幼い頃、大きな大きな木の下で、見ず知らずのわたしを守ってくれたヒーローがいる。綺麗な金髪と大きな尻尾が特徴的なヒーローにわたしは初めての恋をした。
でも、幼い頃の記憶はだんだん風化していって、いつのまにか彼のことを忘れてしまっていた。
中3の冬、大きな大きな木の下で、見ず知らずのわたしを救けてくれたヒーローがいる。綺麗な金髪と大きな尻尾が特徴的なヒーローにわたしは人生で2度目の恋をした。
その相手は、幼い頃好きになったあの尻尾のヒーローだった。
彼は、いつだって、どこだって、たとえわたしが記憶を失くしてしまったって、必ずわたしを救けてくれた。……だけど今回ばかりはさすがにどうにもならなくて。涙ならもう出ないってくらい泣きはらしたはずなのに、それでも枯れてくれることはない。いつも、泣かないで、って涙を拭いてくれる彼はここにいない。
周りを見ても誰もいない。
広い教室も、大好きな親友も、楽しいクラスメイトも先生も。
視界にあるのは見慣れないお部屋と慣れ親しんだわたしの私物だけ。
猿夫くんに、会いたい…………
***
「ひっ、こし?」
「そう、仕事の都合でね。真をここに1人で残すわけにはいかないだろう?」
お父さんは何を言っているんだろう。あんなに頑張って勉強して、大好きな親友達と、そして、大好きな猿夫くんと同じ高校に入ったのに。どうして転校しなきゃいけないんだろう。お父さんの話は全然耳に入ってこなくて、わたしはぼろぼろ泣くだけで。
「真、急に悪かったね。でも、引越しまではまだ時間がある。大切な友達もいるだろう。きちんとお別れを済ませなさい。私とお母さんも近々雄英の先生方や近所の方へご挨拶に伺おうと思っているよ。」
「やだよ……」
わがままを言っているのはわかっている。浮かんでくるのは幼稚園の頃からの親友達やクラスメイトに先生、中学の友達はもちろん、ヒーロー科の友達、そして大好きな猿夫くん。みんなとお別れしなきゃいけないなんて急に言われても受け入れられるわけがない。お母さんをチラリとみても、悲しそうな顔で黙ってるだけ。お父さんが一度大きな咳払いをしたことにびっくりして慌ててお父さんの方を向き直した。
「真、辛い気持ちはわかる。だけど、仕方のないことなんだ。行き先は九州でね、まだ詳しい勤務地が出てないから決められていないけど……また話をしよう。」
「わたしは、ここに、いたいよ……」
お父さんはすごく優しい言い方をしてくれたのに、逆にそれが現実を受け止めさせるようですごく辛かった。涙はぼろぼろ溢れて、どれだけ拭っても止まらなくて。お母さんがそっとわたしを抱きしめてくれたけど、それでも涙は止まらなかった。
次の日、当然の如く朝はやって来た。雲一つない快晴なのに、わたしの心はずーっと晴れてくれない。朝ごはんもちょっとしか食べられなかった。もうすぐ猿夫くんが家を出る時間だったけど、今はなんとなく猿夫くんに会いたくなくて、ラインで、体調が悪くてお母さんに連れて行ってもらうから先に行ってください、と連絡した。すぐに心配する旨の返事が来てたから、可愛いお猿さんのスタンプで大丈夫!と返しておいた。
お母さんにお願いして、車で学校に連れて行ってもらった。車を降りるとき、お母さんが何か言いかけてたけど今は聞く耳を持てなかった。なんとなく教室に行くのが嫌で保健室に行ったら、A組の怖そうな男の子がいた。確か体育祭で優勝してたひと。よく見たら掌が焦げているから、きっとその治療のためここへ来たのだろう。リカバリーガールが消毒薬や包帯を用意しているのが見えた。ボーッとしてたら急に話しかけられてびっくりしてしまった。
「おい。」
「…………」
「おい!そこの林檎!」
「は、はい!わ、わたし?」
「他に誰がいンだよ。」
「わ、わたしです!」
「……元気そうじゃねェか。」
「……え?」
「尻尾が心配しとった。」
尻尾。それはわたしの大好きな彼のことだ。目の前の男の子と話してるとき、正直少し怖かったから、ちゃんと話を聞かなきゃと思ってついつい目を大きく開けてしまっていた。だから、猿夫くんが心配してくれているのは本当のことなのだろう。といっても猿夫くんのことを考えれば個性を使うまでもないけれど。
「そっかあ……教えてくれてありがとう、わたし、統司、統司 真。えっと、統司は大丈夫です、って伝えてもらえるかな……」
「あ?大丈夫ならてめェで言えや。」
至極真っ当な答えに思わず言葉が出なくなってしまった。確かに、大丈夫じゃないからわたしはここへ来たんだ。大丈夫ならとっくになんらかの方法で連絡をするに違いないもの。そんなことも考えられないほどにわたしの心は疲弊してるみたいで。何も言えずにいると怖そうな男の子は大きく舌打ちをした。ビクッとしてしまったらそれにイライラしてしまったのか、でも、今度は少し小さく舌打ちをした。
「どっか痛ェのか。」
「え?」
「どっか痛ェのかって聞いてんだ!さっさと答えろや!」
「え、え、えっと……心が痛い……のかな。」
「ンだそりゃ。」
このひと、言葉や態度は乱暴だけど、もしかしたら本当はちょっぴり優しいひとなのかもしれない。猿夫くんにわたしのことを伝えようとしてくれているのがなんとなくわかる。
「自分でも、まだ、わからなくて……」
「ハッ。意味不明だわ。まァいいわ。尻尾にゃてめェがここで……」
「ま、待って!やっぱり、猿夫くんには何も言わないで!」
「言えとか言うなとかハッキリしねェ女だな!メンドクセーからヤメだ。俺ァ関係ねェ。勝手にやってろ。」
つまりどういうことなんだろう。わからなくて、じいっと目を見ながら聞いてみた。
「黙ってて、くれるってこと?」
「だからさっきからそう言ってんだろーが!!クソ林檎女!!」
なんて乱暴な言葉遣いなんだろう、とびっくりした。それにさっきから言ってるって言われても……というのが本音。けど、色は抜けてないから彼の言うことは事実、つまり黙っててくれるということ。
「ありがとう。えーと……」
「爆豪、これで治療は終わりだ。ほら、もうホームルームの時間だから行きなさい。」
「…………ケッ。」
怖そうな男の子……バクゴーくんは、不機嫌そうに保健室を出て行った。わたしはリカバリーガールに体調が優れないことを伝えた。すると、以前頭を打ったときに横になったあのベッドに案内してくれた。
リカバリーガールは職員会議があるからゆっくり寝てなさいと言って保健室を出て行った。シーンとして誰もいない保健室。わたしの頭の中はお引越しのことでいっぱい。何か他のことを考えたくてもなかなか浮かばないし、みんなとお別れなんて考えたくない。あれだけ泣いたのにまたしても涙が流れてきて、わたしはひとりで声を押し殺して泣いた。
枯れない涙
どこにも行きたくない
ずっとずっとみんなと一緒にいたい
猿夫くんの隣にいたい