頑張れ、上鳴君




結局、上鳴君とは口を利かないまま……否、正確には一方的な沈黙なのだが、ついに体育祭を迎えてしまった。学校に行く足取りがとても重い。彼は何度も何度も私に謝罪の言葉をかけてくれたのだけれど、このモヤモヤした苛立ちが収まらなくてなんとなく彼を許すことができなかった。この感情にまだ名前はない。


いつもより早い電車に乗ったからか、かなり早く学校に着いた。早速運動着に着替えて少しだけ学内を散歩していたら、ちらほらウォーミングアップをしている人がいた。あの人達は確かビッグ3なんて呼ばれてる人たちだ。あっちにいるのは……確か普通科の心操君だったか、ヒーロー科編入を希望していると噂で聞いたことがある。そこにいるのは新製品を試すサポート科の人だろうか、小型の機械をベイビーと呼んで可愛がっている。どの科も今日という日に懸けているのだろう、私達経営科はなんとなく参加しているに過ぎないけれど、ああいう人達を見ると精一杯やろうという気持ちにはなる。そんなことを考えていると突然旋毛のあたりから伸びた髪の毛がぐいぐいと後ろに引っ張られた。咄嗟に大きく一歩前に出て、くるりと振り向き壁に背中をつけると、バツが悪そうな上鳴君と困ったような顔の瀬呂君が立っていた。


「さっちゃん、この前は本当ごめん……」

「…………」

「なんか言ってくんない……?」


私が沈黙を貫いているからか、上鳴君の声は今にも消え入りそうだ。どうしたもんかと目線を斜め上に逸らすと、長身の瀬呂君とぱちりと目が合ってしまった。彼は小さくあーと唸ると気を引き締めた表情で口を開いた。


「姫尋さん、何か言ってやってくんない?俺からも頼むからさ。コイツがこんな大人しいの初めてでさ、多分、本気で参ってんだよね。」

「…………何のことを謝っているの?」

「えっ……この前、胸触っちゃったこと、とか?」

「……それについては、林檎ちゃんも言ってたし、わざとじゃないんでしょう?わかってるわ。」

「あ、え、っと……林檎ちゃんに馴れ馴れしくした、から?」

「それなら謝るべき相手が違うんじゃないかしら。彼氏の尾白君、とても心配そうな顔してたわよ。」

「……あの日、追いかけなかったから?」

「……馬鹿ね。追いかける云々以前の出来事でしょう?」

「そ、そっか、う、うーん……えっと……」


的外れなことばかり。だけど仕方のないことだ。怒りの理由なんて、私自身にもわからないのだから。別に彼が誰と何をしようが私に関係ないのに、いちいち何を不愉快だと感じているのだろうか。自分でもわからないことが彼にわかるわけもあるまい。


「……ごめんなさい、どうして不機嫌なのか、私にもわからないの。」

「……えっ?」

「何度も謝らせてごめんなさい。今回の件は水に流しましょう。」

「え、じゃ、じゃあ……な、仲直りっつーことでいーの!?」

「そうね……あ、瀬呂君に免じて、ということにしておくわ。」

「俺!?あー……まぁ、上鳴が元気になるならなんでもいーや、良かっ……うわっ!おい!やめろ!」

「瀬呂ォ〜!お前がいてくれて良かったー!マジ俺のヒーローだわ!」


上鳴君は喜びのあまり瀬呂君に抱きついていたのだけれど、当の瀬呂君は顔を引き攣らせて彼を引き剥がすのに必死になっていた。こんなに一喜一憂する程、私との、いや、友達との関係を大切にしているというのは少しだけ意外だった。彼が友達想いだということは理解しているものの、やはりその軽薄な性格から、友達が一人減ったらまた別の友達に、といったタイプだとばかり思っていたからだ。少々失礼ではあるけれど。


と、戯れ合う二人を見ていると、ふと、彼との約束を思い出した。


「今日、頑張ってね。応援、してるから。」

「え?」

「ご褒美があれば頑張れるんでしょう?」

「……!?マ、マジで!?さっちゃん、俺、頑張っちゃ……うわっ!!」


彼は瀬呂君から離れて私の方へ大きく足を踏み出した。きっと手でも握ろうとしていたのだろうけれど、それよりも早く私は手提げから素早く定規を取り出し、50センチの範囲への侵入を阻んだ。いくら友達とはいえ、真正面からこの危険な距離を詰められてたまるものか。1メートルですら、安全だとは言えないというのに。


「それ以上は危険だから近づかないで。」

「き、厳しいなあ……」

「貴方がくれたんでしょう?」

「そ、そうだけどさあ、ほら、仲直りにちょっとくらいサービスしてくれても……そ、そんな怖い顔しないでよ〜!!」


じとりと上鳴君を見上げると怖い顔、だなんて言われてしまった。当分こんな風に彼を見つめるのはよそう。なぜだかわからないけれど、怖い顔、と言われて少しショックだったのだ。


「……ふふっ、ごめんなさい、ちょっと悪ふざけが過ぎたわ。あ、もう控室に行かないと……失礼するわ。」


さっと彼等の間を抜けて、控室へと走った。扉を開けるとJ組のみんなが笑顔で迎えてくれた。どうやらここにいないのは私一人だったらしい。このクラスのいいところはこれだ。男女関係なくひとりひとりを大切にしているところ。そのおかげか、このクラスの男子が1メートルの距離を侵しても私の髪は微塵も動きやしないのだ。流石に50センチの距離は危険だが……と、ぼんやりしていたらすぐ近くにいた女の子がこちらに駆け寄ってきた。


「姫尋さん、遠女の体育祭はどんな感じだったの?うちも女子校だったけどなんか怖くってさ〜!」

「え?そうね……ドラマとかでよくある陰湿な反則なんかは見たことがなくて、みんな正々堂々として……体育の授業の一環って感じだったかも。」

「そうなんだ!私のところはリレーの選手決めでよくケンカになったり、騎馬戦では引っ掻いてくる子がいたり大変だったよ〜!」

「そ、それはなんとも……雄英はそんなことないと思うから安心ね。」

「うん!すごく楽しみ!ま、ヒーロー科の晴れ舞台になっちゃうんだろうけど〜!」


なんてことを話しているともうステージに出て行く時間になっていて。私と彼女は話の続きをしながらゾロゾロと出て行くクラスメイトの後を追った。





主審のミッドナイト先生の進行に従って、なんとも非常識そうな男子生徒の宣誓、いや、宣言か、ともかくそれにより雄英高校体育祭は幕を開けた。第一種目は障害物競走らしい。私は個性を活かせるわけでも無いし直ぐに敗退するだろう。まぁやるからには一生懸命やるけれど。


ということで予想通り、私は第一関門、ロボ・インフェルノでリタイアしてしまった。抜け出て行くこともできたのだけれど、私のそばを通ろうとする男子のおかげで頭が引っ張られるわ個性が発動してお尻や胸を触られるわ、散々な目にあってしまったからだ。全く厄介な個性だ……


「幸ちゃんもリタイア?私もだよ〜、大食いの個性なんて何の役にも立たなかったよ!」

「何でも食べれる鉄の胃袋ってわけじゃないのね。」

「そう!ただただ食べ物を沢山食べられるだけ!あーあ、つまんな……わあっ!!」


観客スタンドに上がってクラスメイトと合流したところで、周りから大きな歓声が沸き起こった。どうやら1位の生徒が戻ってきたようだ。周りのみんなはどのように彼を売り出すかとか飲み物やお菓子の売り子をするとかで盛り上がっている。要するに暇なのだ。


じーっとステージを眺めているとわらわらと生徒たちが戻ってきた。それから今朝見かけた心操君……最後にお腹をおさえた男子がよろよろと戻ってきたところで第一種目の通過者が確定した。キョロキョロと見渡すと無事に上鳴君も通過者の中に入っていたようで、ほっと一息つくことができた……なぜ私がほっとしたのだろうか。わからない。いや、今は知る必要はないのだ。ゆっくり考えれば良いのだから。


「……頑張ってね、上鳴君……」


私の本当の気持ちは小さな言葉となって誰に聞かれることもなく溶けて消え去ってしまったけれど、私の胸の中から消え去ることはなかったのだった。頑張れ、上鳴君。





頑張れ、上鳴君




「瀬呂ひっでーよ!ピョーンって上から行っちまうんだもん!」

「え?お前も通過してんだからいーじゃん。」

「良かねーよ!あーあ、どうしよ、瀬呂の方が頑張ったから瀬呂とデートするなんて言われたら……」

「デート?誰と?」

「は?え、あ、え、っと……俺と瀬呂!」

「はぁ!?」








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