あれから結構な日数がたった。あの後もわたしと尾白くんは何度か会って、デートのようなことをしている。ふたりで一緒にご飯を食べに行ったり、お買い物をしたり。それから、閉店間際にパンを買いに来てくれた日には必ずお家まで送ってくれる。彼が来ない日には波間くんがその役割を担ってくれている。頼んでいるわけじゃないのに、二人ともすごくわたしに親切にしてくれている。
……尾白くんと遊ぶのはとても楽しい。それは本当。けれど、あの日、初めてデートをした日以来とてももやもやしていることがある。本屋さんに行く前、わたしが身長に関する本を集めていることを彼が知っていることにわたしが驚いたとき、たまたま彼と目があったときのこと。
「どうして笑ってるの?」
「うーん……また身長の本でも探すのかな?ってね。」
「えっ!?そ、そんなことも知ってるの!?本当にすっごく仲良しの親友さんなんだね……」
「うん、そうだよ。」
「……!!そっかあ……」
わたしは気付いてしまった。彼が嘘をついていることに。優しく、悲しく、微笑む彼。本当は親友なんかじゃないってことにわたしも悲しく感じた。
けれど、今、目の前にいるわたしの親友、上鳴電気くんは、今度はテーブルを乗り越える勢いで前のめりになって、大声でわたしの考えを否定した。
「真ちゃん!尾白は嘘つくようなやつじゃねーよ!つくとしても理由もなくついたりしねー!」
「う、うん……そう、なのかな。」
「あいつはほんっとに真ちゃんのこと大事に思ってっから!きっと昔も同じ話したからおセンチになってるだけだって!マジで!」
「うーん……」
上鳴くんの言っていることはわかる。尾白くんはすごく優しいし、とても大事に思ってくれているのもわかる。連絡を必ず返してくれるし、デートの後やバイトがラストまでの日は必ず来てくれてお家まで送ってくれたりする。そんな彼がどうして嘘なんかつくんだろう……
「……真ちゃんさ、尾白が嘘をついてるとしたら、どんな嘘ついてると思う?」
「えっ?」
わたしは彼が嘘をついていたということにショックを受けて、その中身について考えるまでに至っていなかった。言われて初めて気になり始めた。親友だと思っていたはずの彼の嘘って何なんだろう、と。でも、彼は人を傷つけるような嘘をつかないと思う。それはきっと、誰かを守るための嘘なんだろう。それを無闇に暴くようなことはしてはならない気がする。
「知りたいなら、俺が……」
「ううん、大丈夫。」
「えっ?」
「わたし、尾白くんのこと信じてるから大丈夫。もちろん、上鳴くんも。だから、大丈夫だよ。」
「……そっか!うん、それならいーや!」
上鳴くんはへらりと笑ってそっかそっかぁと嬉しそうに何度も何度も頷いている。実はもう一つ気になることがあるんだけど、彼にはそれを言えないまま今日は解散することになった。
上鳴くんと会ってから1週間。わたしはまた尾白くんのことで頭をいっぱいにしていた。彼とわたし、ふたりの関係について。ずっと、気になっている言葉がある。今までちゃんと考えることを避けていたけれど、アイスを使用した新しいパンを考案するという店長さんの話を聞いてふと彼のその言葉に頭を支配されてしまったのだ。
「アイスだったら放課後よく一緒に行ってた店がいいかな?」
尾白くんのこの言葉。雄英は1年生の夏から寮制度が始まったから、放課後にわざわざアイスを食べに出かけていたということ。あるいは、寮制度が始まる前、いや、わたしが九州に引っ越す前、つまり4月から6月の間、出会ってから2,3ヶ月しか経っていない間にわたし達は放課後にアイスを食べに行く仲、つまり一緒に帰る仲だったということ。おかしいと思うのは、わたしが男の子とふたりで出かけるなんて、という点だ。思えばわたしが男の子が怖くなくなったというか、だいぶマシになったのは確か雄英に入ってからだ。けれど、そのきっかけは覚えていない。こんな大きな変化のきっかけがわからないなんてあり得ない。普通なら。
考えれば、わかること。
今のわたしの記憶にないことは、きっと尾白くんがかかわっている。
論理立てて組み立てる。これまでの彼の言動、悲しい笑顔、お砂糖のように甘い優しさ、けれど、親友ではなかった、という真実。
そこから導き出せる答えはただひとつ。
ふたりの関係、それは、恋人同士だったのではないだろうか…………
「……統司?おい、統司!」
「……えっ!?あっ、ああっ!!うわあ、どうしよう!」
「うわぁ、珍しいね、統司さんがこんなミスするなんて。」
「ご、ごめんなさい!」
なんてことだ。パン生地の材料の計量をお手伝いしているのにぼーっとしていたせいか、同じ容器に複数の粉を入れていたり量がバラバラだったり散々だ。彼の記憶を失ってからもう2ヶ月近く経つのに、いつまで同じことをくよくよ考えているのだろうか。
「あれから結構経つけど……体調でも悪いか?ごめんな、俺が……」
「あ、ううん!違うの!波間くんは悪くないよ!それに、体調も悪くないよ、少し考え事してただけだから……」
それでも心配だからとみんなはわたしを休憩室へと勧めてくれた。休憩室の柔らかいソファに座ってふぅっと溜息を吐いた。気付けばわたしの頭の中は尾白くんでいっぱいになっていた。最初はたくさんメッセージが来るから、すごく不安で怖くて堪らなかった。だけど今思い返せばあのメッセージは全てわたしの身を案じるものだった。そして今のわたしが初めて彼と会った時、階段から滑り落ちそうなわたしを抱き留めてくれた彼の力強さや逞しさ、それにとても心配しながら声をかけてくれて、見せてくれたあのとびきり優しくて悲しい笑顔……絶対そうだ、間違いない。わたしと彼は恋人同士だったに違いない。
だけど、どうしてわたし達の関係について誰も教えてくれないのだろう。尾白くんはわたしから彼に関する記憶が失われたことを波間くんから聞いたらしいけれど、自分がわたしの恋人だなんて言ってこなかったし、波間くんも店長さんも上鳴くんだって、誰も教えてくれていない。もしかして、お別れする間際だったとか……いや、それならわざわざ遊ぶ約束なんてしないはずだ。彼が嘘をついたのもきっと何か理由がある。彼はとても優しい人だから、傷付けるための嘘なんかじゃない、きっとそう。それにまだ、恋人だったと確定したわけではない。またしてもわからないことだらけで、もう一度大きく溜息を吐いた所で休憩室のドアがノックされた。返事をすると波間くんが入ってきて。
「統司、大丈夫か?」
「えっ?」
「ほら、さっきもだけど……あれから頭痛とかしないか?」
「あ、う、うん、大丈夫だよ。」
「そっか……」
「…………」
少し空気がシーンとしてしまった。何か言わなきゃと俯いていた顔を上げると、すぐ目の前に波間くんの顔があって。
「きゃあ!!び、びっくりした!!」
「うおっ!悪い!あ、いや、元気ねーから心配でさ……その、今日この後なんもないなら飯でもどう?」
「あ……うん、いいよ。」
特に用事もないし、ひとりでいるよりは気が紛れるかと思って彼の誘いに乗ることにした。
二人で居酒屋に入って、一緒にピザやポテトを摘みながら、やっぱりパンの話で盛り上がった。しばらく話して話題が尽きた頃彼は少し酔っているのか、ほんのり赤くなった顔で素面のわたしに胸中を吐露してきた。
「俺さ、やっぱ統司のこと好きだ。」
「……えっ?」
「最低だよな。今がチャンスなんて思ってんの。けど、俺だって、お前のこと、好きなんだよ……」
彼の言葉で確信を持った。やっぱり、尾白くんはわたしの恋人だったんだ。あの武闘ヒーロー・テイルマンとただの大学生のわたしが、なんて信じられないけれど、波間くんの態度がそれを裏付けてしまっている。わたしはとても困ってしまった。今のわたしは、尾白くんに恋をしていると言えるのかわからないからだ。常に心のどこかに彼の姿はある。けれど、それは忘れてしまったことで好奇心を抱いているだけに過ぎないのかもしれない。自分の気持ちがわからない。
わたしが黙って考え事をしていたら、波間くんは酔いが醒めてしまったのか、変なことを言ってごめんなと謝ってきた。わたしこそちゃんとお話を聞いていなくてごめんねと謝ると、彼は困ったように笑って、お水をぐいっと飲み干した。
お店を出た後、わたしのお家まで送ると言ってくれた彼のお言葉に甘えて一緒に帰った。お家に近づくにつれて、わたしのお部屋のドアの前に誰かがいるのがわかった。尾白くんかな、なんて思ったわたしは自然と少し小走りになって、波間くんの前をたたっと走り抜けたのだけれど、そこに立っていた人はものすごい剣幕でわたしを怒鳴りつけて来たのだった。
ふたりの関係
「おい林檎テメェ!!どこほっつき歩いてやがった!!」
「ひっ!!えっ!?ば、爆豪くん!?」
「誰だ!統司から離れろ……って、えっ?プ、プロヒーローの……」
「あァ!?誰だテメェは!!つーかンなこたどーでもえーわ!林檎、早よ来い!オラ!」
「えっ!?きゃあ!!」
「あっ!統司!?」
爆豪くんはわたしの腕を引っ張って、お構いなしに全速力で走り出した。ただ事ではなさそうだと思ったわたしは一生懸命彼と一緒に走った。走って走って、辿り着いたのは爆豪くんのお勤め先のヒーロー事務所だった。一体なにがあったのだろうか。