愛しているから



本来なら付き合って5年が経過したことを祝う時期なのであろうが、生憎現実はうまくいかないもので。


さて、銀髪の彼が捕まってから2週間。あの日から真と俺の距離が少し変わった気がする。2週間という短い時間の中で2度のデートを重ねたのだが、いずれも落ち着きがなかったというか……自惚れてもいいのだろうかと勘違いしてしまいそうなほど、蕩けた熱い視線を何度も何度も向けられた。


つい3日前のデートでは彼女を家に送って帰る間際、またね、と林檎っ面でぽつりと呟いた姿があまりにも可愛くて、ついつい彼女を下の名前で呼び、真っ赤な頬に手を添えてしまった。それはいつもキスをしていた時の癖で。愛してる、と言いかけた時、自分のしでかしてしまったことにハッとして謝ると、彼女は突然下の名前で呼ばれたことと頬に触れられたことに驚きつつも、また距離が近付けたみたいで嬉しいよ、なんて。やはり彼女は気がついている。間違いない。動揺した俺に反して、彼女はとても落ち着いていて、俺の手を小さな掌で包み込んで、次のデートも楽しみにしてるね、と白い歯を見せてニッと笑ってくれた。


正直、彼女に記憶があろうがなかろうが大した問題ではない。俺は統司真が好きなのだ。どんな真も真なのだから。彼女があんな風に楽しそうに笑ってくれればそれでいいのだ。俺は彼女を、愛しているから。ただ、小さな我儘が消えてくれない。あわよくば、もう一度俺を好きになってほしいという、我儘。


彼女に想いを馳せながら、昔彼女が俺にくれた小さな猿のぬいぐるみを片手にボーッとしていると事務所の電話が鳴り響いた。事務員が電話をとってその内容を伝えてくれたところ、どうやら近くの宝石店で、二人組の男が人質をとって立て籠っているとか。近接戦闘が得意な俺も出動することになり、慌てて手に持っていた物をしまい、頭を切り替えて事務所の先輩と共に通報があった現場に駆け付けた。


「尾白!こっちこっち!」

「上鳴!お前もいたのか!」

「そ、たまたま近くにいたから応援に行けって上司から言われたんだよね。とりあえず状況説明するわ。」


上鳴が俺と事務所の先輩に詳しく状況を説明してくれた。どうやら犯人は二人のよう。一人はここからも窺えるのだが、もう一人は建物を徘徊しているようで。なるほど、つまり警察やヒーローが変な動きを取れば報告されて人質が危険に晒されるというわけか。


「人質……俺が代わるってダメかな……」

「えっ?」

「いや、強行突破するよりいいかなって……ほら、俺の個性、見ればわかるし。」

「……最優先すべきは市民の命だ。やむを得まい。交渉してみる。」


警察と先輩が犯人と交渉をしている間、俺は上鳴から小さな通信機を受け取った。尻尾の毛の奥の方に結び付けて、尻尾と身体をロープでぐるぐると巻かれた。身代わりになる準備を整えたところで、先輩と犯人との交渉は俺が現金を持ち込むという条件で上手くいったらしく、俺は現金の入ったバッグを持ってゆっくり建物の中に入って行った。


尻尾の先が顔のすぐ横に来るように縛られているため、中の様子は逐一小声で上鳴に報告した。人質は真くらいの身長の男の子だった。上鳴曰く、一緒に来店していた祖母を先に逃したところで自分は逃げ遅れてしまったのだとか。勇気ある少年に、もう大丈夫だよ、と微笑むと彼はぼろぼろ泣き出した。刃物を持った男が俺を押さえつけると同時に、男の子はもう一人の大柄の男に引き摺られるように連れて行かれた。大きな声で、尻尾のヒーローありがとう!と言われて、救けることができて良かったと心底安心したのも束の間。さて、どうやってこの状況を打開するか。


ぶっちゃけ人質が俺なのだから強行突破でいい気がする、と小声で通信機に向かって話したけれど、窓の外で首を左右に勢いよく振る上鳴が見えた。まぁ確かに。尻尾と両手が縛られているからまともに闘えないし、どうしたもんかと首を捻っていると、突然外から大きな爆音と怒号、人々の騒ぎ立てる声が聞こえた。この音、この声、間違いない……刹那、窓がパリンと勢いよく割れると同時に見知ったヒーローが侵入して来た。


「オラァ!!尻尾ォ!!目瞑れ!!」

「な、なんだコイツ!?」

閃光弾スタングレネード!!」

「ぐああっ!目がっ!!」


爆豪の繰り出す強烈な光によって男は視界を眩ませて刃物を落とした。目を瞑っていた俺は薄く目を開けて、その刃物を遠くに蹴り飛ばし、同時に爆豪が男を押さえ付けた。彼は持って来ていた道具で男を捕縛し、落ちていた刃物で俺のロープを切ってくれた。


「ありがとう、助かったよ。」

「ケッ!お人好しが!ンなめんどくせーことせずにパッと倒して救けりゃいーだろが!」

「いや、俺はお前みたいに器用に闘えないし……」

「チッ!まァえーわ!もう一人もとっとと捕まえんぞ。アホ面達が外囲んでっから逃げらんねーだろ……」

「顔がヴィランみたいだな……」

「あァ!?放っとけ!!」


ひとまず縛った男を1階の入り口まで運んで警察に引き渡した。続けて、この3階建ての建物の内部を爆豪と二人でくまなく探したけれど、もう一人の大柄の男は見つからない。


「一体どこへ……」

「……なんか臭ェ。」

「えっ?」

「……!!おい尻尾!!」

「……!!尾拳・沼田打旋風!!」


爆豪の意図を汲み取り、目を凝らしてやっと目視できる程度の薄霧を尻尾で振り払うと目の前にじわーっと薄霧が集まった。どうやら気化でもする個性なのだろうか。爆豪は瞬時に実体に戻った大柄の男に飛びかかった。男はなぜかニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべている……!?


「爆豪!!」

「あァ!?うおおっ!?」


突然、爆豪の背後からもう一人、別の男が飛び出して来た。犯人は二人じゃなく、三人いたのだ。気がついた俺は考えるよりも先に爆豪と三人目の男の間に飛び込んでいて。


「あ゛っ……!ぐッ……!?」

「尻尾!!クソッ!!オラァ!!」


爆豪は無事なのだろうか……身体が、熱い。痛い。痛む箇所に手をやるとぬるっと滑る感覚。俺、どうなったんだろう……


「おい!!尻尾!!目ェ開けろ!!」

「…………」


やられたところが、悪かったのだろうか。視界が、暗くなって、きた。声が、出ない。でも、友達を、救けられて、良かった。自然と、口角が上がった。


「おい!!クソッ、林檎に何て言やいーんだよ!!」


林檎……そうだ、真……俺……まだ、真に……


「尾白!?おい、尾白!!何で爆豪がいてこんな……!!」

「コイツが俺を庇ったんだよ!!クソッ、俺のミスだわ!!」

「早く救急隊を……!!」


上鳴と爆豪、先輩の慌てた声もだんだん遠くなって来た。遠のく意識の中、最後に俺の頭の中に浮かんだのは林檎っ面の頬に両手を当てて目を細めて笑う愛しい彼女の笑顔だった。記憶なんて、関係ない。どんなキミも、愛しているから……





……だから、こんなところで死ぬなんて絶対嫌だ。





愛しているから




俺、まだ、真に、愛してるって、言ってない……






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