暑い。暑すぎる。耳のふさふさの毛も冬は重宝するけれど夏はただただ鬱陶しいだけだ。ちらっと窓の外を見ると、今日も人使は汗をかきながらトレーニングをしている。いつもなら、こんな暑いのによくやるわ、と他人事のように思うけれど実はこのトレーニングに私も協力していたりする。というのも基本的な戦闘能力はガゼルの個性を持つ私の方が上だからだ。夕方の決まった時間になると、私はこの右脚で人使に思い切り攻撃を加えて、人使はそれに耐久するという古くさいトレーニングを行うのだ。
そして今日もトレーニングを終えて、二人で汗だくになりながら一緒に食卓を囲んだ。今日は彼のリクエストで白だしと生姜に漬け込んで下味をつけた鶏の唐揚げ。ちなみに私の得意料理だったりする。彼はご飯を3回もおかわりして、山盛りあったはずの唐揚げを綺麗に平らげてしまった。
「乙樹、腕上げたな。美味かった。」
「そんだけ食べてくれれば私も満足よ。今日もお疲れ様。」
「ん、ありがとう。」
「あ、お風呂準備するから座っときなさいよ。」
「悪いね。」
そしていつも通りお風呂の準備をして、一番風呂を彼に譲って、ママと夕食の片付けをしたりパパに夏休みの旅行の予定を聞いたり、人使と一緒に宿題をしていたらあっという間に夜は過ぎていった。
数日が経ち、夏休みに入ったある日のこと、どうやらヒーロー科は合宿に行ってしまったみたいで、また差が広がっちまう、と人使は少し落ち込んでいた。少し気の毒に思った私はこんな提案を彼に投げかけてみた。
「……鬼ごっこ、してみない?」
「鬼ごっこ?」
「うん。私が逃げるから、あんたが捕まえんの。逆もまた然り。」
「脚は大丈夫なのか?」
「ハンデよハンデ!流石にガゼルの足の速さで普通に勝負は無理でしょ?」
「まァ……けど、いいのか?」
「私が提案してんだからいいに決まってんでしょ。じゃ、明日、場所は学校付近の山でいいかしら?」
「ああ、ヨロシク。」
いつもとは違うトレーニングができるってことで人使は少しは嬉しそうにしていたので私はほっと胸を撫で下ろした。少しでも彼の気を紛らわせることができて良かったと思う。
そして翌日、約束の時間に私達は件の場所へ向かった。緑色の木々が生い茂り、今日は風も少し強く思ったより涼しげで少しばかり安心した。熱中症やお互いの体力なども考慮して、ひとまず1セットにつき10分程度で鬼ごっこと称した捕獲訓練を行うことにした。
最初は限った範囲内を走って追う追われるだけの訓練だったけれど、セット毎に範囲を変えたり、ほぼ触れ合う距離で反射神経だけに頼って触れるか触れないかの近接戦をしてみたり、木と木の間を跳躍する私に人使が罠を仕掛けたりと、ワンパターンにならずにこの鬼ごっこは中々有意義なものになった。
「人使、中々やるじゃない……まさか捕まるとは思わなかったわ……」
「乙樹こそ、そんだけ動けるならヒーロー科目指してもいいんじゃないか?その個性、救助や避難誘導なんかで絶対人の役に立てるだろ。」
「それこそあんたの個性だって役に立つでしょ。野次馬にここから離れろー、とか、避難場所わかんない人に東にまっすぐ走れー、とか、他にも敵に対して発動して動きを止めたりさぁ。その間にみんなが避難できるじゃん。」
「人の役に立てるなら……俺、もっと努力しないと。」
「わ、わ、私で良ければ、しょーがないから付き合ってやってもいいんだから、なんでも言いなさいよ!」
「……乙樹、ありがとう。」
「べっ、別に!ヒ、ヒーローが一人増えるのは世の中の為にもなるし?これも世の中の人のためになることだから協力してるだけだし!」
せっかくお互いの個性の長所を褒め合っていたのに私はいつもどおりツンケンした態度になってしまった。なんて可愛くないんだろうと思ったけれど人使は乙樹らしくて好きだな、なんて言うもんだから悪い気はしないなと思ってしまった自分もいた。
「わ、私も、ひ、人使のこと、す、好き、だったり、するけどね。」
「……うん、嬉しい。」
「ほ、ほら!休憩は終わりよ!」
「ん。次は俺が追われる番か……」
「普通に追う時はハンデで最初の20秒は動かないでおくからいいでしょ?」
「ああ、A組の飯田みたいな速度だとさすがにな。ヨロシク。」
こうして後半の訓練を開始した。最初は私が追いかけられてて、今度は私が人使を追いかけるってまるで受験前の私達みたい、なんて思いながら私は個性をフルに使って人使を追いかける。けれど彼もそう易々と捕まるような男ではない。先のセットで上手く隠れ場所を見つけていたり、私では登れない場所に上手く登ったり、頭の切れる彼らしい戦法をとってくる。たまに捕まえそうになっても今日の夕飯は、なんて問いかけをされて普通に答えてしまって洗脳の個性の餌食になったりもして結局彼を捕まえることはできないまま何セットも過ぎてしまった。
再び休憩をとって、もう時間も結構いい頃だから最後に一回だけ、今度は対人格闘も含めたガチの捕獲バトルをすることになった。人使はガゼル個性の私の蹴りやパンチを春から毎日受け続けているのもあってか、いつのまにか一回り大きくなった身体でしっかり攻撃を受け止めて、剰え私に反撃を繰り出してくる。流石に顔面には入れてこないものの、いいパンチや蹴りが炸裂して思わず私も歯を食いしばってしまう。普通の彼氏彼女ならこんなのあり得ないかもしれないけれど、私にとってはこれはかなり燃えるアツい展開でワクワクしてしまう。私に守られていたあのひとくんが今じゃ私よりも強い攻撃を繰り出してくるなんて。けれどこれを受け続けたら流石にまずいと思って私は彼から距離を取ることにした。
当初行っていた鬼ごっこのように彼からどんどん距離を取る。しかし彼もこの山道の作りに慣れてきたのか、ぐんぐん距離を縮めてくる。ガゼルの個性で走っても短距離しかもたないから、このままだといずれは追いつかれてしまう。何度も後ろを振り返ったり時計を確認していたせいで、私は自分が走っていく方向に何があるのかを注視することができていなかった。突如、後ろから心操が大きな声で謎の質問をしてきた。
「乙樹!俺のこと、好きか!?」
「ハァ!?す、す、好きよ!一体……!?」
その質問に答えた直後の記憶はぼんやりとしてはっきりしない。そう、彼に洗脳されてしまったのだ。しかし、人使に思い切り抱きしめられてすぐにハッとした。目の前を見たらとても高い場所にいて、あと数歩進んでいれば私はこの高い崖から真っ逆さまに落ちていただろう。ごくっと一回生唾を飲んでぺたりと蹲み込んだら、人使が珍しく動揺しながら大丈夫か?と何度も声をかけてくれた。少し身体が震えていた私は恥ずかしさを忘れて彼にそっと抱きついたのだけれど、彼は力強く抱き返してくれた。
「悪い、乙樹を洗脳したくはなかったんだけど、ああでもしないと大変なことになると思った。」
「う、ううん、命を救われちゃったよ……人使、戦闘力とか関係なく、もう確りヒーローじゃん……」
「え?」
「少なくとも私はあんたの個性に救けられたわよ……立派なヒーローよ、それ……」
「あ、ああ……ありがとう、そう言われると悪い気はしないな。」
それから私達はなんとなくギクシャクしながら帰宅した。けれど互いの手はしっかりと繋がれていた。
家に帰った後はすぐにお風呂と夕飯を済ませて今日の訓練の反省会をした。人使は今後の課題として機動力を強化するために今後も基礎トレーニングを欠かさないこと、近接戦に慣れない間は周りの遮蔽物を上手く使って隠れること、今回罠を張ったように、周囲に使えるものがないかを落ち着いて確認すること、そして洗脳の個性をどうにか戦闘に活かせないか、この辺は相澤先生に相談してみるとのことだった。
「……今日、迷惑かけて悪かったわね。」
「いや、課題も沢山見つかったし、俺の個性で人を救えることもあって良かったと思ったよ。」
「そ、そう?そう言ってくれるなら悪い気はしないわ……私、もう眠いからそろそろ自分の部屋に帰るわね。」
「待てよ。」
「うん?」
「……今日の礼。」
人使は立ち上がって私の隣に立って、私の角に触れた手をそのまま頬へ滑り下ろし、手を添えたままゆっくり顔を近づけてきた。
悪い気はしない
ちゅ、と可愛いリップ音を立てて人使の顔は離れた。しーんと数秒間が開いて、私はようやく彼とキスをしてしまったということに気がついた。
「あ、あ、あ、あんた……い、い、今、きっ、ききき、キス……!?」
「……思ったより可愛い反応するね。」
「かっ……かわっ……!?」
「嫌じゃなかった?」
「……わ、わ、悪い気はしなかった!」
「そ、良かった。んじゃ、おやすみ。また明日もヨロシク。」
人使は私をぐいぐい押して部屋から追い出して来たのだけれど、ドアが閉まる直前見えた彼の耳は暑すぎる真夏の太陽のように真っ赤に燃えていた。