さよならなんて
言えなくて



期末試験も間近で、猿夫くんはクラスメイトで成績の一番いい女の子の家でお友達と一緒に勉強会をすると言っていた。ちょっぴり寂しい気持ちになったけど、大好きな猿夫くんのためだと思って、頑張ってね、と笑顔で送り出した。ヒーロー科は演習試験もあるだろうし、試験期間が終わるまではお互い勉強や調整に専念しようねと約束した。夏休みに入ったらすぐ合宿もあるし、あまり遊べる時間はないかもしれないけれどたくさん思い出を作ろうね、と照れた笑顔で言われた時は、わたしは出来もしないくせに、笑顔で首を縦に振ってしまった。大好きなひとに嘘をついてしまった罪悪感で心に酷烈な痛みが突き刺さる。


猿夫くんと約束したし、これが雄英で受ける最後のテストだから頑張ろうと思って、大嫌いな数学を中心に勉強を進めていたある日の夜、お父さんが部屋に入ってきた。


「真、突然悪いね。引越し先が決まったよ、九州の福岡県だ。それと、引越しの日取りも少し早まってね、この日になったんだけど、もう友達とは話せたかな?」


早まってしまった……?なんて残酷なことを言うのだろう。お父さんの提示した日とスケジュール帳を照らし合わせたら全科の期末試験期間終了日の二日後で。わたしは泣きそうになりながらお父さんに尋ねた。


「あっちに行ってからはもう戻れないの?」

「真を一人にするわけには行かないからね。」

「お兄ちゃんはこっちで一人暮らししてるよ?」

「アイツは大学生だからね。住居の契約上、真を同居させるわけにもいかない。」

「……どうしても?」

「突然でごめんよ。一応、雄英高校とも何度か話をしていてね、転校先が決まるまでは学籍を置いておいて構わないとのことだったから、また学校が決まったら除籍のためにもう一度雄英に挨拶しに行こうと思ってる。真の新しい学校も決めなきゃいけないし、少し早めに向こうに行かなきゃいけないんだ。」

「除籍……新しい、学校……」


その言葉は深く深く深く突き刺さった。わたしは、もうすぐ雄英の生徒ではなくなってしまうんだ。こんなに大好きな学校を辞めなければならないんだ。そう思うと自然に涙が溢れてきて。お父さんはごめんよと言いながら優しくわたしを抱きしめてくれた。わたしはお父さんの服をびしょびしょに濡らしてしまった。少し落ち着いてから、わたしは電話で親友の2人にだけ引越し先と日取りを打ち明けた。泣かないように我慢したけど2人が泣いてしまってわたしも堰を切ったように不安と悲しみを漏らしてしまった。2人はたくさん優しい言葉をかけてくれて、毎年夏休みや冬休みにはどちらかが会いに行こうねと約束をした。通話の最後、2人から振られた話題はやはり猿夫くんのことだった。


夜中、わたしは猿夫くんのことで頭がいっぱいになってしまった。これまでの4ヶ月ちょっと、こぼれ落ちそうな程の優しい愛情をたくさんもらった。いつもそばにいてくれて、泣いていたら涙を拭いてくれて、たとえ記憶を失くしても変わらず愛情を注いでくれて、いつだってどこだってわたしを守ってくれるわたしのヒーロー。目を閉じれば目蓋の裏に浮かんでくるのは大好きな彼のことばかり。綺麗な金髪、かっこいい尻尾、優しくて、強くて努力家で……それから、いろんな表情、そして、一番大好きなあの笑顔。離れたくなんかない、ずっと彼の隣にいたい。でも、それは叶わない。ならば、せめて、彼をわたしの心に住まわせたい、彼にもわたしを覚えていてほしい、最後の思い出が、欲しい。でも、どうすれば……そんなことを考えていたら気づかないうちに意識を手放していた。


それからまた2,3日が経ち、なんとか猿夫くんの目を盗んでA組のお友達に話すこともできた。いずれにも猿夫くんには自分の口で伝えたいと前置きして、彼らからは決して伝えないでほしいことを伝えたら皆首を縦に振ってくれた。ちなみに行き先は親友にしか話さず、A組のお友達にはまだ決まっていないことにした。嘘をつくのは少し心苦しかった。でも、これで、これでいい。あとは残された時間をみんなの前で笑顔で過ごせればそれでいい……


心はとても辛かったけどテストはきちんと受けきった。土曜日にテストの結果発表が終わって、数学の赤点を無事に回避したわたしは一番に猿夫くんに会いに行った。


「真、テストお疲れ様。会いにきてくれて嬉しいよ。」

「猿夫くんもお疲れ様!あのね、猿夫くんにお願いがあって来たの……」

「うん?どうしたの?」

「あのね、明日の日曜日って、お時間あるかな?」

「あー……ちょっと待っててね。」


猿夫くんは一旦席を立つと、透ちゃんや上鳴くん、峰田くんと何かを話していた。3人はわたしに気付くと少し悲しそうな顔をしたけど、すぐに笑顔になって、猿夫くんの背中を押しながらこっちにやって来た。


「真ちゃんとデートかぁ、いいねいいね〜!」

「真ちゃん!尾白の靴とか服とか選んでやってな!」

「尾白チクショー!真夏の暑さよりアツイなんて地獄でしかねェ!」

「え?え?えっと……」

「気にしないで。明日、大丈夫だよ。」


聞いたところ、どうやらヒーロー科は夏休みに入ってすぐ合宿があるらしい。明日はそれに備えてみんなで木椰区のショッピングモールに買い物に行くんだとか。本来ならクラスメイトは大切に、って送り出したいところなんだけど、わたしにとってこれは最愛の人と過ごす最後の時間だったし、彼らもそれをわかっているのかわたしに猿夫くんを譲ってくれた。猿夫くんは上鳴くんと峰田くんとひそひそ話をしていて、彼らから何かを受け取ると尻尾の先まで真っ赤になって驚いていた。その隙に透ちゃんがわたしにこそっと話しかけてきた。


「尾白くんにはまだ言えてないの?」

「うん……それに、引越しの日付早まっちゃったの。もう月曜日には行かないといけなくて……」

「えっ!?そうなの!?……引越しても友達でいてね!絶対会いに行くよ!」

「うん、ありがとう。新しい学校が長い休みに入ったらまたこっちに遊びにくるかもだから、その時は透ちゃんに会いたいな。」

「私こそ是非!でも、本当にいいの?尾白くんのこと……」


わたしはその質問には答えられなかった。泣かずに耐えられるわけがなかったからだ。答えてしまえば、認めてしまうことになるからだ。早く言わなければいけないのは誰より一番わかってる。けれど、彼を前にしてさよならなんて言えるわけがない。わたしは、臆病で弱虫で卑怯者だ……まだ、引越すまでは、猿夫くんの彼女でいたいから、だから、笑って誤魔化してしまった。透ちゃんの制服の胸の辺りにしわが集まったからきっとギュッと握っているのだろう。本当に胸が締め付けられているように痛んで、わたしも同じように胸の辺りをギュッと握った。


これ以上ここにいると耐えられなくなるような気がしたから、口早にD組に戻ることを告げてA組を後にした。明日、明日が終わったら、もう、さよならしないといけなくて。だけど、どうしても笑顔のわたしを覚えていてもらいたいから、絶対に明日は一日泣かないぞと決意して、わたしはD組ではなく保健室へと走った。


リカバリーガールはわたしの瞳から溢れる涙を見た途端、ハンカチを渡してくれて、ベッドに案内してカーテンを閉めてくれた。今ここには誰もいないよ、とだけそっと告げてくれたから、わたしは大声を上げて一人で泣きじゃくった。





さよならなんて言えなくて




猿夫くん、猿夫くん

ずっとずっと一緒にいたい

さよならなんてしたくない

心が救けてって叫んでる

尻尾のヒーロー

わたしを

救けて



明日は楽しいデートのはずなのに

明日なんて来なければいいのになんて思ってしまった






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