雄英高校に入学して約1週間。今日は最初の日曜日で、私は自分の部屋で心操と一緒に宿題をしている。先月、長年両片想いだったらしいことがわかって願ったり叶ったりで付き合い始めた。というのも私が意地っ張りだったせいなんだけども。それからは心操に愛想尽かされないよう少しずつだけど素直になれるよう努力している……つもり。
「心操、ここわかんない。」
「どれ?……ああ、これか。確かに乙樹じゃ苦労しそうだな。」
「あんた失礼ね!……まあいいわ。私でもわかるよう教えてくれる?」
「ん、貸して。」
教科書を渡したら、似たような問題にシャーペンで印をつけてくれた。この基本問題を解いてから同じやり方をすれば大丈夫、と言われ私は言われた通りに問題を解き進めた。
「できた!……あ、りがとう。」
「……やけに素直だな。」
「な、何よ!なんか文句ある!?」
「いや、別に。ただ、乙樹はワーワー騒いでる方が似合ってるけど。」
無事に宿題は全部解き終わった。いつもの軽口を叩き合いながら片付けをして、時計を見るとまだ2時で。思いの外早く終わったから、コンビニでスイーツでも買って来ようと思って席を立った。
「どこ行くんだ?」
「コンビニ。ほら、今日色々教えてもらったし、お礼にお菓子とジュースでも買ってこようかなって。」
「俺も行く。」
「何か要るなら買ってくるけど。あんたへの礼だしさ。」
「いや、行く。」
「……まあ、好きにしなよ。」
こうして私と心操はコンビニへ行って、お菓子やジュースを買った。お代は今日のお礼ってことで私が出したんだけど、心操は不服そうだったので、今度遊びに行く時はお昼ご飯奢ってよって言ったら機嫌を直してくれた。男のプライドってヤツだろうか。
コンビニから帰る途中、突然スマホが鳴ったので、近くの公園に入って電話に出た。相手は中学の時の同級生で、心操はベンチに座って待っててくれた。電話の内容は、高校に入ってすぐに彼氏ができた、なんてとりとめもないことで。今度会ったときに詳しく話を聞く約束をして、電話を終えてベンチに行くと心操の膝の上で一匹の黒猫が丸くなっていた。
「かわいいじゃん、どうしたの?」
「座ってたら急に膝に乗ってきた。」
「あんた猫好きだし嬉しいんでしょ。」
「……別に。」
口では別に、なんて言ってるけど右手は黒猫を優しく撫でている。シーンとしているけど、今は別にふざけるようなムードでもないし、私は長年ずっと望んでいたある願望を達成しようと思って、思い切って口を開いた。
「ねえ、心操。」
「なに?」
「ひ……」
「ひ?」
「ひ、ひと、人混みってさ、あんまり得意じゃないんだけどあんたは?」
「俺もそんなに得意じゃない。」
「だ、だよね!わかってんじゃん!」
「……次、出かける時はあんま人混みの無いところにするか。」
黒猫を撫でながら優しく答えてくれた心操。けど、違う。私が言いたいのはそんなことじゃないんだ。
「ねえ、心操。」
「ん?」
「ひ……」
「ひ?」
「ひ、ひと、ヒトカラって行ったことある?」
「ない。」
「そ、そうよね!あんたカラオケとか行きそうにないわよね!」
「中学の時、友達と行ったことはあるから嫌いじゃないけど、1人では行かないと思う。」
またしても黒猫を見ながら少し口角を上げて答えてくれた。けど、そうじゃない。今は軽口を叩き合ってる時でもないのに、どうしてこんなに素直になれないのか、自分の性格が憎らしい。どうしようかと考え込んでいたら、突然心操から名前を呼ばれた。
「乙樹。」
「なに?」
「円O上の弧ABから同一円上の異なる任意の2点をそれぞれ線分で結んで出来る角度の関係は?」
「は?………円周角、ってこと?同じじゃん。」
「もう少し数学っぽく。」
「……えーと、等しい。」
「い、は要らない。」
「等し。…………はぁ!?」
「そう呼びたいんだろ?」
「なっ、ななっ、なに言って……!!」
心操がバカなこと言うもんだから、驚いてガタッと音を立ててベンチから立ち上がってしまった。黒猫は少しビクッとしたけど、大人しく心操の膝の上に丸まっている。その冷静さを私にも少し分けて欲しいくらいだ、顔が熱くて敵わない。心操は黒猫を見つめたまま言葉を続けた。
「ひと、ひと、って何回も言われたら普通わかるだろ。」
「なっ、何言ってんのよ!私は別にそんなつもりじゃ……!」
「呼んでくれないのか?」
「だ、だから何言って……!」
「俺は乙樹から人使って呼ばれたい。」
心操は黒猫から視線を外して真っ直ぐ私を見た。なんとなく目を逸らせなくて、なんて言葉を返せばいいやらあーとかうーとか唸っていたら黒猫は空気を読んだかのように突然心操の膝から降りて草むらへ駆けて行った。再びシーンとした空気になったと思ったら、心操が一度咳払いをして、ゆっくり立ち上がって私の目の前に立った。
「乙樹。」
「な、何よ。」
「俺の名前。」
「心操、ひ、ひ、人使。」
「心操は言わなくていい。」
実は私の長年の願望は心操のことを人使って呼ぶことで。昔はひとくんって呼んでたけど、小学校の3,4年生くらいの時かな、男子に揶揄われてからなんとなく心操って呼ぶようになって。けど、心操はずっと私のことを乙樹って呼び続けている。私は正直それを恥ずかしいよりも嬉しいって思ってたのが本音だった。心操が下の名前で呼ぶ女子は自分だけっていう特別感があったから。
返答に悩んでいたら、心操は首の後ろに手をやって、以前にも見せたことがある、苦虫を噛み潰したような、ひどく寂しそうな顔で呟いた。
「呼びたくないなら無理しなくていい。……帰るか。」
心操のあの顔を見ると胸が締め付けられたように痛くなる。また、前みたいに強がって酷いことを言ってしまうのは、心操を傷つけてしまうのは絶対に嫌だ。コンビニの袋を持って歩き出そうとする心操に私は大きな声で呼びかけた。
「ひ、ひひ、人使っ!こ、これでいいんでしょ!ほら、か、帰るわよ!」
「……よくできました。」
「……な、何よそれ。」
私が勇気を出して心操を下の名前で呼んだのに、こいつは照れるとか嬉しいとかそんな素振り一切見せず、ただ口角を上げてニヤッと笑ってこっちを横目で見てるだけ。まさか…………
「あ、あんた、まさかまた……!!」
「乙樹はさ、単純なんだよね。ま、そこが可愛いとこだよな。ほら、帰るぞ。」
「か、かか、かわっ……!?あ、あ、あんた、最初から全部ッ……!?」
また、してやられた。私は一度もこの男に勝てることなんてないんじゃないかと思う。というのも、昔から心操の個性は洗脳なんかじゃなくて読心なんじゃないのかって何度も思ったことがあるからで。この男は本当に頭が良く洞察力にも優れているため人の扱い方を掌握している。まさに名前の通りではなかろうか。
私がパニックになって言葉をうまく出せずにいると、心操……人使はコンビニの袋を持っていない方の手で私の手を強く握るとそのまま手を引いて無言で歩き始めた。家の前に着いた頃にふと顔を上げると、前を向いている人使の耳が赤くなっている後ろ姿が目に焼き付いた。
願い叶って
「人使!この新作スイーツめちゃくちゃ美味しい!」
「ふーん、俺も次はそれ買おうかな。」
「あ、じゃあ人使の奢りで私の分も買ってきてよ。」
「はぁ?……まぁ、いいけど。」
家に帰ってからは特に不自然さは見受けられず、普通に人使って呼ぶことができた。けどアイツの反応にも不自然さは見受けられなくて。
次の日、学校で普通に「人使!」って呼びかけたら、クラスメイトに2人は付き合ってるの?って聞かれて。いつもの私なら、そんなことないとか言い訳してたと思うんだけど、昨日名前を呼んだ時のことを思い出したら自然と、幼なじみでもあるし付き合ってもいるよ、って優しく言えた。チラッと人使を見たら昨日は耳しか見えなかったけど今日は顔全体を赤くしているのが見えて、なんだか初めて人使に勝ったって思った瞬間だった。