体育祭前の人使はなんだか雰囲気が怖かった。上へ上がる為なら何でもする、手段なんて選んじゃいられない、そんな感じがした。私の前ではいつも通りの人使だったけれど、学校にいる時は少し別人の様な感じがしていた。
人使は本当に頑張っていた。私は知っている。体育祭一ヶ月前から毎日遅くまで組手に付き合っていたからだ。ガゼルの個性を使わなくても元々腕力も脚力も常人よりはかなり強い私の攻撃を生身の身体で受ける人使の姿にはとても心を打たれた。相手が自分だからこそ手加減しないでくれ、と言われて私は脚に負担がかからない程度の全力で毎日付き合った。その甲斐あってか、体育祭三日前には私の攻撃を躱して、逆に寸止めで二,三発いいのをもらいそうになったほど。少しは戦闘能力も付いたと思っていたんだけど、結局緑谷とかいうのに負けてしまった。
緑谷と戦っている時の人使の心の叫びは聞いてて涙が出るほど辛かった。あんなにも熱い人使の姿は久しぶりだった。緑谷と戦ってからの人使は、何と言えばいいかわからないけど、前よりもっと良くなった気がする。それに、周りの態度も変わった。人使の個性に悪い印象を持つ者が格段に減った、いや、むしろもういないのではないだろうか、というほどに。長い間ずっと一緒にいたから、私は今の状況がとても嬉しいと思う。だが、変わったことはそれだけではない。
「人使、体育祭以降、相澤先生としょっちゅう一緒にいるの何なの?」
「え?あー……まだ言えない。」
「まだってことはいつか教えてくれるわけ?」
「まァ、そのうち。」
「……不服だけど約束破られたことはないし、今回は信じてあげるわ。」
最近、人使の様子がおかしい、といってもこの男が読めないのは今に始まったことではないけれど。気になるのはヒーロー科A組の担任、相澤先生とのツーショットがやけに増えたこと。大方、体育祭で教師側が人使に目をつけて、双方の意見が合致したってところだろう。人使と別のクラスになってしまうのは寂しい気がするけど、はなればなれになるわけではないし、ヒーロー科へ行けるチャンスがあるのなら今度こそ素直に応援してやりたい。そう思った私は体育祭後も組手に付き合っているわけで。
けど、様子がおかしいのはそこじゃなくて。相澤先生といる時間が増えてから、なんだか人使の私に対する態度がおかしいのだ。何というか、以前のような手のひらの上で転がしてるって感じがなくなって、かなり優しくなった様な気がする。まぁ元々どちらかと言えば優しい方ではあったけども。なんて色々考えていたら突然頭にベシッと手を乗せられてわしわしと髪を乱された。
「何すんのよ!」
「難しいこと考えてたろ。」
「べ、別に何も……」
「乙樹は何も心配しなくていいよ。大丈夫、今度は俺がお前のヒーローになる。」
「は、はぁ!?」
「嫌なの?」
「……少なくとも私より強くなりなさいよね!」
やっぱり完全に素直になるのはまだ難しいけれど、以前よりはだいぶマシになったと自負している。人使は満足そうに口角を上げて、私の頭をぽんぽんと触ると自分の席に戻って行った。
それから数日後の昼休みのこと。いつも通り相澤先生のところへ行ったはずの人使が血相を変えて私の元へやって来た。
「乙樹!」
「ど、どうしたの?相澤先生、待ってんじゃないの?私、今から食堂に……」
「それどころじゃない!早く、早く来い!」
「うわっ!何よ!」
人使に連れられて私達は人気のない空き教室に入った。人使はかなり用心深く人がいないことを気にして教室の鍵をかけた。
「あんた本当にどうしたの?」
「……今から話すことは誰にも言わないでくれ。」
「わ、わかったわよ。」
やけに真剣そうな顔をしている。一体どうしたというのだろうか。何か悩み事でもあるのだろうか。まさか相澤先生から普通科からヒーロー科への編入は絶望的なんて言われたんじゃ……
「順当に行けば、後期に……ヒーロー科の戦闘訓練に参加させてもらえるかもしれない。」
「……え!?す、すごいじゃない!」
「しっ。声でかい。」
「ご、ごめん。」
何か言いにくい暗い話かと思って構えていたのに、むしろ逆の内容の、思いもよらない吉報だった。あんなに熱望していたヒーロー科の戦闘訓練に参加させてもらえるということは、つまり、編入の適性があるかどうかを審査してもらえるということと同値だと受け取っていいはずだ。それから人使は言葉を続けた。
「まだ確定じゃないけどな。俺は基本的な身体能力が未熟だし、この夏が大きな分かれ目になると思う。」
「すごいじゃん……。身体能力だったら、私、特訓付き合うよ。」
「……今度は小さすぎ。聞こえない。」
「いや、だからさ……」
注意されない様、少し近づいて小声で同じ台詞を言った直後、突然ぐいっと腕を引っ張られて、私は人使の腕の中に閉じ込められた。一瞬何が起きたのかわからなかったけれど、自分が抱き締められているとわかったら一気にパニックになって声が裏返ってしまった。
「あ、あ、あ、あんた何して……!!」
「乙樹はやっぱり俺のヒーローだ。」
「はぁ!?わ、私は別に……!」
「乙樹、ありがとう。俺、必ず立派なヒーローになってみせる。オールマイトよりも強いヒーローに。」
「い、意味わかんないわよ!突然どうしたのよ!」
「わからなくてもいい。ただ、伝えたかっただけだから。」
相変わらずこの男が何を考えているのかはわからない。けれど、何を言っているのかは理解できるわけで。普段こんなに感情を露わにすることがない人使がこんな風になっているのは自分のせいなのか、と思うと少し顔が綻んでしまった。今なら少し素直になれると思った私は人使の背にそっと腕を回して、勇気を出して言葉を絞り出した。
「……ひとくんが強くなるの、楽しみにしてるからね。」
「ん……期待、してて。」
素直になって
「乙樹、俺のこと、ひとくんって呼ぶの久々だね。」
「ダメだった?」
「いや、じゃあ俺も昔のあだ名で……ゴリラか。」
「ゴリラじゃない!!ガゼルだっつーの!!何度も言わせんなバカ心操!!」
「……うん、その方が乙樹らしくて好きだわ。」