奇跡




ハッ、と意識は戻ったのに視界が暗い。目が開かないのか?と起き上がろうとしたけど身体が動く気配は全くない。そうだ、私はあの煙を吸ってから目を開けるどころか声も出ない、どこもかしこも動かなくなっちまってたんだ、おかげで今が何時なのかもわからない。わかるのはこの部屋に誰かがいるということだけ。カサカサと何か紙をめくるような音がする。誰かが私の本やノートを見ているのだろうか。しかし大きな舌打ちが聞こえたことでその音の主はすぐにわかった。


「サッパリだわ!クソが!コイツ、どんな頭しとんだ……」


爆豪くんだ。彼がここにいるということは、今はせいぜい平日の夕方ってとこだろう。そしてきっと私の研究図鑑やノートを見てるに違いない、やっとこさ私の偉大さがわかったようだな爆豪勝己。なんて偉そうなことを考えていたら、部屋のドアが開く音がした。


「バクゴーくん、研究熱心だね。」

「……ンなことねーわ。」

「僕も負けてられないね。どれ、夏季、失礼するよ。」


入ってきたのはお父さんだった。お父さんは私に声をかけると私の頭を軽く持ち上げて、私の口の中に薬と水を流し込んだ。嚥下運動は正常に行われて私の胃腸へ薬と水が届いたけれど、特に何も起きず。


「ふむ、これもダメか……石花とはよく言ったものだ。本当に石のように固まって、なにものも受け付けない……」

「……コイツ、薬じゃねェと起きんのか。」

「うん?どういうことだい?」


本当だよ、どういうことだ。薬でこうなっちまったんだから、薬で治るって誰しもが思うだろう。


「いや……聞いた話だと、前のヤツん時、既にあらゆる薬使っちまったンじゃねェのか。」

「確かに、使った薬や結果、考察などは全て記録されているよ。だから、夏季に飲ませている薬は、そこには記されていない最近開発されたものになる。」

「……おっさん、コイツに張り付いとって寝てねェんだろ。」

「お、妻から聞いたのかな。愛する娘のためだ、このくらいなんてことはない。……そういうキミも目の下に隈があるようだがね。」

「ハァ!?ち、違ェわ!コレは……たまたまだ!」


お父さんの体調ももちろん心配ではあるけれど、爆豪くんが夜更かしをしてまで私を目覚めさせようとしてくれていることに心が支配されてしまう。そんなことをされたら期待してしまう自分がいる。彼にとっては私は調子の良い友達の一人でしかないはずだ。私自身、彼はただの友達だと割り切った。爆豪勝己、流石ヒーローを目指しているだけのことはある。この男は粗暴に見えるものの心根には確かに優しさが存在しているのだ。私は知っている、その優しさに何度も励まされてきたのだから。


それから何時間経ったのかはわからない、10分も1時間も3時間も、今の私にとってはほとんど全部同じ間隔に感じてしまう。今役に立つのは聴覚だけ、何も変わらないということは今日も1日何の収穫も得られなかったということだ。ただ待つだけで生かされているだけなのが歯痒い。


時折、お母さんが泣きながら私の腕に針を刺して来た。水や栄養を送る延命措置のためだろう。見ることはできないけれど、耳で聴いたり、痛覚があったりするからわかる。この生活が1週間続いたら私は……


ただ待つだけで。死ぬために生きるだけ。いったい私が何をしたというのだろうか。辛いこともあったけど、ただ楽しく学校に行って、友達ができて、好きな人もできて、花を育てて、研究をして。そんな普通の生活をしていただけなのに、運悪くこぼした薬が混ざり合ってこんなことになるなんて、宝くじが当たるよりも低い確率を引いてしまったんじゃないだろうか。


私、花矢夏季という人間がこんな真面目に物事を考えている時点でもう何の希望も持っていないということはお察しだろう。……もう考えることすらも疲れる気がして、私は考えることをやめた。ひたすら無心に、時が過ぎるのを待った。












あれから何日経っただろうか。正直もう耳もあまり聞こえていない。毎日お父さんに薬を飲まされ、お母さんと妹が泣く回数が増えていること以外にわかることは何もない。爆豪くんの声もあの日以来聞いていない。無駄だ、私はもう助からないのだ。大切な家族の顔も、友達の顔も、先生の顔も、爆豪くんの顔も、もう見ることはできないのだ。もう楽にして欲しい。延命なんていらない。管を切るなり、首を締めるなり、毒を盛るなり、方法はいくらでもあるだろう?さっさと終わりにしてくれないか?そんな風に考えてしまうほど私の精神は憔悴しきっていた。ここ数日、ただ意識があるだけで自分が弱っていくだけの毎日は永遠の地獄のように感じられた。頼むからさ、もう…………








そう思った時、唇に暖かく柔らかい感触を感じた。口の中に広がるのは薔薇の味。これはオレンジ色の薔薇。彼に似合う、オレンジ色の。味覚も感じることができるなんて気づかなかった。最期に新しい発見ができた。でも、もうそんなことはさ、どうでもいいんだよ。





頼むからさ、もう、殺してくれよ…………





「勝手なこと言うンじゃねェ!!ぶっ殺すぞ!!……痛ェェェ!!」

「うおっ!?ごめん!大丈夫!?……つーか口ん中なんか痛え!?バチバチする!うぇっ!おぇ!苦っ!」


ガバッと起き上がったらイバラに締め付けられた爆豪くんがいた。視界は良好、言葉も出る、私の自由を遮る物は何もない。私は、私は助かったんだ!


「ばっ、爆豪勝己ィ〜!い、痛えええ!!」

「痛ェ!!バカかテメェ!!離れろ!!」

「うおお!喋れるよ!動けるよ!痛いよ!嬉しいよ!爆豪くん!」

「うるせェ!さっさとコレなんとかしろ!」


イバラに巻きつかれた爆豪くんに抱きついたら私まで痛い思いをした。机の上に置いてあったポーチからすぐに白薔薇の塗り薬を出して爆豪くんに手渡した。爆豪くんはイバラを小さな爆破で剥がして傷に薬を塗りだした。そんなことできるなんて知らなかった、いつも私がトゲやイバラを出しても、彼が爆破したことなんて一度もなかったから。


「…………なんか、言うことないンか。」

「ある!腹減った、喉乾いた、光浴びたい、野菜食べたい、水飴舐めたい、ローズティー飲みたい!」

「全部てめェの願望じゃねェか!」

「わーっとるわ!冗談も通じねェのか!爆豪勝己!…………ありがとう!!」

「あ゛ぁ゛!?いちいち抱きつくな!真似すんな!花矢夏季!」


これだ、このやりとり。やっぱコイツはこうでなきゃ。思い切り抱きついたけど、爆豪くんは決して私を押し除けるようなことはしなかった。


騒がしくしたからだろうか、誰かがドタドタと階段を駆け上がってくる音がした。立ち上がってドア開けたら私の愛する家族が立っていた。お父さんとお母さんと妹が涙ぐみながら大きな声で私の名前を呼んで、私は3人に飛びつくように抱きついた。私は助かったんだと改めて自覚したらまるで毎朝の水撒きのように激しく涙が流れ出てきた。


「おどうざん!おがあざん!そして、我が妹よぉ〜!!おはよう〜〜〜!」


家族みんなで抱き合ってぐずぐずと涙を流した。でも、お父さんは一歩前に出て私の部屋に入ると、パタンとドアを閉めてしまった。


残された私たち女性組はボー然と立っていたけど、5分ほどしたら満面の笑みを浮かべたお父さんと、まるで悪鬼羅刹と言わんばかりの形相の爆豪くんが出てきた。


「顔すげェ。」

「うるせェ!!誰のせいだと思っとんだ!!このバカ!!」

「うおお!私のせいかよ!!……って、あれっ、トゲが出ないぞ……?なんでだ?」

「あ?知るかよ。」

「えいっ!!あっ、出た。」

「痛ェ!!」

「おお!自由に操れるようになってる!ラッキー!」

「テメェマジでざけンなや!」


私が階段をドタドタと駆け下りたら、爆豪くんが怒鳴り散らしながら追っかけてきた。トゲを自由に操れるようになったんだ、このトゲでどんな薬を作ろうとか、爆豪くんにどんな悪戯をしてやろうとか、そんなことでいっぱいだ。さっきまでこの世の終わりみたいなことしか考えられなかったのが嘘みたいで。だけどもう永遠の地獄は終わったんだ。今私の目に映ることは全て現実。私は助かったんだ。これからまたあの毎日が始まるんだ。私は棚に並んでいた一本の青薔薇を手に取って、くるりと振り返った。


「爆豪くん!」

「あ゛!?ンだよコラァ!!」

「ただいま!!」

「…………おう。」


キレ散らかしてたと思いきや一瞬でいつものタジタジした態度に戻った。トゲ出されるとでも思ったのかな、ウケる。


「お礼にさ、これ、あげるよ!花言葉は……」

「知っとるわ。」





奇跡




「うおお!よく勉強してんね!」

「ハッ!ナメんな!ンなもん余裕だわ!」



柄にもなく必死になっちまって、薔薇図鑑一冊丸暗記しちまったんだよ。ケッ!死んでもンなこと言ってたまるか!







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lollipop