結局、初めてのエッチはできずじまいだった。けれど、あれからたくさん練習と称して少しずつ前進はしている。でも、やっぱりソレを受け入れるにはどうしても痛くて怖くて堪らない。もしかしたら一生彼を受け入れることができないのかもしれない。しかし、彼は以前言っていた。たとえそれができなくても構わないって。だってわたしと彼は、心と心がつながっているのだから……
そんなこんなで数ヶ月が経ち、わたしは大学4年生になって、就職活動に励んでいる。最近、猿夫くんも職場の就職希望者の対応をしているって言ってたっけ。事務員の空きがあるけどどう?と、わたしに声をかけてくれたのだけれど、美術を活かせる仕事がしたいために丁重にお断りを入れた。
バイトを終えて、波間くんと店閉め作業をしていると、ドアのところに人影が。きっと猿夫くんだろうと思って、波間くんが入っておいでよ!とドアを開けたのだけれど、間違えました!すみません!と謝る声が聞こえて。ぱっと顔を上げるとバツが悪そうな顔をした轟くんが立っていた。
「あれっ?轟くん?どうしたの?」
「……統司、今日まだ大丈夫か?」
「え?うーん……うん、大丈夫だよ!」
ちらっとスマホを覗いたのだけれど猿夫くんから遅くなる旨の連絡が来ていて。一人で帰るのもつまらないし、今日は轟くんのお誘いに乗ることにした。あとは鍵閉めだけだったから、波間くんに鍵を渡して轟くんと一緒にお店を出た。
「急に悪い。」
「ううん!大丈夫だよ!何か用事?」
「ん、ちょっとな……ところで、腹減ってねェか?」
「うん!お昼からずっとバイトだったからお腹ぺこぺこだよ〜!何か食べに行く?」
「この近くに、個室の蕎麦屋があるんだがそこでいいか?味は保証する。」
「お蕎麦?うん、いいよ!」
轟くんに連れられて辿り着いたのはとても高そうなお蕎麦屋さん。なんでも彼は常連さんらしくて、一番奥のとても広い個室に案内された。お金足りるかな、なんて心配したけれど、既に前払いで席を取っていたみたい。つまり、今日のお誘いは偶然じゃなくて予め決められていたものだ。何か大切な話があるのだろうか。
「ご馳走様でした!とっても美味しかった!」
「ん、口に合ったなら良かった。」
「それで、お話って?」
穏やかな表情だった轟くんの目が急にきゅっとキツくなったような気がした。
「……気を悪くしないで聞いてくれ。尾白と上手くいってるか?」
「えっ?う、うん……多分……どうして?」
彼との関係で思い当たることといえば、だいぶ前の、上鳴くんの腕を掴んだ時くらいだ。けど、しっかり仲直りもできたし、あれからも上鳴くんとは仲良くしている。何度か彼とお茶をしたこともあるし、猿夫くんも彼と仲良くやっている。先日は峰田くんも含めて四人でお食事に行ったし……なんて考え込んでいたところ、轟くんの声でハッと我に返った。
「……お前のこと、女に相談してた。」
「……えっ?ど、どんな人に?何を?」
「……自信がないとか、無理……とか。同じ車に乗ってて……多分、事務所の事務員だ。何度か見かけたこともある。」
「む、無理?自信がない?そ、それって、わ、わたしと、い、一緒にいるのが、ってこと?」
声が震える。上手く、話せない。
「落ち着け。まだ何もわかんねぇ。上鳴にも聞いてみたんだが、その、尾白と仕事することも多いから気をつけて見てみるって言ってた。」
「う、うん……ひっ、う、うぅ……」
「悪い、泣かせるつもりはなかった。ただ、ちょっと気になったんだ。」
「うん、ありがとう……」
轟くんはいつも炎を出す方の手でぽんぽんと背中を叩いてくれた。ハンカチでとんとんと涙を拭いて、落ち着いたところで一緒にお店を出たのだけれどなんとなく猿夫くんに会いたくなくて。家に帰りたくなくて、ちょっと寄り道でコンビニに寄ってみると、入り口の近くで帽子を深く被って蹲み込んでる人がいて。
「だ、大丈夫ですか!?」
「うぇ……ぎもぢわり……」
「気持ち悪いんですか?ちょっと待っててください!あ、轟くん、この人見てて!」
「ああ……ん?お前……」
わたしはコンビニで急いでお水やビニール袋を買って外に出た。すると帽子を手に持って顔を真っ青にした上鳴くんが轟くんに背をさすられていて。
「か、上鳴くん!?あっ、これお水!飲める!?」
「ごめん真ちゃん…………うぇ、ちょっと楽んなった、かも……」
「大丈夫か?」
「轟もごめんな……ん、ちょっと飲み会でハメ外しちゃってさ……おぇっ……」
しばらく上鳴くんの様子を見て、やっと彼が歩けそうなくらいに回復したところで、わたしと轟くんは上鳴くんのお家へ付き添った。吐き気がひどいみたいで、家に入った瞬間お手洗いで胃の中を空っぽにしていた。ひとまず上鳴くんのお家にあがってからすぐに卵雑炊を作ってあげたのだけれど、吐き気なんて嘘のようにぱくぱくと食べ進めてくれた。今は食後に薬を飲んで、自室のベッドでぐったりと横になっている。
「心配だな。」
「うん……わたし、今夜ここにいてもいいかな……?」
「わ、悪いよ、尾白も心配するでしょ……」
「うーん、ちゃんと言えば大丈夫と思うよ。そんなことより、上鳴くんに何かあったらって思ったら……」
「俺も残ってやりてーけど、明日朝イチで親父と出張に行かなきゃなんねェ。悪い。」
「大変!轟くん、早く帰らなきゃ!」
「ん、悪い。あ、統司、今日のことはくれぐれも知らねェフリしてくれ。あと、戸締まりはしっかりな。」
轟くんを玄関までお見送りして、彼の言い付け通りにしっかりドアロックをかけた。上鳴くんの元へ行くと、玉のような汗をかいてぐったりとしていて。様子がおかしいと思ったわたしは彼にお断りを入れてから体温計を探し、検温を試みたのだけれど。
「さ、38度!?やだ!大変!」
彼にお断りを入れて、リビングや浴室を駆け回って、彼の身体を蒸しタオルと濡れタオルで拭いて服を着替えさせた。正直、猿夫くん以外の男性の肌を見ることになるなんて、と胸がちくんと痛んだけれどそんなことは言ってられない。大切な親友が苦しんでいるのだから。
「真ちゃ……帰っ、て、いいよ……」
「何言ってるの!?こんな状態で一人にできないよ!」
「お、じろ、心配、して……」
「今は自分の心配して!」
「ん……あり、がと……」
それから朝になるまでずっと彼のお世話をし続けた。氷枕を替えたり、タオルで身体を拭いたり、お水を飲ませたり……明け方になったところで、わたしもとても眠くなってしまって、うとうとしているうちに彼のベッドに凭れて眠り込んでしまっていた。
目が覚めたらベッドに上鳴くんがいなくて、代わりにわたしが布団を被って横になっていた。慌てて起きてリビングへ走ったら、食パンを齧る彼の姿が。
「上鳴くん!もう大丈夫なの?」
「おう!昨日はありがと!それより、早く尾白に連絡してやって!ずっとスマホ鳴ってたよ!」
「えっ?あっ……わ、忘れてた!」
昨日の晩、轟くんとご飯を食べてくると言ったっきり、猿夫くんに連絡してなくて。轟くんは朝イチで出張だと言っていたし、きっと彼とも連絡がつかなくて心配してるに違いない。スマホを開いたら着信が50回近く入っていて、メッセージもすごい数だ。時間を見たところ、一睡もしていないんじゃないだろうか。心配かけてごめんなさい、お友達のお家で寝ちゃってた、と返事をすると5秒も経たないうちに電話がかかってきた。
「真!良かった、無事で良かった……今どこにいるの!?」
「ご、ごめんなさい、あの、す、すぐに帰るから……」
「今どこ?迎えに行くよ!」
「大丈夫!大丈夫だから……お家で待ってて!」
「真?大丈……」
大丈夫?と言われる前にぷつんと電話を切ってしまった。昨日の轟くんの話を思い出してなんとなく話しづらかったこと、そして、上鳴くんのお家にいることに少しだけ後ろめたさを感じてしまったからだ。確かに彼は親友だけれど、以前の猿夫くんのことを思い出すと怖くて言えなかったのだ。けど、この選択は間違っていた。まさか、この小さな綻びからあんなことになるなんて……
小さな綻び
「尾白、怒ってなかった?大丈夫?」
「うん……あの、わたし、帰るね。」
「あっ、俺、送るよ!尾白に謝りたいし……」
「だ、だめ!その、昨日のことは秘密!お願い!」
「真ちゃん……?」