彼の幸せは
何だろう



銀髪の彼の話はこうだ。


彼にはとても大好きな女の子がいた。しかし、その子は自分ではない別の男の子が好きらしいから記憶を消した方がいい、と波間くんに唆されてしまい、彼はそれを鵜呑みにしてその子から『好きな男の子』の記憶を消し去ってしまった。ところが、その子が忘れてしまったのは銀髪の彼のことだったわけで。波間くんは別の友達から聞かされた話と違うことに動揺していて、悪気があったわけではないというのはそれからだいぶ経ってから知ったのだとか。けれど、それを知らなかった当時の彼は心底許せなくって。いわゆる不良グループとそこそこ仲が良かったために、オトシマエをつけてもらったとかで。波間くんはひどい大怪我をして、それ以来二人はかかわらなくなってしまったのだと。


今回、わたしの記憶の件についてだけれど、やはり、パン屋で仲良くしているわたし達を見かけて、今度は彼の記憶から『最も大切な人』を消し去ってやろうと思ったらしい。けれど、わたしが間に入ってしまったわけで。最初はざまぁみろ、なんて思っていたらしいけれど、何度かわたしの姿を見かけて、違和感に気が付いたらしい。あの日以来もわたしが波間くんに変わらぬ態度で接していることから、まさか自分は過去の自分が負った傷を見ず知らずの女の子に負わせてしまったのでは、と心底不安になったとか。どうやら銀髪の彼は怖そうな見た目や言葉遣いに反して根は優しい人らしい。


それからわたしのことを嗅ぎ回って、自分が幼い頃いじめていた赤いリボンの女の子がわたしだと知ったらしい。彼もまた、かつて尻尾のある男の子に叩きのめされて以来、わたしに謝ろうとは思っていたけれど……と、あとは波間くんと大体同じ流れで。


さて、一旦このことは置いといて、わたしが考えるべきはただ一つ。わたしの、『最も大切な人』……正確には、大切だった、人についてだ。記憶を取り戻すきっかけはわからない、だけど、取り戻せないわけじゃないことはわかった。わたしの最も大切な人はやはり尾白猿夫くんだったようで。


銀髪の彼が警察に連れて行かれるまで、わたしはずっと尾白くんのことを考えていた。この2,3ヶ月の間、彼はまるで壊れ物を扱うようにわたしのことを大切にしてくれた。一度も言葉にはされてないけど仕草や態度から想いは全部伝わってきた。わたしに触れる手が、わたしを見る目が、優しい言葉が、全部全部、好きだよって、愛してるよって、優しい愛の気持ちが滲み出ていた。彼はわたしに一度たりとも、早く思い出して、なんてことを言わなかった。何よりも一番にわたしのことを想ってくれて、自分のことなんか二の次で。本当は、辛くて、寂しくて、苦しい気持ちのはずなのに。


波間くんと彼のことを同時に考えた。波間くんは今の状況をチャンスだと考えていた。確かに、誰かに好きって言ってもらえるのは嬉しいことのはずだけど、彼は自分本位な気がしてならないのだ。それに、わたしにとっては男の子が怖いという印象を植え付けられたこともあって、やっぱり彼に対して恋愛感情を向けるなんてことはあり得なくて。


考えれば考えるほど、わたしの頭も心も、どんどん、支配されていく。記憶がなくなっても、ずっとずっとわたしのことを一番に想ってくれる、尻尾のヒーローに。


今、隣に立っている彼をじいっと見上げたら、自然と涙が浮かんできた。胸がどきどきする。顔が、全身が、熱くなる。一瞬でじゅわっと頬が真っ赤になったのがわかる。


彼もわたしを見てくれた。彼は細い目を真っ直ぐわたしに向けてくれている。視線がとても熱い。彼はわたしの虜になってしまったのかというほどに、瞬きすらも忘れてじいっとわたしの目を見ている。わたしも同じ。瞬きすらも忘れてしまうほど、彼の優しい目に釘付けになってしまっている。この胸の高鳴り、間違いない。やっと……やっとわかった……わたしは、尾白くんのことが、すき……


自分の気持ちがはっきりしたことで胸の中がとてもすっきりした。嬉しくてニッと笑うと彼はやっと瞬きをして、首を傾げてきた。


「……どうしたの?」

「あ、え、えっと……みんな、帰っちゃった、ね。」


目が、声が、何もかもが優しい。顔が、熱い。今、一緒にいるときっと、この想いを伝えずにはいられなくなってしまう。


「え?う、うん……あ、俺、送……」

「あっ、わ、わたしも、えっと、か、帰らなきゃ!えへへ……じゃあね!」

「あっ!ちょっと!」


彼のことを本当に思い出す時まで、この気持ちは秘密にしておきたい。彼は記憶のない今のわたしのことも心から愛してくれている。だけど、今のわたしは彼が好きになってくれた以前のわたしには敵わないような気がしてならないのだ。臆病なわたしでごめんなさい。必ず、必ず、あなたのこと、思い出すから、もう少しだけ、待っててね。





「そ、っか……」

「ごめんなさい……」

「いや、いいんだ。はっきり言ってくれてありがとう。」

「えっと、わたしの方こそ、ありがとう。それじゃ、わたし、帰るね!」

「おう、これからも友達としてよろしくな!」

「うん!ばいばい!」


あれから2週間。先日3年生に進級したわたしは相変わらず忙しい毎日を送っている。変わったことといえば、尾白くんと少しだけ距離が縮まったことと、ついに波間くんに自分の気持ちを伝えたこと。波間くんはなんとなくわかっていたみたいで、割とあっさり引き下がってくれた。


そうえば、銀髪の彼が警察に捕まったことをニュースで知ったみたいで、波間くんは彼に会いに行ったらしい。お互い、昔のことを謝りあって、来週また会いに行く、と嬉しそうに話していた。色々あったけれど、みんなが仲良く過ごせるようになって良かったなぁとほっこりする。結果的に、わたしも昔いじめられた男の子たちから謝ってもらえたわけだし。


ちらりと時計を見たら、もう約束の時間だ。顔を上げたら、慌てて走ってくる二人の姿が見えた。今日は大好きな親友の女の子二人と久々にご飯を食べに行く日。二人ももちろん、わたしに尾白くんの記憶がないことを知っている。けれど、二人とも自然に身を任せた方がいいよ、と無理に思い出させるようなことはしてこない。でも、二人も含めたわたしと彼の周りの親しい人たちは時折悲しそうな表情を見せてくるから、早く思い出したいなぁ、とわたしの気持ちは焦るばかりで……目頭が、熱い……


「早く、思い出したい……」

「真ちゃん!?」

「ちょっと!何泣いてんの!?ほら、ハンカチ!はい!」

「ありがとう……」


美味しいご飯を食べながらたくさん楽しい話をしていた。でも、二人とも恋人がいるけれどその話は絶対してこないわけで。気を遣わせていることも申し訳ないけれど、今いちばんの心配事。それは、他の女の人に尾白くんがとられてしまうんじゃないかということ。わたしに勇気がなくて、過去の自分に勝てなくて悔しい、今のわたしじゃ物足りなくて悲しい気持ちになるからと想いを突っぱねられるんじゃないかと思うと気持ちを伝えられない、彼の幸せが何なのかわからない、とぐすぐすと泣きながら胸中を吐露した。すると二人はきょとんとした顔でいやいやと片手をぶんぶんと振り出した。まるで鏡ではってくらいに動きがシンクロしている。


「二人とも、どうしたの……?」

「いや、あの彼があんた以外の女の子に〜とか、気持ちを突っぱねられる〜とかってそんなあり得ない話……ねぇ?」

「うん。彼、付き合いたての頃から今まで何一つ変わってないと思うよ……」

「きっと今の真からも好きって思われてるの知ったら泣いて喜ぶと思うけど?」

「私もそう思うよ?真ちゃんから何度でも恋をしてもらえるなんて、彼にとってこの上ない幸せだと思うけど……」

「そう、なの、かな……」


彼にとって一番の幸せは何なのだろう。わたしが記憶を取り戻すこと?わたしからすきって思われること?わからない。どちらかといえば成績は良い方だし、日頃から察しも悪くないはずなのに。彼のことになるとわからないことばかりだ。


結局気持ちは定まらないまま楽しい時間はあっという間に終わって解散することになった。夜道をひとりでゆっくり歩いてじっくり考える。彼にとっての幸せは何だろう、と。彼のことが好きだと自覚してから、考えることはそればかり。ぼーっと考えていると気が付けばお家に着いていて。鍵を差し込もうとすると、静かな夜道に大音量でスマホの電話の音が鳴り響いた。





彼の幸せは何だろう




「わあ!?か、上鳴くん……?」


画面には上鳴電気の文字。もしもし?と応答して、彼の話を聞いた直後にわたしはスマホを落としてしまったのだった。






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