羨ましいのは




上鳴くんから受け取った定規は中々役に立っている。例えばあの葡萄みたいな髪型の小人男子がわざとすっ転んで50センチの範囲に入ろうとしてもこの定規で引っ叩くことができたり。実際、変な紫のボールをくっつけようと滑走してきたことがあったのだけれど、彼の定規のおかげでことなきを得たのだ。全く、高校生にもなって……それ以前に彼はヒーロー科所属なのに、なぜ人の嫌がることをするのか、理解不能だ。


そういえば、あの葡萄男子のおかげでこの個性について1つわかったことがある。どうやら1メートル程度の距離をとっていれば旋毛のあたりから伸びたアンテナのような髪の毛は動かないけれど、その距離を侵されると少し頭頂部がくすぐったく感じるのだ。個性の発動は50センチからで、少しの猶予距離がある。その危険な距離を完全に目視で測ることができるようになったのだ。距離を意識するようになったのも彼のくれた定規のおかげかもしれない。こうして少しずつ自分の個性についてわかっていくことは少しだけ嬉しく感じる。例えこんな個性でも……なんて想いを馳せていると突然旋毛の髪の毛がぐいぐいっと後ろに引っ張られる感覚が。


ブワッ!!


「きゃっ……!」

「く、黒のレース……!?」


しまった。先程工事現場の近くを通った時に看板から突き出ていた突起に脚が掠ってしまい、履いていたタイツが見事に裂けてしまっていたのを失念していた。つまり今は下着を見られる状態ということ。ゆっくり後ろを振り向くと青い顔をした上鳴君が引きつった笑顔を浮かべていた。


「…………」

「あ……お、おはよ!いやー、今日はセクシーなパン……」

「デリカシーってモノを知りなさい!!」


ドゴォッ!!


「ぎゃあああああっ!!」

「もう!!なんで突風が吹いた所に上鳴君が……いや、上鳴君が来たから突風が吹いたのね……」

「あ、朝っぱらから、なんつーパワー……」


もうこの挨拶もお馴染みだ。もうこの学校に入学してそろそろ1ヶ月が経つだろうか。会うたび会うたび、1メートル以上近寄ってくるのは彼だけだ。大概の男子は私の一撃必殺の攻撃を恐れて無闇に近づいてこなくなってしまったのだ。近づいて来るとしても、必ず私に声をかけてくれるし、このアンテナのような髪の毛が動くことはない。けれどもこの男、上鳴電気は何度言っても突然この1メートルの危険な距離を侵そうとしてくるのだ。


「痛いのが嫌なら近寄らなければいいのよ。」

「んなこと言ったってさー……だってさっちゃんともっと近くで話したいじゃん?だから50センチの距離はその物差しで線引きしてくれれば個性は発動しないっしょ?」

「貴方、物好きね……」

「ん?俺が好きなのは可愛い女の子!」

「アホらし……」


この男、上鳴電気はチャラチャラした見た目に反して真面目で……なんてことはなく、見た目通りのチャラ男である。もちろん女好きというのも言動からすぐにわかる。全く私とは正反対の人間だ。どうしてこんな彼とそこそこ距離が縮まってしまったのか、自分でもよくわからない。


「…………なぁ、さっちゃん、俺の話聞いてる?」

「あ、ごめんなさい、ボーッとしてたわ。もう一度言ってもらえる?」

「うん、あのさ、もーすぐ体育祭じゃん?プロヒーローもいっぱい観に来るし、テレビ取材なんかもあるわけじゃん?」


そう、雄英高校体育祭といえば国をあげての大きなイベントと言っても過言ではない程の行事である。主にヒーロー科の生徒が活躍するため、スカウト目的の現役プロヒーロー達も本学に大勢やってくる。ヒーロー科は言うまでもないけれど、普通科からヒーロー科への転科を狙う者や自身のアイテムを披露して企業の目に留まりたいサポート科の者など、とにかく多くの生徒がこのイベントに心を燃やしている。正直、輝く個性を持っている生徒が羨ましくないと言えば嘘になる。まぁ、こんな個性に何の期待もしちゃいないから特に落胆の感情もないけれど。


「そうね……上鳴君は素敵な個性をしっかりアピールした方がいいわね。」

「そうなんだよなー。俺、頭良くねーし、ここで頑張っとかないとなー。さっちゃん、応援してくれる?」


上鳴君はいつも見せないやけに真剣な表情で私の目を見ていた。いつもの元気な、どこか気の抜けたへらりとした笑顔じゃない。彼のこんな顔は初めて見たような気がする。あまりの真剣さに思わず口籠ってしまうほど。


「え?ええ、まぁ、その、と、友達、だからね……無理しないで、頑張ってね。」

「よっしゃ、頑張る!……あ、あのさ、ご褒美があった方がもっと頑張れるかも……なんちゃって……」

「ご褒美……?」


さっきまでの真剣な表情はどこへ行ったのか。今度は少し邪なことを考えているときの、デレッとした笑顔になった。どうせ彼の言うご褒美なんて、やれマックに付き合ってくれだのカラオケに行こうだの、いつも彼がフラフラしている場所へ付き合えといったものだろう。そう思ったのだけれど、またしても彼は真剣な顔つきに変わった。


「あのさ、俺、個人戦で良いとこ見せれるよう頑張るからさ、さっちゃんが俺のこと頑張ったなーって思えたらデートしてくんない?」

「デート……?」

「そ、デート。さっちゃんと二人でどっか行きてーの。」


実は彼と二人で出かけたことはない。今日まで何度かマックへ行ったりアイスを食べに行ったりしたけれど、そこには必ず瀬呂君や葡萄男子など、彼のクラスメイトが一緒にいたのだ。前回は女子生徒、確か芦戸さんと言ったか、彼女とたまたま鉢合わせて一緒にアイスを食べたけれど、これまた気さくで話しやすい方だったのをよく覚えている。そんな素敵な友人達ではなく、私と二人で?一体彼にとってなんのご褒美になるのだろうか。


「それがご褒美になるの?」

「もちろん!」

「ふぅん……」

「……ダメ?」


やっぱりあの真剣な表情は見間違いだ。今度は捨て犬みたいな目でチラチラ見つめてくるもんだから、笑いが込み上げてきてしまった。年頃の男性はみんなこうなのだろうか、それとも上鳴君だけなのだろうか。全く、見ていて飽きない人だ。


「……ふふっ、頑張れたら、ね。」

「マジ!?やった!!俺マジ良いとこいけっかも!!マジ頑張るから!!」

「はいはい……あ、じゃあ私こっちだから。」

「あ、さっちゃん!今日の放課後は部活?」


いつの間にか校門をくぐっていて、もう昇降口に近づいていた。いつものように彼と別れようとしたところで、放課後の予定を聞かれてしまった。大方、また放課後の寄り道のお誘いだろう。最近、私は美術部に入部した。別科の友達を増やすのに部活動はいい機会だと思ったからだ。美術部に決めたのは、見学の際にたまたま知り合った普通科の女の子がとても可愛くて優しい子で、友達になろうと声をかけてくれたことがきっかけで。そして今日はその活動日というわけだ。


「ええ、参加するつもりだけど……」

「そっか!んじゃ、帰り途中まで一緒に帰ろうぜ!」

「……考えとく。」

「よっしゃ!じゃ、また後でラインする!」

「私も帰れるようになったら一応連絡するわ。」


こうして上鳴君と別れて、上履きに履き替えようとしていると、例の可愛くて優しい女の子の姿が見えた。ぱんぱんに膨らんだリュックを背負ったまま、かなり身長差のある尻尾の生えた男の子と楽しそうに話している。彼女の真っ赤な顔はまるで林檎のようだ。おそらく彼女等は恋人同士なのだろう。あの距離感は普通じゃない。じいっとお互い赤い顔で見つめ合い、照れ笑いをしながら何度も目を逸らしている。身体の距離はそれなりに離れているけれど、心の距離は確実にぴったりと触れ合っているに違いない。


「いいなあ……」


口を衝いて出てきたのは羨望とも思える言葉だった。一体何が?恋人の存在?いや、違う。恋愛的に好きな男性なんていないもの。親しげな存在?いや、それも違う。生憎、高校の友人達とはまだそれほど打ち解けられてはいないけれど、中学の頃の友人なら沢山いる。


違う。


羨ましいのは距離だ。


自然に触れ合える距離。


誰と?


好きな人と?


いや、私に好きな人なんていない。


じゃあ、親しい男の子?


不意に頭に響く声。





『さっちゃん!マック行かね?』





「……ないない。」


一応、彼は友人と呼べるけれど、わざわざ触れたいとは思わない。いや、思えない。私のこの個性をまさにラッキースケベだと感じている彼に自ら触れたいだなんて思うはずがないだろう。しかし、あの距離を羨ましいと思ったのは事実で。


自分の中の矛盾というか、なんというか、もやもやと広がる霧のようなものの正体がわからずなんとなく気分の悪さを感じた私は、今日の授業中ずっとあの女の子と尻尾の彼のことや上鳴君のことばかり考えていて、あっという間に放課後を迎えてしまっていたのだった。





羨ましいのは




「こんにちはー……」

「あっ!さっちゃん!こんにちは!」

「あ、えっと、林檎、ちゃん……」

「う……そ、そのあだ名、美術部全員に浸透しちゃってるんだ……」

「嫌だったかしら……?」

「ううん、そんなことないよ!えっと、す、す、すきなひとからも、ね、その、たまに言われちゃうの、林檎みたいだね、って……」

「好きな人……?」


真っ赤な顔に両手を当てて微笑む姿がとても可愛い彼女は美術部内で林檎ちゃん、と呼ばれている。そんな彼女の好きな人、間違いなく今朝の尻尾の彼だろう。好き、とはいったいどういう気持ちなのか。それがわかれば、あのもやもやした気分の悪さも解消するのではないだろうか。私はそっと自分の中の矛盾を彼女に打ち明けたのだった。









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lollipop