初めて名前で
呼んだ日



「尾白くん、これあげる!師匠に新しく教えてもらったんだ〜!」

「え?……あ、うん、ありがとう。」


真がくれたのは綺麗にラッピングされた掌サイズのカップケーキ。師匠というのは俺のクラスメイトの砂藤力道のことだ。お菓子作りが大変上手で、よく真に色々なレシピやコツを教えてやっているらしい。だが、俺が少し言葉に詰まったのは彼のことではなく、真が珍しく俺を苗字で呼んだことで。


「真、俺のことそう呼ぶの久々だね。」

「え?わたし、猿夫くんのこと変な呼び方した?」

「あっ、戻ってる。いや、さっき、尾白くん、って……」

「あれっ。うーん、友達や師匠が尾白は〜ってたくさん質問してきたからかなぁ。うつっちゃったかも。」

「そういえば2人はいつから名前呼びなん?」


と、突然後ろから声がした。振り向かずともわかる、この声は上鳴だ。真は上鳴にもラッピングしたカップケーキを手渡して、彼はお礼を言いながら受け取り、それから真が答えた。


「付き合った後、初めてデートした時かな?ほら、アイス食べに行く途中で……」

「あぁ、アレね……怖い思いさせてごめんね。」

「ううん、全然!猿夫くんかっこよかったなあ……」

「アレってなんだよ。つーか真ちゃん、また林檎みたいになってら……」


上鳴に尋ねられて、俺と真の初々しく甘酸っぱい思い出の扉を開いてみることにした。





***



「尾白くん!待たせてごめんなさい!」

「全然、今来たところだよ。」

「よかったあ、それじゃ、行こっか!」


待ち合わせ場所の木の下にやって来たのは、白いブラウスに茶色の大きめのサロペットを着た可愛い真。頭には林檎の髪留めがキラリと赤く光っていて、この子が俺の彼女なんだと実感させてくれているようで嬉しくなったのを覚えている。この時はまだ手を繋ぐこともできなくて、お互いの顔を見るだけで赤くなってしまうような初々しさで……まぁ、今もそれは続いているのだが。


初めてのデートは無難に流行りの映画でも観に行くことに。映画館に向かってふたりで並んで歩いていると、後ろから突然誰かに尻尾を引っ張られた。


「よぉ、猿夫!卒業式以来じゃん!……うおっ、誰だよこの可愛い子!うちの中学にこんな子いたか!?」


尻尾を引っ張ってきたのは中学の友人で、外見は爽やかで所謂イケメンってやつ。性格も良いやつだが、ちょっと女ったらしなのが玉に瑕。彼が真に話しかけ始めると、真は俺の後ろに隠れて、ひょこっと顔を出しながらおずおずと返事をした。


「ね、名前教えてよ!」

「そ、苑辺野中の、統司 真です。」

「真ちゃんって言うんだ!可愛いね!高校はどこに行くの?」

「お、尾白くんと同じ雄英です。わたしは普通科です。」

「猿夫と付き合ってるの?」

「は、は、はい、つい最近、あの、お付き合い、させていただいて……えへへ……」

「……猿夫、いいなぁ。」


真は捲し立てるように質問をされても一つずつ丁寧に答えて、最後の質問には恥ずかしい時のお決まりの動作をしていた。


「もういいだろ?統司さんが困ってる。」

「へーへー、悪かったよ!猿夫、立派なヒーローになって真ちゃん守ってやれよ!んじゃ、俺、これから友達とゲーセンだから!また今度猿夫も遊ぼうぜ!」

「ああ、またな。」


友人は笑顔で手を振りながら元気に走って行った。真を見るとぽやーっとした顔で俺を見上げていて。


「どうしたの?」

「尾白くん……」

「うん?」

「わたしも、あのひとみたいに、猿夫くんって呼んでも、いいですか……?」


願ってもいない可愛らしいお願いで。俺はもちろん快諾した。彼女は嬉しそうに何度も何度も猿夫くん!と呼んできて、その度に俺はなに?と返事をした。正直俺もアイツのように彼女を名前で呼びたいと思っていたのだが、女の子を下の名前で呼ぶということに恥じらいがあって言い出すことができなかった。


その後、予定通り映画を見て、時間がまだあったから彼女の要望でアイスを食べに行くことになった。店に向かってふたりで歩いていたら、ガラの悪そうな男が走ってきて、真にドンっとぶつかって彼女のバッグをひったくって行った。


「ああ!待って!返して!」

「あっ、統司さん!?」


真は目を見張るほどの速さで走り出して、あっという間に男に追いつきそうで。俺も慌てて追いかけたら、既に彼女は男を追い抜かして、真正面から自分のバッグを取り返そうとしていた。


「離せチビ!」

「やだよ!返して!」

「クソ!喰らえ!」

「きゃあ!」


男に投げられた彼女の小さな身体は宙を舞った。俺は全力の助走からジャンプして彼女を抱きかかえて着地した。彼女は綺麗な瞳に涙を溜めていた。男はそのまま走り出そうとしたが、俺は彼女をそっと地面に下ろして、男に向かって跳び上がった。見事に尻尾の一撃が入って男は倒れ、無事に彼女のバッグを回収することができた。人が集まってくる前に少し外れたあたりの座れるところまで彼女を連れて行くと、彼女は怖かったのかぐすぐすと泣き始めてしまい、俺はおろおろすることしかできなくて。


「ご、ごめん、どこか痛む!?怖い思いさせてごめん!」

「ううん、平気だよ。救けてくれて、ありがとう。それより、猿夫くんは、ケガしてない?」


本当なら俺が先に行くべきだったのに、彼女に怖い思いをさせてしまった、と後悔が募る。怖かっただろうに、それでも彼女は一番に俺のことを心配してくれて。


「お、俺は全然!それより真が無事で良かったよ……」

「あっ……」

「うん?」


泣いていたはずの彼女は急に口角を上げて、みるみるうちに顔を赤くして頬を両手でおさえながら嬉しそうにこう言った。


「真って呼んだ……」

「あっ……ご、ごめん!」

「ううん、嬉しい……猿夫くん……」


思わず自分の欲求に従って無意識に彼女を名前で呼んでしまったようで。まだ付き合いも浅い女の子に失礼かと思っていたが、思いの外、彼女は嬉しいと思ってくれたようで花が咲いたような可愛らしい笑顔を見せてくれた。彼女が喜んでくれるなら、と勇気を出してもう一度名前を口にしてみた。


「……真、さん。」

「なんかよそよそしいよ。さっきみたいに呼んで欲しいな……」

「真……?」

「うん!嬉しいなあ……猿夫くん……」

「お、俺も嬉しいよ、真……」


こうしてしばらく名前を呼び合って照れあった後、アイスを食べに行って、そのあとはちゃんと家まで送って、初めてのデートは無事に終了した。





***



「お前らほんっと当初からラブラブなんだな……まさに運命の二人っつーか……」


俺の話を聞いた上鳴はげんなりした顔で言葉を漏らした。そして、運命の、という言葉を聞いた真は目を輝かせて幼少期の話をしようとしたのだけれど。


「そ、そうなの!あのね、上鳴くん、実は……」

「真、それは秘密なんじゃないの?」

「そうでした。えへへ……」

「は!?なにそれ気になるんですけど!?」


幼少期の話は以前真が自分だけの秘密だと言っていたし、何より俺があまりにもキザなのが恥ずかしいから口止めしてやった。話を逸らすために俺は別の話題を振った。


「そういえば真って中学でも文化部だったよね?」

「うん、リレーはいつもアンカーだし、運動部からもたくさん誘われたんだけど、あんまり走るの好きじゃなくって……」

「どうして?」


彼女は足を止めて少し困ったような顔で俯いた。するといつの間にか現れた峰田がとんでもないことを言ってしまった。


「わかるぞ!走ったりなんかしたらぜってー男子の目はそのデケェオッパイに釘付けだよな!いやー、たまんねぇ!」


俺も上鳴も赤くなって、真を見ると、自分の身体を抱きしめて真っ赤な顔になりながら、目に涙を溜めていた。それから、彼女は峰田くんのえっち!もうやだ!と言いながらあの時のようなものすごい速度で走り出して先に学校へ行ってしまった。





初めて名前で呼んだ日




「峰田……お前、あれほど真に失礼なこと言うなって……」

「お、オイラは男として当たり前のこと言っただけだ!オマエらだって統司ちゃんのデケェオッパイ好きだろ!?」

「ウェイ…………」

「ひ、否定はしないけど、それとこれとは話が違う!俺、真のところ行くから!また後で!あと、峰田は許さないからな。」

「わ、悪かったよ!だからその顔やめてくれェ!」









back
lollipop