ふたりの幸せ



意識を失った後のことはわからない。けれど、自分が見ている夢の内容ははっきりわかる。真が泣いていた。救けて、って。早く来て、って。どこにいるの、って。夢の中で、彼女は確かに俺を求めてくれていた。俺はただただ走った。ただひたすら彼女のいる方へ。


夢中で走り続けてやっと彼女を抱きしめたところでハッと目が覚めた。すると目の前には本当に苦しそうに頭を抱えて泣き叫ぶ真がいて。上鳴と爆豪が真に向かって手を伸ばしていたけれど、それよりも早く彼女の小さな身体を抱き寄せた。久しぶりの彼女の体温、甘くて優しい香りに頭がクラクラする。抱きしめた途端に泣き止んだ彼女は俺の顔をじいっと見上げて、再びその美しい漆黒の目を涙色に輝かせた。


「猿夫くんっ!!」


猿夫くん……今、確かにそう呼んだ……!記憶が戻ったのかを尋ねようとした瞬間、真が勢い良く唇を重ねてきた。しかし、喋ろうとしていたからかお互いの歯をぶつけてしまった。ごちっと音がして、慌てて謝ってきたけれど、お互い目を合わせたらなんだか笑いがこみ上げてきて。おいで、と両腕を伸ばしたら、いつもの様にふわっと首に腕を回してきた。同時に、上鳴と爆豪は病室を出て行った。真は慌てて言葉を紡ごうとしている。だけどごめんね、俺、今すぐに伝えたい事があるんだ。


「真。」

「うん?」

「愛してるよ……ずっと……ずっと、言いたかった。」


やっと言えたのが嬉しくて頬が緩んでしまった。真はうるうると瞳を揺らしながらやっぱりじいっと俺の顔を覗き込んできて。綺麗な涙がつーっと頬をつたったと同時に、彼女はぎゅっと抱きついてきて、俺の首元に顔を埋めながら言葉を紡いだ。


「あのね、猿夫くん、わたし、わたしね……」

「うん?」

「何度でも、あなたをすきになるよ。記憶なんて、関係なくて……わたし……尾白猿夫くんが、だいすきだよ……」


真は林檎っ面でふわりと微笑んだ。これまで見た笑顔の中でも群を抜いた美しい笑顔に、俺の視界もぼやけてきた。なんて可愛い……なんて愛らしい子なんだろう……


「うん、俺も同じ。何度でもキミを好きになるよ。統司真さんが、大好きだよ……」


もう一度、そっと唇を重ねた。初めてキスをした時と同じ、涙味のキス。あの時も真の記憶が戻った時で、しかもしょっぱかったよね、とふたりしてクスクス笑いながら、何度も何度もキスをした。けれど、しばらく繰り返していると刺されたところに鋭い痛みが走ってしまって。


「痛っ……」

「あっ、ご、ごめんね、痛いよね……」


真は誰よりも優しい子だ。今は一番甘えたい時であろうに、自分のことより相手のことを優先して考えてくれる。これまで沢山悩み抜いたであろう彼女をこれ以上不安な気持ちにさせるわけにはいかない。


「全然痛くないから大丈夫だよ。」

「…………」


丸くて大きい綺麗な目をこちらに向けている……しまった、個性のせいで痛いのがバレバレだ。仕方ない……


「……傷が綺麗に治ったら、また沢山デートしようね。」

「う、うん……えへへ、早く治るといいなあ……あっ、そうだ……」


真は悪戯っぽくにひっと笑うと、ちゅっと音を立てて俺の頬にキスをしてきた。早く治るおまじない、だと。頬じゃ治らないかも、と言ったら、林檎っ面になりながら何度も唇にキスをしてくれた。本当に傷の痛みを忘れてしまった俺は、世界で一番可愛い彼女をずっと抱きしめていた。


しばらくして、医師の診察の時間が近づいてきた。真は心底寂しそうな顔をしていたけれど、また会いに来るね、と言っておやすみのキスをして名残惜しそうに病室を出て行った。





そんなことがあって早1ヶ月。俺は退院することはできたが、職場の所長曰く、完治するまではしばらく自宅療養しろとのことで。こういう時、一応公務員だから給料は保証されているのがありがたいと感じる。そんな俺は自室でパソコンをいじっていた、というのも、一人暮らし……いや、正確には、隣で本を読んでいる、この小さな可愛らしい林檎の妖精とふたり暮らしをするために。


「真はどこがいい?なるべく大学から近いところを絞ったけど……」

「わたしは猿夫くんがお仕事に行きやすい場所ならどこでもいいよ?」

「そんなわけにはいかないよ。ふたりで住むんだから、ちゃんと自分のことも考えて。」

「えへへ、そっかあ……正直に言うとね、学校よりもスーパーが近い方が嬉しいかな……」

「あ、それ大事だね、俺気づかなかった。ありがとう。」


真を俺の脚の間に座らせて、ふたりでじーっとパソコンの画面を眺めて、やっと候補を3つまで絞ることができた。週末は授業が午前で終わるとのことで、その日にふたりで内覧に行くことにしてひとまず必要な作業を終えた。


「けど、真のご両親は、その、ご存知なの……?」

「あっ、えっ、えっと、お、お母さんだけに話したよ……」

「……お父さんには?」

「い、言えてません……」

「そ、そう……」


それもそうだ。話は彼女が記憶を失う以前に遡る。俺は結婚の話をするかどうかであれほど頭を抱えていた。一度は真が大学を卒業する直前に結婚したいと伝えようと決意はしたものの、如何せん、あんな事があっては再び俺の不安は募るわけで。それに、今回俺は命に別状はなかったものの、ヒーローという仕事に就いている以上、いつその時が訪れるかわからない。今回生じた全ての出来事を通して、言いたいことは言えるうちに何でも言っておかなければと痛感した。


同棲も始めるんだし、一度、男としてケジメをつけるべきなのでは。そう思った俺はすくっと立ち上がって、自分の机の引き出しを開けて、奥にある林檎の様に真っ赤な小箱を手にした。


「真……とても大事な話があるんだ。聞いてくれる?」

「大事なお話……?うん、聞きたいな。」


真は丸くて大きい綺麗な目を見開いて、ぱちぱちと瞬きしながらじいっと俺の顔を覗き込んできた。堪らず触れるだけのキスをすると、柔らかい頬にぽっと赤みがさした。じわじわと林檎の様な真っ赤な顔になって、頬に両手を当てながら、お話するんじゃないの?とクスクス笑い出した。


俺は彼女の右頬にある右手をそっと手に取った。小さな可愛い薬指には高校生の時にプレゼントした林檎のモチーフの指輪が嵌められている。自分があげたものをこんなに大切にしてくれているなんて、と思わず顔が綻んだ。笑顔になった事で緊張が解れた俺は彼女の薬指から指輪をそっと外した。


「あれっ、取っちゃうの?」

「……そう、これからはこっちをつけてもらいたいんだ。」


一旦机に置いていた真っ赤な小箱を尻尾で取って、真からよく見える様、跪いて彼女の近くで小箱を開けた。彼女はすでに大きな目をさらに大きく見開いていて驚いている。


「まだはっきりいつとは言えないんだけど……その……」


頑張れ、俺。勇気を出せ。高校で一体何を学んできたんだ。


「あの、いつか、俺と……」


真はうるうると瞳を揺らしながら俺の言葉を待ってくれている。彼女のためにも、言うんだ。
更に向こうへプルスウルトラの精神で。


一度、ゆっくり深呼吸をして、彼女の美しい目をまじまじと見つめながら、ゆっくり、はっきりと呟いた。


「……結婚、してくれませんか?」

「……!!」


真の顔は今まで見た中でも一番赤い、もはや焼き林檎の様だ。瞳を揺らしている彼女の顔をじいっと覗き込みながら彼女の言葉を待つ。


「……わ、たしで……いい、の?」 

「真がいいんだ。」

「結婚、って……ずっと、一緒……だよ?」

「うん、最高に幸せだよ。」

「……!!あの、あなたの、幸せ、って……?」


真は小さく首を傾げながらもじもじと尋ねてきた。目に溜まった涙がぽろりと零れ落ちる。できれば、泣き顔じゃなくて……


「俺の幸せは、真が笑ってくれること。それだけ。だから、泣かないで……」

「う、嬉し泣きだから、許して……」

「嬉し泣き、ってことは、俺、自惚れてもいい?」


初めて告白した時と同じように、真は首が取れるんじゃないかってくらい何度も何度も頭を縦に振って、俺の一番好きな林檎っ面の満面の笑みを浮かべながら俺の首にふわりと腕を回してきた。


「えへへ……猿夫くんの、お嫁さんにしてください……」

「……俺、今が人生で一番幸せかも。」

「そう?えへへ、嬉しいな……もっと幸せにできるよう頑張るね!」

「それは俺の台詞なんだけどな……くくっ、真を幸せにできるよう頑張るからね。」

「えへへ、もう十分幸せだよ……猿夫くん、だいすき……」

「うん……俺も真が大好きだよ……」


俺達はどちらからともなく唇を重ね合わせた。紆余曲折を経て、やっと真に俺の本当の気持ちを伝えられた。さて、次は彼女のご両親にご挨拶をすることが俺の最大の悩みになりそうだ…………





ふたりの幸せ




「彼氏がいることも言ってないのに、いきなり同棲なんて……俺、殺されたりしない……?」

「だ、大丈夫だよ!!お父さん、すっごく優しいよ!!」








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