「尾白!待てって!マジで!落ち着けって!」
視界が真っ暗で頭がクラクラする。誰かが後ろで何か叫んでるけど全然耳にも頭にも入らない。息をするのも苦しくなって来て自然と足が止まる。気づけば俺は屋上に来ていた。
真は本当に優しい、それに真面目で誠実な子だ。他人を傷つける冗談なんて決して言わない。つまりこれは現実、受け入れがたい、残酷な、現実、なんだ。
「尾白!尾白!俺の声、聞こえるか!?」
「……ごめん、聞こえてる。」
俺に呼びかける声の主がやっと上鳴だとわかった。友達の声すら判別できなくなるほど真の言葉は衝撃的だった。
「尾白、記憶喪失なんてドラマや漫画の世界ではよくある話だろ、時間が経てばきっと……」
「それは架空の世界の話だろ!これは現実だ……俺はそんな風に割り切れない……」
「尾白……わりぃ、俺……」
「いや、ごめん上鳴……友達に当たるなんて俺、最低だ……」
「あんま自分のこと追い詰めんなって……ほら、砂藤達も心配してっからひとまず一緒に行こうぜ?な?」
「うん……」
上鳴に背中をさすられながら教室まで歩いて戻った。既に教室には相澤先生が居て、俺の顔色が相当悪かったのだろう、保健室に行くことを勧められた。今一番行ってはいけない場所だから、大丈夫です、とだけ告げてそのまま午前中の授業を受けた……と思う。正直教室に戻ってからの記憶がほとんどない。
昼休みになっても空腹の感覚がなく、昼食を食べることもままならなかった。何を口に入れても味がしない気がする。午後からは演習だったけど、その顔色では参加させられないとのことで相澤先生から保健室に行くよう指示された。心配してくれた上鳴が付き添ってくれようとしていたけど彼の貴重な時間を俺のせいで潰したくはないので丁重に断って保健室ではなくA組の教室に戻った。
シーンとして誰も居ない教室。思えばA組の教室に居てこんなに静かなのは初めてではないだろうか。まるで時間が止まってしまい、動いているのは自分だけのように感じる。机に突っ伏して目を閉じてみても、目蓋の裏に浮かぶのは真の林檎のように真っ赤な可愛らしい笑顔ばかりで。目頭が熱くなってきた。どうして、こんなことになってしまったんだろう、考えることに少し疲れてしまった。ここ数日ろくに眠れてなかったのもあって、俺は微睡の中へと落ちていった。
「……じろ、尾白!大丈夫か?」
「…………かみ、なり?」
「ったくよー、保健室行っても誰もいねーし、心配したぞ!」
「……授業は?」
「まだ授業中。でも、どうしてもお前のことほっとけなくってさ。わざと爆豪の攻撃受けて抜けてきた。」
自分のことをこんなにも想ってくれる友人がいることを嬉しく感じて涙が溢れそうになる。今は、今だけは、自分の気持ちを吐露しても許されるのでは、と思って俺はぽつりぽつりと話し始めた。
「俺、真のこと、守れなかった。」
「……ん。」
「……泣かせたく、なかった。」
「……ん。」
「好き、なんだ。忘れられてしまっても、俺は、真が、好き、なんだ。」
「……うん。」
上鳴は相槌を打つだけだが、真剣な顔で俺の言葉を一つ一つ受け止めてくれている。
「でも、もう、真の世界に、俺は……いない。」
「……ん。」
「俺は、真が、笑ってくれればそれでいい。」
「……うん。」
「だから、俺、真には近づかない。もう、真が、彼女が傷つくのを、彼女が泣くのを、見たく、ないんだ。」
「…………それ、本気で言ってんのかよ。」
上鳴は見たこともない形相で俺を睨み、聞いたこともない低い声で呟いた。もし相手が上鳴ではなく真であったなら、きっとあの綺麗な目に見つめられて俺の言葉の本意を汲み取られていたに違いない。真を傷つけて泣かせた俺が彼女にしてあげられることなんて、せめて俺のことを忘れさせて平穏な日々を送らせてあげることくらいだろう。
「彼女が幸せになってくれればそれでいい。」
「そーかよ……話くらいはいつでも聞いてやるよ。」
「……ありがとう。」
「ん、無理すんなよ。じゃ、俺戻るわ。」
そう言って上鳴は演習場へ戻って行った。俺はというと授業が終わるまで時間を持て余すだけだ。心配してくれた相澤先生の心遣いを無駄にするのも良心が痛むので、上鳴が誰も居なかったと言っていた保健室に足を運ぶことにした。
保健室に学生は誰もいなかった。リカバリーガールは俺の顔を見た途端、ベッドに横になることを勧めてきた。余程酷い顔色をしているのだろう。保健室には複数ベッドが置いてあるが、リカバリーガールが促したベッドは皮肉にも今朝彼女が使っていたものだった。
柔らかくて手触りの良い掛け布団をめくって身体を潜り込ませると、ほのかに甘く優しい香りが鼻腔を擽る。今まで幾度となく嗅いだその香りに、先程、上鳴と話した時は目頭が熱くはなったものの流れはしなかった涙が止め処なく溢れ出した。
彼女の幸せを心底願っているのは紛うことのない事実。だけど、ひとつだけ、ひとつだけ我儘を言っていいのなら。
もう一度…………
叶うわけもない我儘を自分の中に閉じ込めて、俺は再び微睡の中へ落ちていった。
キミの幸せが僕の全てで
もう一度、キミのそばに居させてほしい
***
「ずっと見てきたんだっつーの。騙されねぇよ俺は。」