名前も知らない
キミに



***



雄英高校の入試まで残すところあと1週間、俺は受験日の通学路の下見も兼ねて雄英高校まで足を運んでいた。


「でかいな……」

「大きいな……」

「「えっ」」


あまりの広さに思わず感嘆の声を漏らした時、やけに低い位置から高くて可愛らしい声が聞こえた。顔を向けると、背の低い栗色の髪の女の子が丸くて大きい綺麗な目をこちらに向けていた。あまりにも美しい目に言葉を失っていると、彼女が先に口を開いた。


「あなたも、ここ、受けるの?」

「……えっ、あっ、うん。そう。ヒーロー科を。」

「そうなんだあ。わたしは普通科を受けるんだ。お互い頑張ろうね!またね!」

「う、うん。頑張ろう。またね。」


彼女は別れの挨拶をすると俺が歩いて来た道を駆けて行った。帰り道が同じ方向ということは苑辺野中の子だろうか。少なくとも舞木戸中の3年生にあの子はいない。またね、という挨拶を交わしたので、無事お互い雄英に合格してまたあの子に会えるかも、という期待をしながら俺も帰路に就いたが思いの外早く再会することになる。


歩き出して数分、大きな公園の側を通っていると公園の中央にある大きな木の下で小さな男の子が騒いでいる。耳を済ませると、男の子とつい先ほど耳にしたばかりの可愛らしい声がはっきりと聞こえた。


「お姉ちゃん!もういいよ!」

「おじいちゃんからもらった大事な帽子なんでしょ?お姉ちゃんに任せて!」

「でも、お姉ちゃんがケガしちゃう!!」

「大丈夫大丈夫!ほら!もうちょっとだから!」


状況はなんとなく察した。大方、男の子の帽子があの大きな木に引っ掛かったのを先程の女の子がとろうとしてあげてるのだろう。だけど彼女は結構背が低かったはずだ。どの辺に引っ掛かったのかと視線を上に向けた俺は思わず、はぁ!?、と叫んでしまった。どうやったらあんな高い位置に帽子が引っかかるんだ。そして彼女はどうやってあんなところまで登ったのか。


「ほらほら!とれたよ〜!」

「ありがとう!!でもお姉ちゃん危ないよ!」

「大丈夫大丈夫〜!今から降りるよ〜!」


そう言って彼女は少しずつ動き始めた。しかしあまりにも地面からの距離が高いためか、彼女の声色は明るいものの顔は強張っているように見える。落ちてしまったらきっとケガだけでは済まないだろう。俺は万が一に備えて木に向かって走り出した。


「よいしょ……」


危なっかしい足取りで徐々に木を降りて行く。しかし、握っていた枝がバキッと良い音をたてて折れてしまった様で。


「ひゃわあああああ!?」


案の定、彼女は木から落ちることになってしまった。このまま走ってもギリギリ間に合うかどうかだと思った俺は助走の勢いに任せてジャンプし、近くの遊具に尻尾を巻きつけた反動で思い切り跳んだ。空中でうまく彼女を拾い無事に着地する。いわゆるお姫様抱っこだ。彼女を見ると大きな目をぱちぱちさせて俺の顔を凝視している。しかし口を開かないため、心配になって声をかけた。


「大丈夫?どこか痛くない?」

「…………こ、こ、怖かったよお〜!!」


彼女は綺麗な目から大粒の涙をぼろぼろとこぼした。不謹慎だけど、涙が宝石の様にキラキラして泣き顔までも綺麗だと感じてしまう。彼女に見惚れていたが、横から男の子に声をかけられハッとした。


彼女はありがとう、と言って俺の腕からそっと離れた。そして両手で握りしめていた帽子を男の子に差し出した。


「おれの帽子とってくれてありがとう!」

「どういたしまして!」

「尻尾の兄ちゃんもありがとう!」

「うん、どういたしまして。もう投げて遊んじゃダメだぞ。」

「はーい!じゃーねー!」


男の子は帽子を頭に被って、手を振りながら走って行った。彼女曰く、彼の帽子は亡くなった祖父からもらった宝物らしくて、どうしてもなんとかしてあげたかったとか。木に登った経緯を説明し終えた彼女は顔を赤らめ、手を後ろで組み、もじもじしながら俺を見上げて言葉を続ける。


「あなた、ヒーロー科受けるんだよね?」

「うん、そうだけど。」

「絶対、絶対合格できるよ!!」

「えっ、どうしたの急に。」


急に大きな声を出したかと思えば、今度は林檎みたいに真っ赤になり黙ってしまった。恥ずかしがっているのか、両手を頬に当て、再びもじもじしながら喋り始めた。


「だって、あんなにかっこよく救けてくれたんだよ、絶対ヒーローに……ううん、もうヒーローだよお……」

「あ、ありがとう……」


ヒーロー志望の俺としては、こんな言葉を、しかもこんなに可愛い女の子から言われたことが嬉しくないはずもなく。なんだか全身が熱く感じる。周りからは俺も赤くなっているように見えているのではないだろうか。少し沈黙が続いたところで、またしても彼女が先に口を開いた。


「雄英、絶対受かろうね!」

「ああ、お互い頑張ろう。」

「絶対、絶対また会おうね!」

「うん、また会おう。」


心を奪われる、とはまさにこのことだろう。彼女の綺麗な目で見つめられていると、緊張して返事がオウム返しになってしまう。話しづらいとかつまらない奴だとか思われてないか不安になったが、それでも彼女は頬を赤く染めてにっこりと笑ってくれていた。彼女の笑顔を見ると自然と心が安らぐ気がした。


「それじゃ、わたし、帰るね!早く帰らないと、お母さんに怒られちゃう!」

「あっ、ちょっと……」

「またね!尻尾のヒーローくん!」


名前を聞こうと思っていたが、彼女は身を翻して走って行ってしまった。小柄ながら意外と足は速く、もう姿が見えなくなってしまっていた。俺も帰ろうと思い彼女と同じ道を歩き出した。


公園を出ようとしたら足元に彼女の髪色と同じ毛色で、首に黄色のリボンと鈴がついているサルのマスコットが落ちていた。そういえばさっきあの子の鞄にこれと同じものがついていた覚えがある。人のものを勝手に持ち帰るのは良くないと思ったが、ここで拾わなければもうこのマスコットは彼女の元へ戻れないかもしれない。それに、再び彼女に会えることを信じたい。そう思った俺は、名前も知らないあの子の笑顔を思い出しながら鞄にそれを放り込んだ。マスコットの首についた鈴の音がちりんと綺麗に響き渡った。





名前も知らないキミに




それは恋に落ちた音





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