暗闇が広がるだけ



「うーん……尾白が女にね……俺も轟から尾白のことよく見とけって言われたけどそーゆーことだったのね……」

「わたしが、え、エッチするの、痛がるから、嫌われちゃったのかな……」

「そんなことねーよ!絶対!つーか尾白立派じゃん!自分より真ちゃんのこと大切に考えてくれてんじゃん!俺なら強引にヤっちゃうって!」

「そ、そう、なのかな……か、上鳴くん、強引にするんだ……」

「い、いや!言葉のアヤだって!」

「ふふっ、わかってるよ……あ、病院、着いたね。」


上鳴くんに轟くんから聞いたことをお話し終わったところで病院に着いた。お兄ちゃんはわたしの目を見ても特には驚いていなかった。というのもこれはわたしの個性のせいらしいからだ。どうやら今まで「色が抜ける」と思っていたのはわたしだけで、家族はみんな知っていたようで。わたしの個性は「相手が嘘をついていたら視界から色が消える」というものだと思っていたけれど、心が傷ついた程度で失うものが変わるらしい。猿夫くんの言葉に心底傷ついた自分の心はごまかせなくて、色を失う程度では済まなかったのだ。まさか、光を失うなんて。なんでも、こんなの見たくない、というわたしの強い思いと関係があるらしい。自分の個性のことなのによくわからない。でも、お兄ちゃんが言うのならきっとそうなのだろう。何が原因なのかを聞かれたけれど、上鳴くんが上手くごまかしてくれたおかげで深くは追求されなかった。


どこか行きたいところはある?と聞かれて、わたしはあの公園に行きたいと言った。猿夫くんと初めて出会って、初めてのキスをして、永遠の優しい愛を誓ったあの公園に。


公園に着く頃には左目も霞んでぼんやりとしか見えなくなっていた。上鳴くんに手を引かれて公園の中を歩き回って、色んな遊具の前に行って猿夫くんとこんなことをしたんだという思い出をたくさんお話した。上鳴くんは嫌な顔一つせず、全部笑顔でとても楽しそうに聞いてくれた。少しだけ、ほんの少しだけ視界が鮮明になったような気もする。


少し気分が落ち着いて、一旦お家に帰った方がいいという話になった。彼曰く、きっとまた猿夫くんが心配して探し回っているに違いないから、と。上鳴くんのスマホで猿夫くんに電話をするからベンチに座ろうか、と手を引かれて歩いていた時だった。突然、女の人に声をかけられて驚いたわたしは上鳴くんの後ろに隠れてしまった。少しだけ上鳴くんの背から顔を出すと、とても綺麗な女の人が猿夫くんと手を繋いでいるように見えた。この人が、轟くんの言っていた人だ……上鳴くんが女の人に誰だと尋ねたけれど女の人が答える前にわたしが横やりを入れてしまった。


「……多分、猿夫くんの、新しい、好きな人、だよ。」

「……えっ?」

「ごめん、真ちゃん、今なんて……」

「……尾白くんの、好きな、ひと…………」


猿夫くん、と呼ぶのもおこがましく思えてしまって、尾白くん、と口にした。けど、その瞬間、今までに聞いたことのない猿夫くんの怒鳴り声が。


「何だよそれ……!そっちこそ……そっちこそ!手なんか繋いでさ!地味でフツーで嫉妬深くてかっこよくもない俺なんかより、上鳴の方が良いってことじゃないの!?上鳴が好きなら上鳴と付き合えばいいだろ!?」


頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなってしまった。猿夫くんは……もう、わたしのことなんて、要らないんだ。目を閉じているのに涙がぼろぼろとこぼれ落ちてしまった。目が、焼けそうなくらい痛い。顔が、熱い。痛い。


「あ……真、い、今のは……違……」


猿夫くんが何か言っているけど全然わからなくて。せめて口元の動きを見ようとゆっくり目を開けたのだけれど、視界は完全に暗闇に包まれてしまっていた。もう、何も見えない。見たく、ない。


「真っ……!?えっ……な、何……それ……」


彼も見てしまったのだろう。わたしには見ることのできない、この真っ白な瞳を。いや、濁っているかもしれない。彼が好きだと言ってくれたわたしの真っ黒な目はもうないのだ。目も心も汚くなってしまったわたしなんて、彼に愛されるわけがない。しーんとして音も聞こえない。視界も真っ暗。怖くなったわたしはその場から逃げ出してしまった。





暗闇の中、自分がどこを走っているのかわからない。身体を何度も壁や木で打ち付けてしまった。今は右手を建物に沿わせて歩いている。身体中が痛い。もしかしたら怪我をしているのかもしれない。けど、見ることはできない。ふらふらと歩いていると、後ろから知らないおじさんの声がした。


「キミ!!危ない!!」

「えっ……?」


その瞬間、誰かに思いっきり腕を引っ張られて抱きしめられた。


「統司!!っぶね……大丈……統司!?お前なんだそのアザ!!」

「あ、う……え、っと、波間、くん……?」

「とにかくこっち来い、つーか痛いよな……ほらおぶってやるから!早く!」

「あ……ど、どこ?どこに、いるの……?」

「……お前、目が……?」


目の前にいるからそのまましゃがんで手を伸ばせ、と言われてわたしは彼の言うとおりにして、すっと身体が浮く感覚がした。今の状況を説明してもらえてやっと自分の状態を理解した。どうやらわたしは赤信号を渡ろうとしていたらしい。おじさんが注意したことで波間くんが顔を上げると全身アザだらけのわたしがいたのだと。わたしもなぜこんなことになったのかを説明した。しばらくして彼のお家に着いた。わたしは傷の手当てをしてもらっている。


「そっか……テイルマンに怒られたのは初めてか?」

「何度か怒られたことはあるけど、でも、全部わたしが悪かったの。なのに、いつもすぐ謝ってきてね、いっぱい優しくしてくれて……」

「でも今日は違った?」

「うん……上鳴くんと付き合えばいいって、言われた。わたし、猿夫くんのこと、だいすき、なのに。わたし、もう、要らないんだ……うっ、うぅ、ぐすっ……」

「多分、本心でそんなこと言ったんじゃないと思う。個性は?使えなかったのか?」

「目、閉じてたから……こんな目、見せたくない……」


何も見たくない、誰にも見られたくない、そんな気持ちでいっぱいだった。波間くんは、落ち着くまでここにいてもいいし行きたいところがあれば連れて行くから、と優しく言ってくれた。溢れる涙が抑えきれなくて、手探りで見つけた柔らかいクッションをぎゅっと抱きしめた。そのまま泣き疲れたわたしは深い眠りに落ちてしまった。





目が覚めるとバターの匂いがした。焼き立てのパンの匂い。これはバイト先のパン屋さんのクロワッサンかな、と思った時、誰かが近づいてくる気配がした。起きた?と声をかけられてそれが波間くんだとわかった。そっか、わたし、彼のお家で眠ってしまってたんだ……


波間くんは少し買い物へ行ってくるとのことで外出して、わたしは焼き立てのパンを食べていた。見えていないから上手くパンを齧られず、歯に何か硬いものが当たった。これはいつも右手の薬指につけている指輪だ。彼が結婚しようと言ってくれた時につけてくれた指輪。もう、これをつける資格なんてない。そっと指輪を外してズボンのポケットに入れた。荷物を取りに行く時に置いて行けばいい。波間くんにも迷惑をかけるわけにはいかない。パンを食べ終えたわたしは手探りで家の入り口に辿り着き、扉を開けて暗闇の外の世界へ足を踏み出した。





波間くんの家は1階だから階段がなくて良かった。これからどうしよう、行くあても帰るあてもない。今は朝なのか夜なのか、それすらもわからない。暗闇が広がっているだけだ。ここは住宅街なのだろうか、たまに子どもの泣き声や家族の笑い声がする。わたしも、猿夫くんと結婚して、家族に、なりたかったな……


泣きながらフラフラ歩いていたら車が通る音がした。ぶつかったら大変だ、壁沿いに歩いていたわたしはその場に立ち止まったのだけれど、車はわたしの横で止まったようだ。まさかと思った時にはもう遅くて、わたしは車の中に引き摺り込まれてしまったのだった。





暗闇が広がるだけ




あなたのいない世界なんて要らない

あなたのいない未来なんて要らない

もう何も見たくない

世界は真っ暗だ





「たすけて……たすけてよ……うっ、うぅ……ぐすっ……たすけて……」





来てくれるはずなんてないのに……






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