朝はあまり時間がなかったので、昼休みに屋上で話を聞いた。俺は普段涙を流しやすいタイプではなく、こんなにも涙を流したことに彼らはもちろん俺自身も心底驚いた。彼らの話とはこういう内容だった。
***
「真、怪我の具合、もう大丈夫なの?」
「うん!病院の検査も何ともなかったし、もうすっかり元気だよ!心配かけてごめんね!」
「統司さん、今日もどこか寄って帰る?」
「うーん……できればそうしたいかも。」
「私達も付き合うからね。行きたいところ、どこでも行ってね。」
「うん!みんなありがとう!」
真はあれからもいつもと変わらぬ日常を送っていた。しかし、彼女は自分の中で何かが欠けていることに気がついていたのか、放課後にあそこに行きたいここに行きたいといろんな場所に足を運んでいたらしい。親友の2人は彼女が俺のことを思い出そうとしているのではないかと小さな希望を持ってそれに付き添っていたようだ。ちなみにサッカー部の彼は怪我をさせた罪悪感から彼女に付き添っているだけで下心などはないと力一杯語ってくれた。
怪我をした日は病院帰りにあの公園の木を見たいと。その翌日は校内の家庭科室に寄った後、あの横断歩道の辺りをぐるぐると。さらに翌日は彼女のお気に入りの店で苺のショートケーキを食べて本屋へ向かったとか。ここ数日の彼女が辿った軌跡を聞けば聞くほど涙が溢れて止まらない。それは、全部、全部、俺と彼女の大切な思い出が詰まっている場所で。記憶がないはずの彼女の心の中には確かに俺の欠片が残っていたのだ。
そして事件は本屋の帰りに起こったらしい。本屋の近くには青い歩道橋がある。俺も何度か渡ったことがあるが、あの歩道橋の階段はとても急で、身体が小さめな真は上り下りするのに必ず子ども用の手すりを掴んでいたのをよく覚えている。その階段を下っていたとき、老朽化していた手すりが壊れてしまい、彼女は勢い余って転び落ちそうになったとか。彼女が再び怪我をしたのではないかと話の途中で立ち上がってしまいそうだったが、そこは例の彼が背後から腕を掴んで事なきを得たらしい。だが、その時彼女の口から飛び出したのは衝撃的な言葉だった。
「こ、怖かったよお!!猿夫くん、ありが……………ましらお、くん?」
「真!?あんた今……」
「ましらお、くん……って、誰?」
「統司さん……」
「真ちゃん、今日までに行ったところ、その、猿夫くんが関わったりしてない?」
「…………あたま、いたい。」
***
そして真は倒れてしまい、今日は学校を休んでいるらしい。ちなみに、倒れた彼女はどうしたのかと聞くと、たまたま本屋の向かいのCDショップから出てきた上鳴がその場に出くわして、サッカー部の彼と上鳴が彼女を家まで交代でおぶって帰ったとか。なお、その上鳴は今日学校を休んでいる。まさか連日俺が迷惑をかけていたばっかりに体調でも崩してしまったのだろうかといささか心配になる。
彼らは真が無意識に俺を探し求めている姿があまりにも辛くて切なくて、早く林檎のように可愛らしい真っ赤な顔で俺の隣をちょこちょこ歩いている真に戻ってほしい、と口々に述べた。俺だって、できることなら1秒でも早くそうしたい。けれど、彼女の記憶に俺がいないのは事実で、今更彼女の前にどんな顔で現れれば良いというのか。1週間前、あの公園の付近で俺は彼女を傷つけて泣かせてしまい、先日はあの木の下で彼女は困ったような泣きそうな顔を俺に向けていた。あんな顔をさせるくらいなら、と言い訳をして彼女に会いに行けない弱虫な自分を情けないとさえ感じる。……誰も口を開かない緊張した空気の中で、そっと口を開いたのは彼だった。
「尾白くん、オレ、今も統司さんのこと、好きだよ。」
「えっ…………」
「でも、オレ、わかったんだ。尾白くんのことが好きな統司さんのことが好きなんだよ。」
彼は何を言っているのか。彼にとって俺は恋敵で、彼女の記憶に俺がいない今こそ絶好のチャンスのはずなのに。
「だからさ、早く統司さんには尾白くんのこと思い出してもらいたいんだよね。統司さんの辛そうな顔、見たくはないし。」
「うちらだって同じだよ。真のあんな顔、見たくない。」
「尾白くん、私、真ちゃんから聞いたよ。真ちゃんが小学校の修学旅行で私達とお揃いで買ったマスコット、壊しちゃったんでしょ?」
「あっ…………」
俺と真を繋いでくれて、そして俺が壊してしまったあのサルのマスコット。そういえば春を迎えるにしては酷く寒かったあの日に、友達とお揃いなんだ、と嬉しそうに話していたっけ。
「真ちゃん、言ってたよ。『マスコットが壊れたのは確かにショックだったけど、猿夫くんに悲しい顔させちゃった』って。『わざとじゃないってわかってたのに、わたし、パニックになっちゃって、猿夫くんが泣きそうな顔してて、傷つけちゃったのが怖くて逃げちゃった。』って。」
一瞬訳が分からなくなった。けど、つまり、あの日、彼女が涙を流して走り去っていったのは俺が買い直すと言ったことが直接の原因ではなく、心優しい彼女は、自分のせいで俺が傷ついたと思って居た堪れなくなってしまったというのだ。彼女の大切なものを壊したのは俺なのに。それでも彼女はこんな俺のことを真っ先に考えてくれたのだ。涙が、滝のように溢れて止まってくれない。
「真のマスコットなら大丈夫だよ。てかウチのゴリラなんか片足取れてるけどそのままだし。」
「真ちゃんのサルは私が縫っといたよ!黄色いリボンも鈴も、もう取れないように首に縫い付けておいたから。」
「あ、ありがとう……」
この人達も本当に良い人達で、俺も真も良い友達に恵まれたなと痛感した。彼らの話を聞いて、これから俺はどうしたいのか、そんなことは明白だけれど、一体どうすれば良いのか、ということは不明瞭で。一旦自分の心境の整理も兼ねて、明日にでも上鳴に話を聞いてもらってから動いた方がいいだろうと思った俺は涙を袖で拭い、彼らにもう一度お礼を告げてそっと屋上を後にした。
そういえば今日休んでいる上鳴は大丈夫だろうか…………
キミの心、僕知らず
ピンポーン
「はあい、どちら様………上鳴、くん?」
「真ちゃん、ちょっと話あんだけど、今大丈夫?具合悪かったら出直すよ。」
「あっ、あがっていいよ。ちょっと待ってね、お母さんに言ってくる。」
「ん、わかった。あんがとね、助かるよ。」
「お母さーん、あのね、お友達が…………」
「…………勝手に動いて悪いな、尾白。」