「どうして焦げちゃうのお〜!もうやだよ〜!」
3日前、救けてもらったときの別れ際に、改めて何かお礼をしたいと申し出たのだけれど、当然のことをしただけだからって断られてしまった。わたしの気はおさまらなくて、どうしたもんかといつもお昼を一緒に食べている親友の2人に相談した。すると、手作りのお菓子でもプレゼントしてみたら、なんて素敵な提案をいただいた。今日は振替休日で普通科はお休みだけど、ヒーロー科は5,6限の時間に演習があるって猿夫くんが言っていた。というわけで、早朝から学校の家庭科室を借りてお菓子作りに挑戦していたのだけれども……まさかここまで自分にお菓子作りの才能がないとは。
「どうしよう……こんなんじゃ3時に間に合わないよお〜!」
泣きそうになりながら大きな声をあげた直後、ガラッと音を立てて家庭科室のドアが開いた。びっくりして勢いよく振り返ると、猿夫くんよりももっと背が高くてがっしりとしたプロレスラーみたいな体格の男の子が立っている。
「うおっ!先客がいたのか!」
「あっ、あっ、あの……?」
「おう、驚かせちまって悪いな。ちょっと砂糖をもらいに来たんだ。」
「砂糖……?」
「俺はヒーロー科の砂藤ってんだ、今日演習っつーこと忘れちまってて砂糖が足りなくてよ。……ってなんじゃこりゃ!」
砂糖が必要なサトウくんは、わたしが大量生産した真っ黒な物体を見てとても驚いている。不器用なのはわかっていたけど、お菓子作りがここまで下手な女の子は自分くらいだろう。なんだか恥ずかしくなって情けなくて、じわじわ涙腺が緩んできた。
「うう……ひどいよね、それ……」
「わ、悪い!そんなつもりじゃ……!」
「ううん、いいの。」
「お、おう………」
サトウくんに気を遣わせてしまい、いたたまれない気持ちになって、やっぱりお気に入りのお店のお菓子を買って猿夫くんにプレゼントしようと思った。こんなはずじゃなかったのに。クッキーになる予定だった真っ黒な物体を片付けていると、涙がぽろりとこぼれた。すると、ぎょっとしたサトウくんが慌ててわたしに声をかけた。
「お、おい、あんた、まだ時間あるか?」
「うん、時間なら大丈夫だけど……」
「良ければ、俺が教えてやろうか?」
「えっ?」
「こんなナリしてるけど、こう見えて菓子作りは得意なんだぜ!」
そう言うとサトウくんは家庭科室の奥に入っていき、エプロンと三角巾をつけて戻ってきた。すごく様になっている姿に思わず、おお〜!と声が出てしまった。サトウくんは、ちょっと待ってな、と言うと、ものすごい手際の良さで生地を作り、綺麗に形を整え、あっという間にオーブンへ向かっていった。
焼き上がるまでの間にお互いの学科の話をしたり、サトウくんの個性のお話を聞いたりした。彼の個性はシュガードープといって糖分を摂取することでパワーアップするものらしい。甘いものが好きなわたしにとってはなんとも羨ましい個性だ。
そして、あっという間にクッキーは焼きあがった。まるでお店に並んでいるような出来上がりだ。星形、ハート形、動物の顔。サトウくんに促されて星形のクッキーをぱくり。さくさくとした食感が心地よく、絶妙な甘さに思わず頬が緩む。すごい。こんな短時間でここまでのお菓子を作れるなんて。わたしは目を輝かせながらサトウくんを見上げた。
「サトウくん!すごい!プロの人みたい!」
「へへっ、ありがとな。……どうだ?俺でよけりゃあんたに作り方教えるぜ。」
「いいの!?ぜひ!お願いします!師匠!」
「師匠か……悪くねえな!よし、俺に任せとけ!えーと……」
「あっ、わたし、真!統司 真だよ!」
「統司 真……?あっ!そういうことかよ……!」
サトウくんはすごく驚いた顔をした。わたし、何かおかしなことを言ってしまったのかな。
「えっ?なに?」
「いや、なんでもねえ。よし、じゃ、俺が教えるから作業は統司が自分でやるんだぞ。」
「えええ!?む、む、無理だよお〜!」
「いーや!これは統司が全部一人でやらなきゃ意味がねえ!俺がちゃんと教えてやるから!な?」
「……し、師匠がそう言うなら!」
「よし!頑張れ!」
こうしてわたしの何回目かわからないクッキー作りが始まった。師匠は作るだけじゃなくて教え方も上手だった。事細かに指示を出してくれるおかげで、わたしが失敗したところがどこなのかが浮き彫りになり、どこに気を付ければいいのかがわかって、初めて作業が楽しいと思えるようになった。
1時間ほど経ち、師匠ほどとは言わないが、とても可愛らしいハート形のクッキーができあがった。ひとつかじってみると、さっくりとした歯ごたえで味も美味しい。
「や、やったあ!美味しい!美味しいです師匠!」
「おう!統司が頑張ったおかげだな!これで尾白の胃袋もがっちり掴めるっつーわけだな!」
「うん!…………えっ、なんで猿夫くんのこと……?」
「俺、A組だからな。ついでにこの後の演習、尾白とペアだぞ。」
「そ、そうなの!?でもなんでわたしと猿夫くんのこと……」
「峰田っつーやつがいつも言ってっからな。尾白が葉隠と喋ってたら『統司ちゃんにチクってやる!』ってな。」
「葉隠……?」
葉隠、という人のことも気になるけど、今はクッキー作りが成功したことを喜びたい。
「あ、悪い、そろそろ俺行かなきゃなんねー!終わったら尾白にここに来いって言っとくからな!頑張れよ!」
「あ、う、うん!ありがとうございます!師匠も頑張って!」
「お、そうだ。おい、統司、あのな…………」
「うん?」
師匠が去り際に耳打ちした言葉はとても衝撃的だった。しばらくぼーっとしてたけど、すぐにハッと我に返って、猿夫くんのために焼いたクッキーを可愛くラッピングして、彼が来るまで本を読んで過ごした。
6限が終わって少し経つと、廊下を走る足音が近づき、ガラッと音を立ててドアが開いた。
「真!待たせてごめん!」
「猿夫くん!お疲れ様!」
今日も猿夫くんはかっこいい、けど、急いで来てくれたのだろう、シャツがズボンからはみ出している。可愛い。……見惚れている場合じゃない。早く渡さなきゃ。
「あのね、猿夫くん、この前は救けてくれてありがとう!」
「えっ……、これ、俺に?」
「うん、師匠に教わったの!……もらってくれる?」
「ッ……!むしろ、ください……」
猿夫くんはお顔と尻尾を赤くしながら両手でクッキーを受け取ってくれた。いろんな角度からまじまじとクッキーを見つめられてなんだか恥ずかしい。
「これ、今食べてもいい?」
「今……?あっ!う、うん……いいよ。」
「ん?ダメだった?」
師匠の言葉を思い出してどうしようもなく恥ずかしくなって、熱くなった頬を両手でおさえるわたしに、猿夫くんはとまどったような声を出す。恥ずかしいけど、大好きなあなたのためなら、と決心したわたしは猿夫くんの手から渡したばかりのクッキーをそっと奪い取った。そしてリボンを解き、ハート形のクッキーをひとつ摘まんだ。
「あれっ、真?」
「……あーん……」
「……え?」
「……あーんして?」
「えっ、えっと……」
「は、恥ずかしいから!ほら!早くしないとわたしが食べちゃうよ!」
「あ、あーん……」
きっとふたりして林檎みたいになってるんだろうなあ、なんて思いながら、つまんだクッキーを猿夫くんの口に運んだ。さくさくと心地よい音が聞こえる。一枚、また、一枚と次々に彼の口にクッキーを運び、最後の一枚になったとき、わたしはそれを自分の唇で挟んで、猿夫くんのお顔をじいっと見つめた。猿夫くんは今までに見たことないくらいお顔も尻尾も真っ赤になっている。
「あ、あ……え、っと……」
「………」
「い、い、いいの?さ、流石に俺も我慢できないって言うか……」
「………」
「真?い、いいんだね?」
クッキーを挟んでいるせいで喋れないから否定も肯定もしようがない。猿夫くんはあーとかうーとか言いながら、決心を固めたようで、わたしの両肩にゆっくりと手を置いた。そして…………
あなたのためなら
さくっ
「あっ」
「あ……か、かじっちゃった……えっと……ごめんね?」
「勘弁してくれ……」
「ま、猿夫くんが早くしてくれないからだよ!!」