不安に苛まれて



真は4年生になってから、就活や研究の関係で夜遅くまで学校に残ることが多くなった。俺よりも帰りが遅くなる日は極力迎えに行くようにしているのだが、時折、同じゼミの男に送ってもらうこともあるらしく、正直胸中ではもやもやした気持ちが広がってしまっている。彼女のことになるとどうしても器の狭い男になってしまうのだ。我ながらもはや哀れに思える。


「今日も遅くなるのか……しかも男と食事して帰るって……はぁ……」

「テイルマン、最近溜息多くないですかぁ?」

「あ、いや……」

「また彼女さんのことですかぁ?いい加減、結婚しちゃえばいいのにぃ。誰かに取られちゃいますよぉ?」

「ぐっ!!」


この女性事務員の方の言う通り。まさにそれを心配しているのだ。何せ彼女は道を歩く男の殆どが振り向くほど可愛らしい見目姿をしている、その上気立ても良くて本当に外見も中身も綺麗な女の子だ。俺のようなごく普通の男が隣にいるのを誰しも不思議に思っていることだろう。


「……正直、早く結婚して自分だけのものにしたい、って思います。その、身体の関係もまだですし……俺、器小さいですよね……」

「……えっ!?そ、そうなんですかぁ!?も、もう6,7年位ですよね……?」

「恥ずかしい話、彼女の痛がる姿が辛くて……でも、それは大した問題じゃないんです。それができなくても一緒にいられれば……」

「……十分器の大きい人だと思いますけどねぇ。うーん、私で良ければお話聞きますよぉ?」


この日を境に、俺はこの事務員さんに真のことをよく相談するようになった。以前八百万や轟のファンだと言っていたが、実は既婚者らしく旦那さんもあの二人のファンらしい。人生の先輩として俺の悩みを真剣に聞いてくれて、少し気が楽になる。同級生の男友達にいくら相談しても、俺と真なら大丈夫、と誰もが口を揃えて言うのだ。だが、客観的に見て自分に足りない物を知りたい俺としては彼女の助言は本当にどれも新鮮でありがたかった。


表面上、真とは穏やかな関係が続いている。俺がこんなにも彼女のことで燻っていることは知らないのだろう。今朝も弁当を渡された時に真っ赤な顔で俺の頬にちゅっと音を立ててキスをしてくれた。これを見れば本当に俺を好いてくれているのがわかるのだが、それでも心配になってしまうのが俺という人間で。以前の上鳴のこともそうだ。彼と真は以前よりも親密になった気がする。想いを打ち明けたからか、逆に下心なんて無いという認識をお互いに持ってしまったからか、俺以上に彼には何でも相談できる仲になってしまったようだ。彼のことを波間くんよりも手強いライバルだと認識してしまう俺はなんて器の小さい男なんだろう。結局今日も例の事務員さんに相談していて帰りが遅くなってしまった。


「ただいまー……あれ?真?」


スマホを確認したら、轟と夕飯を食べて帰る旨の連絡を最後にメッセージに既読がついていない。今どこ?と送ったがやはり既読がつかない。電話をかけても繋がらない。まさか、まさか、どこかで暴漢に襲われたり連れ去られたり……いや、轟が一緒だったんだ、彼が彼女をひとりで帰すはずがない。もしかして、俺に会いたくない、とか……


一瞬、最悪の想像をしてしまった。あの轟と一緒にいるのだ。彼女がいつ心変わりしてもおかしくはない。俺は荷物を置いて、慌てて外に飛び出した。彼女を探すために。





結局一晩中、いや、日が昇るまで彼女を探し続けたけれどどこにも見つからなかった。轟の家にも行ったけれど、朝早くからエンデヴァーと出張で留守にしているとのことで。もしかして帰ってきているかも、なんて一縷の望みを持って帰宅したが、やはり愛しい彼女の姿はない。涙が頬を伝った。


「真……会いたいよ……真……」


その瞬間、スマホが震えた。すぐに画面を確認したらそこには愛しい彼女の名前。瞬時に電話を取ると、慌てた彼女の声が耳を通り抜けた。


「猿夫くん!ごめんなさい!電池切れちゃってて……」

「真!良かった、無事で良かった……今どこにいるの!?」

「ご、ごめんなさい、あの、す、すぐに帰るから……」

「今どこ?迎えに行くよ!」

「大丈夫!大丈夫だから……お家で待ってて!」

「真?大丈……」


言い終わる前にぶつっと電話が切れてしまった。また電池が切れてしまったのだろうか。幸い今日は仕事が休みだ。睡魔と戦うためにシャワーを浴びて、ソファにかけて彼女の帰りを待っていると、ドアの開く音がした。俺は慌てて玄関に走り、眉を下げてしゅんとした表情の真を思いきり掻き抱いた。


「きゃっ!」

「おかえり……おかえり、真……」

「た、ただいま……あ、あの、心配かけてごめんなさい……」

「ううん……キミが無事ならそれでいいから……でも、朝までどこにいたの?」

「……!!え、えっと、酔っ払った……お、お友達が、コンビニで辛そうで、それで、その人のお家に轟くんと一緒に行って、えっと、そ、その人のお家で、看病してたの。お熱がすごくて、それで、えっと、朝まで起きてたんだけど、その、わたし、寝ちゃったの……」

「……誰?」

「えっ!?え、えっと、お、お友達!」


どうも様子がおかしい。これは間違いなく男の家に行ったのだろう。女の子の友達ならこんなにしどろもどろにならないはずだ。何より、轟が一緒だったんだ。きっと共通の知り合いの誰か。けど、俺にハッキリ言えないということは……


「上鳴?」

「……!!あぅ……」


彼女の丸くて大きい綺麗な目がもっとまん丸に見開かれた。


「真は嘘をつかない子だからね、すぐわかるよ。」

「あうぅ……」


正直、ショックだった。後ろめたいことが無いのならハッキリ言ってくれれば良いのに、彼女は隠そうとしたのだ。彼女はとても優しい子だ。もしかして、上鳴の想いに揺らいでしまっているのかもしれない。俺の中にそんな不安が急激に湧いてきてしまって、彼女を抱く腕を解いた。すると見るからに不安そうな表情を浮かべて、片足を半歩後ろに下げて胸の前でぎゅうっと手を組んだ。これは、泣き出す寸前の仕草だ。


「あ、あ、あの……」

「怒ってないよ、大丈夫。そっか、上鳴、体調崩してたんだね。」

「あ……ま、猿夫くん、あの……」

「うん?何かな?」


うるうると瞳を揺らしていて、今にもこぼれ落ちそうな程、大量の涙が溜まっている。嫉妬の気持ちが表に出ないよう、怖がらせないよう、極力優しい声で答えたが、彼女は涙をぽろぽろとこぼしながらもう一度俺に謝罪の言葉を向けた。また、泣かせてしまった……


「ごめんなさい……ちゃんと、連絡しなかったの……あと、心配かけちゃって……それと、か、隠そう、と、して……」

「ううん……無事に帰ってきてくれたらそれでいいよ……だから泣かないで、ね?」

「う、うん……あ、あの、わたし、お風呂、入ってきても、いい?」

「もちろん、ゆっくりしといで。」

「う、うん……ありがとう……」


真は下を向いたまま、おずおずと家に上がって、風呂場へと歩いて行った。なぜ、隠す必要があったのだろうか。やはり上鳴は今でも彼女のことが好きで、あの二人は親密になるにつれて俺には言えない秘密ができてしまったのではないだろうか。そんな邪推ばかりが頭を巡って、どうしようもない不安感に苛まれてしまった。けど、今は彼女が帰ってきてくれたことを素直に喜ぼう。ようやく安堵して睡魔に負けてしまった俺はソファに横になった瞬間、微睡の世界へ落ちてしまったのだった。





不安に苛まれて




「……猿夫くん、上鳴くんのこと、きらい、なのかな……やだな……それに、轟くんが言ってたこと……う、うぅ、どうしたら、いいんだろ……」









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