう、彼は、私の、好きな人。





「それでさ、そんとき切島ってヤツが……」

「へぇ、彼の個性ってそんな風にも利用できるのね。便利で羨ましいわ。」

「でしょ!?いやー、アイツは自分の個性を地味だなんだっつーけど俺は好きだなぁ。あっ、それとさ、口田ってヤツもすげーんだ!動物と話せるらしくて…………あ、あと、ヤオモモは個性もすげぇけど頭も良くてなぁ……それから……」


彼の話は先ほどからクラスメイトの話ばかりだ。どれもこれも、クラスメイトを褒める話ばかりで、いかに彼が友達思いの優しい人なのかがよくわかる。まだ同じクラスになって1ヶ月程度なのに、そこまでみんなのことを把握しているのもすごいと思う。きっと上鳴君の友達も彼のことを自分の友達に紹介する時は必ず「友達思いの優しい人」というフレーズを使うだろう。


「……あっ、俺ばっか話してごめん!つまんなくない?大丈夫?」

「大丈夫よ。お気遣いありがとう。A組は個性豊かな人ばかりで毎日楽しいのね。聞いてる私も楽しいわ。」

「そ?それならよかった!」

「J組だって負けてないけどね。」


と言ってポテトに手を伸ばした時だった。上鳴君と私の手がちょんっと触れ合ってしまった。お互いすぐにぱっと手を離して、顔を上げると、顔を赤くした上鳴君が触れ合った手を口元に当てていた。何、この反応。


「ごっ、ごめん……」

「別に、気にしてない、けど……」

「気にしてない、の?」

「……気にしてる、けど、その、謝られるようなことじゃない、から。」

「気にしてくれてんの?」

「……何が言いたいの?」


よくわからない押し問答。頭は悪くないはずなのに、よくわからずに軽く首を傾げたら、上鳴君は視線をキョロキョロと泳がせながらぼそっと呟いた。


「手、触って、その……ビリビリってきたっつーか……」

「……それは貴方の個性では?」

「い、いや!そっちじゃなくてさ!……さっちゃんは?何も感じなかった?」

「……例えば?」

「それ俺に言わせちゃうの?うーん……恥ずかしい〜!とか、照れちゃう〜!とか、そーゆーの?」


あまりにも一瞬のことだったから特に深くは考えなかった。けれど、いざ思い出してみるとどうだろうか。上鳴君の指先と私の指先がちょんっと触れ合って、それで……やだ、なんだか顔にぎゅっと血が集まって熱くなってきた。林檎ちゃんみたいに真っ赤になっているんじゃなかろうか。


「……あのさ、俺、期待しちゃっていいんかな?」

「き、期待?何を?」

「あ、いやー、こっちの話!」

「なんか今日はそっちの話がえらく多いわね……」

「そんなことないって!ほら、ポテト食べちゃおーぜ!」


上鳴君はぱくぱくとポテトを摘み始めたけれど、私はまた指先が触れてしまうんじゃないかと思うとなかなかポテトに手を伸ばすことができなかった。そういえば、髪の毛、引っ張られなかったな……


食事を終えてお店を出たら、上鳴君がずいっと紙切れを2枚差し出してきた。1枚取ってと言われたので素直に受け取って印刷されている文字を確認したら、水族館の入場券であることがわかった。


「水族館行こうぜ!クラスの動物好きなやつから聞いたからオススメ!」

「動物園じゃなくて水族館なの?」

「それは俺も思ったけど触れないで!ほら、行こう!ね!」

「ふふ、ごめんなさい。あ、お金払うわ。」

「いや!今日はデートだから!男の俺に奢らせて!」

「……お言葉に甘えます。」


こういう時は男性を立てたほうがいいのだろうか、それとも同じ高校生なのだからそんな気遣いは不要だろうかと一瞬悩んだけれど、この底抜けの良い人なら何度言っても自分が出すと言って聞かないであろうことは安易に予測できた。私の返事を聞いた上鳴君は嬉しそうにニッと笑うと、行こうぜ!と元気良く歩き始めた。


「すごい……!」

「すげー……口田の言った通りだ……」


歳の離れた弟もいるし、水族館には何度も何度も足を運んだことはあるけれどこんなに幻想的なのは初めてだ。まるでプラネタリウムにいるようだ。闇夜の空という海中をキラキラと星のように輝きながら泳ぐ魚達の姿はまるで無数の流れ星。なんて美しいんだろう。魚達の美しい姿に心を奪われていると、突然天井からアナウンスが聞こえた。どうやらイルカのショーがあるみたいだ。上鳴君に誘われてそちらの方へ足を運んでみることにした。


「さっちゃん!すげーなイルカって!頭良いなー!」

「足し算ができるなんて凄いわ……下手したら上鳴君より賢いかも……」

「えぇっ!?お、俺だって足し算くらいできるぜ!?」

「せめて掛け算って言いなさいよ……」

「ぐっ……!い、言い返せない……」

「ふふっ、面白さならイルカより上かもね。」


なんてやりとりを笑いながら交わしていると、はっと気がついたことがある。上鳴君との距離がやたらと近い。1メートルなんて距離はとっくに越してきている。にもかかわらず、なぜか私の個性が発動しないのだ。そういえば先程ポテトを食べていた時も個性が発動しなかった。上鳴君がイルカプールの方を向き直した時、こっそりバッグから例の定規を出してそっと私と彼の間の距離を測ってみた。





50センチ





人、ひとり分といったところだろうか。私と彼の物理的距離が50センチに縮まっている。こんな、こんなことがあるのだろうか。


そんなことに気を取られていたためか、いつのまにかイルカのショーが終わっていたことに気が付かなかった。上鳴君が面白かったなーと立ち上がった時、私も一緒に立ち上がったのだけれど、例の旋毛の辺りの髪の毛がくいくいっと後方に引っ張られた。


「きゃっ……!」

「さっちゃん!?あっ!?」

「きゃああああっ!!」

「す、すみません!息子の不注意で……!」


やはり個性は正常のようだ。4,5歳くらいの男の子が後方から走ってきたら何故かスリップしてしまい、転んだ拍子に私のスカートを掴んでしまってそれがずり下がったのだ。幸い黒いタイツを穿いているものの、スカートが下がってしまったということに羞恥の気持ちが湧いてしまい、大声を出して少し泣いてしまった。高校生にもなって恥ずかしい……と下を向くと、涙目で私を見上げる男の子の姿があった。


「ごめんね!ごめんね!う、うぅ……」

「あっ、な、泣かないで!大丈夫!大丈夫だから!」

「おれのせい……?」

「ううん!え、えっと、このお兄ちゃんのせいよ!」

「おっ、俺!?な、なんでェ!?」

「くっ……何その顔!ふふっ!」

「へんなかおー!あはは!」


上鳴君が勢いで鼻水を垂らしながら本気で慌てたような顔をしたもんだから、男の子と顔を見合わせて吹き出して笑ってしまった。上鳴君は目をぱちぱちと瞬きさせると、二人が大丈夫ならいーや、なんて言いながら鼻を啜ってへらりと笑っていた。


この後も水族館を楽しんで、気付けば時刻は夕方の16時。遠くまで来ていたし、そろそろ帰ろうかと話あって、駅までの道を歩いている。隣の距離は50センチ。やはり個性が発動する兆しはない。


「最寄りに着くの、17時過ぎだよなー。飯行くには早いよなー。」

「夕飯食べて帰るなら家に電話しないといけないんだけど……」

「いや、遅くまで連れ回すのも悪いし今日はやめとこ!また次回ってことで!」

「そうね……お気遣いありがとう、次回、期待してるわ。」

「……えっ?」

「えっ?」

「あ、いや、な、なんでもない!」


この後上鳴君はやけに無口になってしまった。けれども表情はニヤニヤしていてとてもやかましかったので、機嫌が悪いわけではないようでほっとしながら、二人で隣同士並んで静かに駅まで向かったのだった。





期待しちゃっていいですか




いやいやいやいや、今日のポテトの時もだけどさ、そんなことよりも次回のデートがあるってさ、絶対脈アリじゃね?期待しちゃっていいんじゃね?
えっ、今日一日結構良いムードだったし?殴られてねーし?つーか距離近くね?なんか良い匂いするしさ?えっ、マジ?やっぱ飯行く?いやでも瀬呂にダメって言われてるしやめたがいいな、うん、次のデートがあるし!そうしよ!うん!


「何百面相してるの?」

「えっ?あっ、い、いや、今日楽しかったなーって!」

「……そうね、こういうの、悪くないわね。私もすごく楽しかった!」


……コレ、期待しちゃっていいですか?








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