言えない理由



いつのまにか意識を失くしていたようで。ハッと目が覚めたら時計は12時になる頃だった。身体は正直で、食欲は湧かなくても腹の虫が食べ物を求めている。リカバリーガールはわたしが起きたことに気づくと優しく声をかけてくれて、ベッド用のテーブルをかけてくれた。わたしはそこでお母さんが作ってくれたお弁当を食べた。


スマホを見ると親友達から心配のメッセージが来ていたから、保健室で休んでいる旨を送信した。猿夫くんからの連絡にはなんとなく返信できなかった。上鳴くんと透ちゃんからも連絡が来ていたけど、2人に返して猿夫くんに返さないというのは避けたいから、申し訳ないけどヒーロー科のひとからの連絡は見ないことにした。


リカバリーガールは何か悩みでもあるのかとわたしにとても優しくしてくれて、わたしは誰にも言わないでくださいと添えて、昨日のことをぽつりぽつりと話した。再び涙が流れてきて、彼女が綺麗なハンカチを貸してくれた。話し終えた頃、ハンカチはくたくたになっていた。


お弁当を食べたあと、今日の授業の科目を自分である程度進めた。転校してしまうとはいえ、此処での勉強を疎かにしていいわけではない。必要な教養なのだから。……数学以外の勉強は嫌いではないはずなのに、全く頭に入ってこない。お引越しのことで頭がいっぱいで、気分転換に大好きな読書をしようとしてもページは一向に進まなくて。困り果てたわたしは荷物を片付けてやっぱりベッドに横になった。





リカバリーガールに起こしてもらったら時計は16時過ぎを指していた。ヒーロー科の授業が終わる時間……もう少しここで時間を潰してもいいかと彼女に確認しようとした時、保健室のドアが開く音がして、すぐに聞こえたのは大好きな彼の声。


「リカバリーガール!緑谷が……!」

「ぼ、僕は大丈夫だよ、尾白くん!」


緑谷。体育祭で心操くんと闘ってたひと。リカバリーガールはハイハイとカーテンを抜けて彼らの方へ向かった。わたしはちらっとカーテンの隙間から緑谷くんと猿夫くんの様子を窺った。猿夫くんが背負っている緑谷くんの足はパンパンに腫れててすごく痛そうだった。でも、リカバリーガールが治癒を施したら緑谷くんの足はすっかり元通りになって爽やかな笑顔を見せていた。けれども猿夫くんの笑顔はなんだか元気がなくてちょっぴり寂しそう。


「尾白くん、連れてきてくれてありがとう。でも、君こそ大丈夫?その、まだ、連絡ないんだよね?」

「あぁ……うん、朝は普通に連絡来たんだけど。親に連れてきてもらうって言ってたのに学校に来てないみたいなんだ。帰りにお見舞いに行こうと思ったけどまだ返事がなくて、かなり具合が悪いのかなって心配で……」


猿夫くんに迷惑をかけてしまっている、そう思ったわたしは静かにリュックを開けて、猿夫くんにメッセージを送信した。



今起きた!明日は一緒に行こう\(・x・)/



これでよし。あとは、お母さんのお仕事が終わるまで保健室に匿ってもらおう。ついでに上鳴くんと透ちゃんにもお猿さんのスタンプで大丈夫!と返信しておいた。2人が保健室を出て行ったのを確認して、リカバリーガールにまだここにいてもいいかを確認したら、いつでも好きなだけ保健室を利用していいと笑顔で言ってくれた。


お母さんが迎えに来てくれてからの記憶ははっきりしない。寝る前に猿夫くんからお電話があったけどやっぱり出られなかった。次の日はさすがに約束を破りたくなくて、いつもの時間に家を出たら猿夫くんは既に待ってくれていた。


「真、おはよう。身体は大丈夫?」

「おはよう、うん、大丈夫かなあ、多分。」

「多分って……ほら、リュック貸して。」

「あ、うん、ありがとう。」


パチンとベルトを外して、猿夫くんにリュックを渡すと軽々背負ってくれた。ふたりで並んで歩き出したけど、手を繋いでいない。猿夫くんは立ち止まってしまって、少し不安そうな顔でわたしに投げかけた。


「真……俺のこと、嫌いになっちゃった?」

「えっ?そんなことないよ!」


どうしてそんなことを言うんだろう、手を繋がなかったからだろうか、みどりの返信が遅かったからだろうか……言葉が出てこない。けれど、先に口を開いたのは困ったように笑う猿夫くんだった。


「昨日、保健室にいたの、気付いてたよ。真の優しい甘い匂い、なんとなく感じてた。好きだからさ、わかるんだ。ここにいる、って。」

「……ごめんなさい。」

「あっ、怒ってるんじゃないんだよ。ただ、俺、真に何かしちゃったのかなって……」


やっぱりどこまでも優しいひとで、胸がぎゅうっと締め付けられるように苦しい。このひとが大好きで大好きでたまらないのに、もうちょっとで離れ離れになってしまう……心が砕けてしまうんじゃないかってくらい、酷烈な痛みを感じる。でも、やっぱりまだ話す勇気はなくて。わたしは猿夫くんに人目も憚らず思い切り抱きついた。


「猿夫くん、不安にさせてごめんなさい。嫌いになんてなるわけないよ。だいすきでだいすきで、苦しくなるくらい……昨日も本当は会いたかった。」


猿夫くんを見上げて一生懸命気持ちを伝えた。視界が不明瞭になったから、目に涙が溜まっているのだろう。猿夫くんはわたしの目元をハンカチでとんとんと拭いてくれて、頭をよしよしと撫でてくれた。


「さっき会ったとき、目がすごく腫れてたし、俺が何か傷つけちゃったのかと思ってた。俺も、真が大好きだよ。」

「猿夫くん……すき……」

「うん、俺も。……何か、悩み事があるの?」


猿夫くんは優しい笑顔でわたしに問いかけてくれた。話してしまいたいけど、きっと猿夫くんも悲しんでしまうのは明白だ。残された時間がただただ辛くなってしまうだけ。まだ、まだ言うときじゃない。残された時間は、猿夫くんの悲しい顔を見たくない、猿夫くんの笑顔を守りたい、もっともっと猿夫くんと一緒にいたい……でも、言わなきゃいけない、離れなきゃいけない……ぐるぐると思考が巡ってわからなくなる。どうしようとパニックになっていたら、猿夫くんが大きな両手でそっとわたしの両頬を挟んだ。


「猿夫くん……?」

「すぐ話せないことなんだね。話したくなったら教えて。」

「……わかるの?」

「わかるよ、ちゃんと見てるからね。ほら、学校行こう。友達も真のこと待ってるよ。」

「……うん!」


猿夫くんはニコッと笑ってくれて、わたしの手をきゅっと握ってくれた。わたしもニッと笑って手を握り返した。思えば一昨日から泣いてばかりで一度も笑っていなかったような気がする。猿夫くんにこれ以上迷惑をかけたくないわたしは、なるべく笑顔でいようと決めて、いつものように大好きな猿夫くんと手を繋いで大好きな学校へ向かうのだった。





言えない理由




猿夫くんの笑顔がいちばんだいすきだから

笑っていてほしいの

笑顔のわたしを覚えていてもらいたいの

だから、笑っていよう






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