思い出はキミの
心の奥底に



目が覚めると時計は16時半を指していた。身体を起こして軽く伸び、カーテンを開けると俺の荷物を持ってきてくれた上鳴がいた。


「よっ、目ぇ覚めた?」

「上鳴……」

「お前今朝途中で飛び出して行ったから知らねーよな。サッカー部の男子のシュートが逸れて、真ちゃんの友達に当たりそうになったのを真ちゃんが庇ったらしいぜ。しかも衝撃で倒れて壁で頭打ったとか……多分これが原因だよ。」

「そうなのか……教えてくれてありがとう。」

「ん、じゃ一緒に帰ろうぜ。」

「俺なら大丈夫だよ。」

「よく言うぜ……自分の顔、見てみろよ。」


上鳴が黄色い手鏡を投げてきた。うまくキャッチして自分の顔を見ると、乾いた涙の痕が。それにひどい顔色だ、みんなが心配してくれるのもうなずける。ひとまず家に帰ろうと思い、彼と共に学校を出た。


上鳴は全く違う方向から通学しているはずなのに、今日は心配だからと俺を家まで送ってから帰るとのこと。彼の優しさが心にしみる。帰り道ではずっと今日の演習で峰田が八百万に抱き着こうとして大砲で撃たれたのが面白かっただの、飯田が珍しくエンストして勢い余って壁に激突していただのと、どれも普段なら笑える話ばかりで空気を明るくしようとしてくれていた。話は面白いけど、やっぱり俺の頭の中から彼女の可愛らしい笑顔が消えなくて。それもそのはず、立ち止まって右を見るとあの大きな木のある公園、そう、先日、ちょうどこの位置で真を泣かせてしまったから。


「ごめん、上鳴。ちょっと、ここの公園寄ってもいい?」

「いいけど……この前話してくれた公園だろ?……辛くねえ?」

「……少しだけ、だから。」


俺たちは公園に入ってあの木にゆっくり近づいていった。上鳴は、デケェ……とこの木のあまりの大きさに驚嘆している。俺は前に歩み出てそっと木に触れた。初めて真と出会ったあの日、この公園の木の下で俺と真の全ては始まった。この木には思い出がたくさんある。木から落ちる彼女を救けたこと、初めて彼女が頬を林檎の如く染めるのを見たこと、デートの待ち合わせをしたこと、告白して恋人同士になったこと、一緒に本を読んだこと、彼女が俺を枕代わりにして昼寝をしたこと………他にも、たくさん。


一緒にいた時間はそんなに長い訳ではないが、それでも、もう数えきれないほどの思い出がこの場所に、そして、俺の記憶の中だけにある。彼女の記憶に、思い出は、もう、無いんだ。感傷に浸っていると、背後にいた上鳴が小さく驚きの声をもらしたのが聞こえた。


振り返るとそこには頭に包帯を巻いた真、その背後には2人の親友と例の男子生徒がバツの悪い顔をして立っていた。彼女の髪は下ろされていて、いつも後ろで赤く光っている髪留めはもうそこにはなかった。まるで俺と真の絆が切れてしまったことを体現しているようで胸がひどく痛む。沈黙した空気が痛い。誰かが口を開く前に、俺は立ち去った。すれ違い様に彼女が小さく、待って、と言った気がしたけど気のせいだと思いそのまま足を進めた。上鳴はそこに佇んだままだった。呼びかけるのもバツが悪く、公園の外で背を向けて上鳴が来るのを待った。





「真ちゃん……具合はもう大丈夫なん?」

「うん、壁にぶつかったとき、少し血がでちゃったからまだ包帯してるけどもう大丈夫だよ。それより……あの尻尾のひと、朝、保健室に来てくれたひと?」

「うん……あいつのこと、知らない?」

「うん。でも、たぶん、あのひとはわたしのこと、知ってると思う。」

「どうして?」

「朝……すごく、辛そうな顔、してたから。本当は病院終わってからまっすぐ帰るつもりだったんだけどね、どうしてもここに来たかったの。あのひとが、いるような気がして。なんでかわからないけど……」

「そっか。……怪我、お大事にね。俺、尾白が待ってっから行くわ!」

「…………おじろ、くん……?」


上鳴は真と何か話していたみたいだけど全然聞こえなかった。正直すごく気になるけど優しい上鳴のことだ、大方怪我の具合でも聞いていたんだろう。上鳴がこっちに来て、そこから2人で俺の家へ向かって歩き始めた。


「上鳴、今日はありがとう。俺、上鳴と席が前後で良かったよ。」

「そこは友達って言えよ!」

「……くくっ、ごめんごめん。」

「ん、ちょっとは笑えるようになってくれて良かった!んじゃ、また明日な!」

「うん、本当にありがとう。気をつけて。」


上鳴と別れてからの記憶もやっぱりはっきりしない。どう頑張っても頭の中から真が消えない。もう何日も何週間も経った気がする。これが今日たったの1日、正確には数時間の出来事だなんて信じたくもない。しかし明日からもまたA組での騒がしい日常が待っている。変わってしまったのはもう俺の隣に彼女がいないこと、ただそれだけ。だが、俺がいつまでもこうして気を病んでしまっていては上鳴や砂藤をはじめとした友達はもちろん、真本人にも迷惑をかけることにもなり得る。


「明日……行きたくないな……」


そっと呟いた数秒後にはもう意識を手放していた。





朝は誰にも必ず平等にやってくるわけで。体内時計とは頼んでもいないのにこうも毎日正確に同じ時間に意識を呼び起こすものなのかとうんざりする。家族に心配をかけたくなくて、いつも通り支度をして、いつもより少し遅い時間に家を出た。


教室に着くと多くの友達が声をかけてくれた。ほとんどが俺の体調不良を心配するものだったようで、昨日の朝に関する如何なる話題にも触れる者はいなかった。いや、むしろできなかったと言うべきか。それから今日は1日普段通りに過ごすことができた……だろう、多分。何事もなく無事に1日を終えることができた。帰りは昨日と同様上鳴と一緒に。


そしてまた翌日。


さらに翌日。


もう真と距離を置いて1週間。だが今日もきっと彼女がいないこと以外は普段通りの日常が送れるだろう。そう思っていた。しかし、言わずと知れた怖いもの知らず、爆豪勝己によっていとも簡単に崩されることになった。


「おい尻尾。てめェに客だ。」


どこかで聞いたような台詞に心臓が大きく跳ねる。


「……誰?」

「……サッカーの服着たモブ男とデケェ女、それと眼鏡女。」

「……わかった。」


俺に用があるというのは真の親友2人組、それと一昨日保健室と公園で見たあの男子生徒。この服装で思い出した、何処かで見たはずの彼は以前、俺が真と初めて手を繋いで一緒に帰った日、真のことが好きだと言っていた彼だった。彼が一体俺に何の用なんだろうか。まさか、これから彼女は自分のものだ、なんて宣言でもしにきたんだろうか。しかし彼の口から出たのは正反対の言葉だった。


「尾白くん、統司さんを救けてあげて欲しいんだ……もうオレ見てられないよ……」

「真、昨日、あんたの名前、口にしたんだよ。」

「真ちゃん、尾白くんのこと頭では覚えてないかもしれないけど、でも、きっと心の奥底では覚えてるんだよ!」


口々に思い思いのことを話すもんだから何を言われているのか全くわからなかったけど、後ほどゆっくり時間をとって彼らの話を聞いた時、俺はかつて体験したことない、まるで滝のような涙を流したのだった。





思い出はキミの心の奥底に




「…………ましらお、くん?」







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