さよなら、
ばいばい



気がついたらお互い半裸のまま抱き合って眠っていたみたい。彼は熟睡してるのか、すぅすぅ寝息を立てている。時計を見たらまだ5時前、けれど夏の夜明けはとても早く、外は少し光が差していた。わたしは彼を起こさないようそっと腕から抜け出して、着てきた服に着替えてパジャマを畳んでリュックに入れた。それと同時にお手紙を出して、彼の枕元に静かに置いた。涙があふれそうになって急いでハンカチで抑えたけど、一粒だけお手紙にぽとりとこぼれてしまった。涙が堪えられなくなる前に早く出て行かなきゃ。目覚まし時計の時間をいつも彼が起きる時間にセットし直して、さぁ行こうとドアの前に立ったけど、やっぱりもう一度だけ、と思って静かにベッドの横に座った。





「さよなら、ばいばい。尾白くん。」





わたしは一瞬だけ触れるキスをして、音を立てないよう部屋を出た。お家の鍵はちゃんと閉めて、ポストの中に鍵を入れた。お家を出て1人で歩き出したら、地面にぽたぽたと水が落ちてきた。空を見たけど、雲一つない快晴で。わかってたのに。これはわたしの涙だって。尾白くんが起きてしまう前に早く行かなきゃって思って、流れる涙もそのままにわたしは全力で走り出した。


福岡へは飛行機で行くことになっていた。なんとなく1人でいるのが辛くてお兄ちゃんに電話したら、早朝にもかかわらずすぐ電話に出てくれた。東京駅で待ち合わせて、そのまま一緒に空港まで来てくれた。月曜だし学校なんじゃないの?って聞いたら、今日は午後からだから大丈夫、だって。それより久々に会ったというのに朝っぱらから泣いているわたしのことが心配だったみたいで、何があったのか根掘り葉掘り聞かれて、誰にも言わない約束でお兄ちゃんにだけ全部話した。辛かったなって頭をぽんぽん撫でてくれて、それ以上は会話をしなかった。


空港で朝ご飯にってパンとココアを買ってもらった。食べる気にならなかったけど、お兄ちゃんの優しさを無駄にしたくはなかったから、全部綺麗に食べ切った。それから荷物検査場でお兄ちゃんと別れて、わたしは1人で飛行機に乗った。飛行機の中でもたくさん泣いてしまって、隣に座っていたおばあさんにすごく心配された。頭の中は大好きな学校や友達のこと、そして、大好きな彼のことでいっぱいだった。時計を見ると8時半。今頃わたしのお手紙を読んで、彼が傷つき悲しんでいるのではないかと思うと涙は余計にあふれてしまった。


気がつくと飛行機は福岡空港に着く寸前だった。どうやらわたしは眠ってしまっていたみたいで、隣のおばあさんが花柄の可愛いブランケットをかけてくれていた。お礼を言ってブランケットを返すと、おばあさんは飴玉をくれた。すぐに開けて口に放り込むと甘酸っぱい林檎の味がした。林檎のバレッタに林檎の指輪をしていたから、わたしが林檎が好きだと思ったんだって。大好きなひとからもらった大切な宝物ですって言ったらおばあさんは可愛らしく微笑んでくれて、わたしも少しだけ笑顔になれた。


飛行機を降りたらお父さんからみどりにメッセージが来ていて、博多駅というところで待ち合わせた。博多駅に行くまでの電車では親友とみどりでやりとりをした。実は尾白くんからは数え切れないくらい電話がかかってきていたのだけれど、全部無視してしまっていた。メッセージもたくさん入っていたけれど、全部見る前に削除した。電車の中でもぽろぽろと涙をこぼしてしまって、近くのひとからたくさん心配された。


博多駅に着いてお父さんに会ったら、わたしの目がひどく腫れていたせいか、開口一番謝られて優しく抱きしめてくれた。大丈夫だよって言ったけどお父さんの眉は下がったままだった。お昼も近いということで、お父さんに誘われて一緒に近くのカフェに入った。お父さんはチョコが好きなわたしのためにガトーショコラを注文してくれたけど、今はなんとなく美味しいと感じられなかった。


それからしばらくぼーっとしてて、気がついたら新しいお家の新しい自分のお部屋にいた。そして冒頭に戻るわけだ。





***



あれから数日、もう何日経ったのかはわからない。もしかしたら1週間、いや、3日……2週間かもしれない。わからない。わたしはろくにご飯も食べれなくなって、毎日お部屋に閉じこもっていた。お父さんもお母さんもとても心配してくれて、お買い物や食事をしようとお外に連れ出してくれたけど、どこにいても友達を、そして、尾白くんを探してしまう自分がいて。これなら部屋にいる方がいい、と自分から閉じこもってしまったのだ。お父さんとお母さんも、時間が癒してくれるだろうとこれ以上は無理に声をかけてこなくなっていた。


親友たちはほぼ毎日メッセージを入れてくれていて、それはわたしの唯一の楽しみになっていた。時折、透ちゃんや上鳴くんからもメッセージが来ていたけれど、尾白くんのことは書いていなかったからスタンプだけでお返事をしていた。毎回失礼でごめんね、と送信したら、新しい生活に慣れるの大変だろうし気にしないで、と優しく返信されてなんだかずきんと胸が痛んだ。


赤く光る可愛いバレッタはもう頭にはついていない。もらった時からとっている箱にしまってしまったからだ。それと、だいぶ痩せてしまったせいか、尾白くんからもらった指輪は簡単に抜け落ちるようになってしまったから、バレッタと一緒に墓にしまっておいた。





それからまた数日後、わたしは1人でお留守番をしながら林檎を齧っていた。調理せずとも口に入れるだけで食べれるだろうと苺やバナナ、林檎に梨、他にも色々な果物がバスケットに入ってリビングに置かれている。お母さんの気遣いが身に染みる。林檎を半分ほど齧り終えたところで、親友からみどりでテレビ見た?とメッセージが。テレビをつけたら雄英高校の先生たちが謝罪会見をしていた。A組の相澤先生とB組の管先生、それと根津校長先生が深々と頭を下げていた。親友にテレビをつけた旨を送るとすぐさまグループ通話がかかってきた。


詳しく話を聞いたら、どうやら林間合宿中、ヒーロー科とヴィランが接触したらしい。それと、1人攫われた生徒がいるらしくて、テレビを見ていたらあの日の怖い男の子、爆豪くんだったことがわかった。すぐに透ちゃんと上鳴くんにメッセージを送ろうと思ったけど、尾白くんのことを思い浮かべてしまって手が震えてスマホを落としてしまった。尾白くん、尾白くんは、大丈夫なんだろうか。親友の声がスピーカーで響いて、尾白くんは無事だということを聞いてひどく安堵した。けれども意識を取り戻していないひともいるらしくてまだ油断はできないとのことだった。


会見が終わったと思ったら今度はプロヒーローとヴィランの交戦報道が始まった。現場は神奈川県横浜市の神野区で、戦っているのはオールマイトだった。戦闘の様子はとても激しく、直視できずに何度も目を背けてしまった。そして、ヴィランの大きな攻撃を受けたオールマイトはまるで骸骨の様に萎んでしまっていた。平和の象徴が萎んでしまった様子を目にしてしまったわたしは、あまりのショックでリビングのソファにもたれて意識を手放してしまった。スマホは手から滑り落ちて親友との通話はぷつりと切れてしまった。





さよならばいばい




大好きだった猿夫くんも

大好きだった学校の安全も

大好きだった毎日の平和も

全部全部なくしてしまった







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