ばらばら、割れて




上鳴君の、ばかやろう。マイナスの感情で心がいっぱいいっぱいになってしまって、私はA組の寮を飛び出してしまった。自分の部屋へと猛ダッシュ。ダメだ。耐えられない。涙と鼻水が止まらない。今時幼稚園児でもこんな泣き方はしないだろう。ぐすぐすと鼻を啜っていたら、部屋のドアがダンダンと乱暴に叩かれた。上鳴君かな、と一瞬期待してしまった自分に嫌気がさす。あんな人に期待なんてしたくない。


「さっちゃん!いんだろ!?俺!切島!開けてくんねーか!?」


予想外だった。外にいるのは切島君?なんで?どうして?と思ったけれど、彼の性格を考えたら当たり前のことだった。けど、もし上鳴君が一緒にいたら……という杞憂すらも彼にはお見通しのようで。


「俺一人だから!大丈夫だから!なっ!頼むよ!」


私は黙って部屋の鍵を開けた。途端に切島君が勢いよくドアを開けて、私の顔を見るなりギョッと目を見開いた。


「なっ……あっ、お、俺、出直して……」

「……ううん、入って。」

「あ、で、でもよ……」

「いいの。」

「……ちょっと邪魔すんな。」


切島君は私のトートバッグを回収して来てくれたようだ。中身は置いて来ちまった、と気まずそうに言っているけれどそれは別に気にならない。素直じゃない私が気になるのはもちろん一つだけ。


「なんとなくさ、最近気づいたんだけどよ……」

「何?」

「その、アイツのこと、なんだけど……」

「上鳴君?」

「……やっぱ呼び方、上鳴に戻ってる、よな。」

「……えっ?あっ……」

「ん?あー……やっぱ無意識か?」


切島君に言われてハッとした。私は自然に上鳴君と心理的距離をとってしまっていたようだ。なるほど、切島君はこのことに気がついていて、だからあんな風に私に話を聞きに来たのか。類は友を呼ぶと言うけれど、流石コミュニケーション力の塊のような上鳴君の親友、といったところか。


「……今初めて気がついたわ。」

「俺ァてっきり上鳴のこと嫌になったのかなんて……あ、嫌と言えば嫌なのか……」

「さっきのは流石に精神的に……」

「悪ィ、俺が連れてっちまったから……」

「切島君は悪くないわよ……」


シーンと気まずい空気になってしまった。まるでお通夜ムードだ。


「……俺が上鳴に言おうか?男なら惚れた女泣かすなよ、って。」

「他人に言われなきゃわからないようじゃ一生わからないと思うわ。」

「……それもそうだわな。」

「いつも話を聞いてくれてありがとう……」

「ん?いや、気にすんなって!」


切島君にはいつもお世話になりっぱなしだ。上鳴君と付き合う前も、付き合い始めた後も、今だってそう。私は、好きになる人を間違えてしまったのだろうか。こんなに辛くて苦しくて切ない思いをするぐらいなら、いっそ……


「切島君を、好きになれば、良かったのかな…………」

「はァ?いや、冗談でもそりゃー……」


ガシャン!!


「うおっ!?な、なんだァ!?」

「きゃあああっ!!」


突然部屋の外から大きな音が鳴った。よく見たら部屋のドアが少し開いているではないか。いち早く反応した切島君が慌ててドアに近付いて、勢い良く開けたら割れたグラスの破片、こぼれたジュースやお菓子が散らかっていて、付近には焦った顔の瀬呂君とボーゼンと立ち尽くす上鳴君がいた。私と切島君の顔を交互に見てぱちぱちと瞬きした上鳴君は、へらりと笑って切島君に向かって話しかけた。


「……そーゆー、こと?」

「……は?」

「さすが切島……男らしく正面からって?」

「い、いや、おめー何言って……」

「……ごめん、瀬呂、コレよろしく。俺、帰るわ。」

「はァ!?いや、おい、ちょっ……上鳴!待てよ!」


上鳴君は一度も私の方を見ないままくるりと向きを変えて歩き始めてしまった。まずい。今、この誤解を解かなきゃ取り返しのつかないことになる。私は自分の失言を謝罪するために勢いよく部屋を飛び出した。


「かっ、上鳴君っ!待って!」


上鳴君はぴくっと肩を跳ねさせて、ぴたりと歩みを止めた。そして、振り返ってはくれないまま言葉を紡ぎ始めた。空気は、重い。


「……あのさ、しばらく距離置いていい?」

「えっ……」

「お互いさ、時間、必要じゃね?」

「じ、時間?」

「そ。さっちゃんは切島と俺、どっちが本命かはっきりさせてくんない?」

「なっ……!?」


カチンとくるとはよく言ったものだ。今がまさにそれだ。自分の失言が原因だけれど、まさかそんなことを言われるとは思わなかった。どっちが本命って……貴方がそれを言うの!?そもそも誰のせいで今こんな空気になったと思ってるの!?怒り、悲しみ、悔しさ、いろんなマイナスの感情が混ざって爆発して、遂にはこんな発言が飛び出してしまった。


「上鳴君なんか大っ嫌い!!」

「へ……へぇ〜!?そう!?随分お早い決断で!!」

「何それ!?私を浮気者にしようってワケ!?冗談じゃないわよ!!貴方が先に……!!」

「はァ〜!?意味わかんねーんですけど!?俺がいつどこで誰と浮気したっつーの!?」

「よくもっ……!!そんなことっ……ぐすっ……」

「……!?あっ……!」


怒号が飛び交う中、切島君と瀬呂君はあわあわと交互に私達を見ていた。大声で言い争うのが恥ずかしいのもあったけれど、図星をつかれて私は何も言えなくなってしまったことが悔しかった。そして、滝のように涙が出始めた。上鳴君の言う通り、彼は浮気なんてしてはいないのだ。耳郎さんは仲の良い、いや、ちょっと仲が良すぎるくらいの友達なのだ。ただ、それだけのこと。とどのつまり、私の心が狭いということ自明してしまったことによる悔しさや恥ずかしさから涙が止まらなくなってしまったのだ。


「え、えっと……さっちゃん、あ、あの、俺……」


さっきまであんなに煽り口調でカッカしていた上鳴君も、流石に態度を改めたようだ。けれど、もう遅い。彼が私に対して不信感を持っているのは否めない。切島君と自分のどちらを好いているのかと、そんなことを思っているのは事実なのだ。私が耳郎さんとの仲を理由に彼に対して猜疑心を持ったのと同じで、彼は切島君との仲を理由に私に対して猜疑心を持っていたのだ。これじゃ心理的距離が開くのも当たり前だ。


「……みんな、帰って。」

「えっ、い、いや、でも……」


最初に口を開いたのは瀬呂君だ。


「一人になりたいの。」

「で、でもよォ……泣いてるヤツ、放っておくのは心配っつーか……」


次に口を開いのは切島君だ。


「お願い……」

「…………」


上鳴君は何も言わない。


かと、思いきや。


「……さっちゃん、ごめん。泣かせるなんてさ、失格だよね。彼氏としても、ヒーローとしても。」

「…………」

「はぁ……やっぱさ、距離、置こう。どうするか、ちゃんと考えよ?」


私の返事を待たず、じゃーね、と上鳴君は早足で歩いて行ってしまった。何も言えなかった私が悪いのかもしれないが、大きな溜息をつかれた上に、どうするか、つまり、別れも視野に入れて考えようという彼の意思表示がかなりきついものになった。瀬呂君と切島君はかなりバツが悪そうに少しだけ近寄ってきた。個性が発動しない程度の距離に。


「あー……姫尋さん、ごめん。上鳴誘ったの俺なんだよね……」

「瀬呂君は、何も、悪くないわ。」


泣いてしまって鼻を啜っているからか言葉が途切れ途切れになってしまう。


「いや、どっちかっつーと俺のせいだわ。ごめんな。俺が寮に行こうっつったから……」

「行くと決めたのは、私。切島君は、悪く、ないわ。」

「……お互い、誤解してっからさ、ちゃんと話した方がいいと思うぜ。ただ、文化祭期間は……俺らっつーか、特に上鳴はバンドで忙しいからさ、文化祭終わってからとかになんのかな……」

「距離、置くんだもの。弁えてるわ。」


瀬呂君と切島君は顔を見合わせて黙りこくってしまった。無理もない。私が自分の心の狭さと醜さを撒き散らしながら自分達の親友と大喧嘩をしたのを目の前で見ていたのだから。この後に及んで、私は悪くない、なんて思うほど馬鹿じゃない。私が、悪いのだ。そんなことは百も承知だ。なんて、惨めなんだ。


「あ、あのさ、さっちゃん……」

「ごめんなさい、早く一人になりたいの。」

「……わかった。なんかあったら、いや、なくても遠慮なく声かけてくれよな。」

「つっても、話し相手くらいにしかなんねーかもだけどさ……」

「ありがとう……」


切島君と瀬呂君は割れたグラスの破片やこぼれたジュース、落ちたお菓子などの処理をして、肩を落として歩いて行った。割れたのがグラスだけならどんなによかったことだろう。グラスだけじゃなく、私達の信頼関係も割れてしまったような気がした。





ばらばら、割れて




やっぱりこんな私が男の子を好きになってしまったのが間違いだったのだろうか。せっかく、初めてこんなに好きな人ができたのに。一度止まったはずの涙がぽろりぽろりとこぼれて、堰を切ったようにあふれ始めてきたのだった。








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