世の中そんなに
甘くはない



あれからもう2週間、俺は漸く仕事に復帰できたところで、今日は久々の出勤ということで夕方には上がることができたから真の家に泊まりにやって来た。彼女は嬉しそうに俺を迎えてくれて、とても美味しい夕飯まで用意してくれた。結婚したらこれが頻繁に、なんて思うと顔がだらしなく緩んでしまう。はぁ……お腹もいっぱいになってなんだか眠く、なって来た……



***



先日、真の口からぽっと出た、お父さんに会ってみる?という言葉。同棲を始めようというのにお父さんに何の報告もなしに、なんていうのはかなり失礼に値するのではないかと考えた俺は、勇気を出して彼女のお父さんに会うことにした。というわけで、先程仕事を終えた俺は一旦帰宅し、夕飯や風呂を済ませて真の家へと向かっている。真とお父さんは街中で夕飯を食べてから家に戻ると言っていたから時間的にはちょうどいいだろう。


しばらくして、真の家に到着した。彼女はソワソワした様子でドアの前に立っていて、俺の姿を目にした途端、こちらへ駆け寄って来てふわっと俺の腰に腕を回して来た。日曜日から会えていなかったから寂しかったのだろう、軽く頭を撫でてやると嬉しそうにえへへと笑っていた。


さて、彼女と一緒に部屋に入るとどっしりと構えたお父さんが座っていた。俺はかちこちに緊張していたけれど、真にそっくりな柔らかい微笑みを浮かべてくれて、座るよう促してくれた。


「は、初めまして、尾白猿夫と申します……お、お嬢さんとはその、ご、5年ほどお付き合いさせていただいて……」

「……そうか、君が……真が初めて好きになった人か……」

「……えっ?」

「お、お父さん!?し、知ってたの!?」

「うん?あんなに駄々を捏ねて一人で雄英高校の寮に入るって言ったのは真だろう?あんなに甘えん坊で泣き虫な真が一人になることを選ぶなんて、ねぇ?」

「う、うぅ、は、は、恥ずかしい!!」


彼女は真っ赤な顔で俺の後ろに隠れてしまった。全く、隠れたいのは俺の方だというのに……


「武闘ヒーロー・テイルマン……いや、尾白くん、だったね。」

「は、はい!」

「うん、キミになら真を任せても大丈夫だろう。あの真が好きになった男なら、ね。」


真のお父さんはとても穏やかに微笑んでくれた。任せても大丈夫、ということはつまり、俺を認めてくれたと思っていいのだろうか……こんなに上手くいくもんなのか……?、なんて考えていると、真がお手洗いに行く、と席を立った。すると、お父さんは目を大きく開けて俺をじっと見つめてきた。お父さんも目の個性なのだろうか。


「真はしっかりしているように見えて、案外子どもっぽい所が多くてね。キミのような落ち着いた人と一緒になってくれるなら安心だよ。」

「えっ?あっ、あ、ありがとうございます……?」

「あの子は良くも悪くも素直で、頑固な所があってね、きっと喧嘩をすることもあると思う。けど、あの子のことを信じてやってほしい。あの子は本当に君のことを大切に思ってるからね。」

「あっ、は、はい、それは俺も……大切にします、これからも、ずっと。」

「……うん、それを聞いて安心したよ。さて、同棲するんだっけね、いいだろう、ヒーローと一緒なら心強い。」

「あ、ありがとうございます!」



***



ハッと目を覚ましたら風呂場からシャワーの音が聞こえていた。どうやら眠ってしまって先日の夢を見ていたようだ。まぁ夢でなくともぶっちゃけ頭が真っ白でこの会話しか覚えていないなんてことは絶対秘密だが。他にも色々話はしたのだが、とにかく緊張していて……しかし、ご家族に認めてもらったのは大きい。あとは真が大学を卒業してから、新しい生活に慣れたら籍を入れて……考えただけでも胸の高鳴りはどんどん加速する。あんなに可愛い子がこんな俺の……


「猿夫くん?お風呂あいたよ?」

「……わっ!あ、ああ、そ、そうだね、ありがとう。」


妄想に耽っていると、突然視界はとても可愛らしい顔でいっぱいになってしまった。慌てて立ち上がって風呂場に行こうとしたけれど、服を掴まれていたようでびんっと張って前に進めず。振り向いたら真っ赤な顔で俯いている真がいた。


「どうしたの?部屋暑い?エアコン入れようか?」

「う、ううん、そうじゃなくて……」

「うん?」

「あ、あの……」

「何かな?」

「や、や、やっぱりなんでもない!おやすみなさい!」


真は恥ずかしそうに両手で林檎っ面を隠しながら寝室へと走って行った。なんて可愛いんだ、と思わず頬が緩んでしまう。


そうそう、実は昨日、真を改めて家族に紹介したわけで。具体的に決められてはいないけれど、彼女と結婚する意志をやっと親に伝えられた。しかし一つ驚くことが。どうやら俺の両親は真の御両親の職業を知らなかった様で。所謂、社長令嬢だと聞いて俺の父親は椅子からひっくり返ってしまっていた。そんなお嬢様とご結婚だなんて、と口あんぐりな父親に対し、母親は真ちゃんがお嫁に来てくれるなんて嬉しいとか、こんな息子でいいのかとか、肝っ玉の据わった態度でニコニコしていた。


なんて昨日のことを思い返しながら風呂を済ませて、寝る準備を済ませてから寝室へ行くとベッドにちょこんと座って雑誌を読んでいる真がいた。風呂上りだからだろうか、まだ頬は上気しているようだ。俺は真の勉強机の椅子に腰掛けて、スポーツドリンクを飲みながら、何を読んでるの?と声をかけたらとてももじもじしながら本で顔を隠してしまった。ああ、もう、この林檎の妖精、いや、天使ときたら……


「あ、あのね……えっと……」

「うん?」

「え……っと、え、えっ……」

「え?」

「…………エッチ、したい、な。」

「ぶっ!!げほっ!!ごほっ!!え、えっ!?げほっ!!」

「だ、大丈夫!?」

「ごほっ!!ぐっ!!うっ、だ、大丈夫っ、げほっ!!」


真はベッドからぴょんと降りて来て俺の背中をとんとんと優しく叩いてくれた。いや、確かにここ4,5ヶ月、俺がうじうじしていたり彼女が記憶を消されてしまったり、それから俺が怪我をしたり……とにかくいろんなことが続いてしまい、そういう意味では随分とご無沙汰で。瞳を揺らしている彼女の頬にそっと触れると、その頬はとても熱かった。


「いいの……?」

「うん……えっと、わたしのこと、お嫁さんに、してくれるんだよ、ね?」


頬を上気させながら潤んだ目で俺を見上げてくる可愛い真。


「もちろん……キミが来てくれるなら……」

「わたし、猿夫くんがいい……あ、あのね、わたし、エッチするひとは、その、結婚するひとだけがいいなって、ずっと思っててね……」

「うん……」

「だからね、猿夫くんとなら、わたし……」


もう、我慢できない。


「……!!真ッ!!」

「きゃあ!!んっ……んぅ……」


俺は彼女の言葉を最後まで待ちきれず、ベッドに押し倒してしまった。両手首を押さえ付けながら噛み付くようにキスをして、服の中に手を入れて柔らかな肌に手を這わせた。怖がらせないようにしたいけれど、ここ数ヶ月ご無沙汰だったこともあって、俺の理性はとうに限界を迎えていた。ちゅっと音を立てて唇を離し、くったりと力の抜けた彼女の身体を思い切り掻き抱いた。


「真……愛してるよ……」

「わたしも、あいしてる……えへへ……だいすき、猿夫くん……」


こうして俺たちの初めての、本番の愛の営みが始まった……かのように思えた。そう、思えただけ。世の中そんなに甘くはない、ということだろうか……





世の中そんなに甘くはない




「きゃあああ!!ま、猿夫くん!!く、くも!!くもがいる!!やだあ!!」

「えっ!?ど、どこ!?」

「天井!!や、やだよお!!怖い!!」

「……小っちゃ!!えっ、あれが怖いの!?し、仕方ない、ちょっと待って……」


椅子に乗って、ティッシュでクモを掴んでぽいっと窓の外へ投げ出した。さて、愛の営みの続きをしようと再び彼女に向き合ったのだけれど、よほど怖かったのだろう、しくしくと泣き始めてしまって。今日はお預けか、と軽くため息を吐いて、震える彼女を抱きしめて小さな背を優しく叩いて寝かしつけたのだが、彼女の天使の様な可愛い寝顔を見ていると全てどうでも良くなってしまって、だらしなく顔を緩ませながら俺も一緒に眠りについたのだった。







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