『抱かれたい』



猿夫くんときちんと仲直りをしてから1週間。高校生の時みたいにとても甘く優しい時間を過ごしている。猿夫くんはとても笑顔で、わたしもすごく幸せで、何も不安なことなんてないはずなのに。わたしは、学校やアルバイトへ行くことができなくなってしまっている。行きたい気持ちは強いのに、玄関に立つと脚が竦んでしまうのだ。また、誰かに連れ去られたりしたら……そう思うと、なかなかお外に出れなくて、ベッドの上でお猿さんのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめることしかできなくなっていた。明日からは彼と温泉旅行に行くのに、こんな不安定な状態で大丈夫だろうか。彼はわたしがひとりでお外に出れなくなっていることを知らないのだ。


「真、おいで。」

「うん……えへへ、良い匂い……」

「真も良い匂い……あ、同じもの使って風呂入ってるから同じ匂いしてるのかな……」

「同じ……嬉しい……」


猿夫くんにぎゅっと抱きつくと優しく抱きしめ返してくれて、なでなでと頭を撫でてくれた。高校生の頃から、寝る前はこうして優しく抱きしめて頭を撫でてくれるのだ。電気を消す前におやすみのキスをしてくれて、わたしは彼に抱きついたまますぐに眠りに落ちてしまった。





ぱちりと目が覚めると、隣に猿夫くんがいなかった。時計を見ると7時前。彼はいつも早起きだなぁ……と眠い目を擦りながらリビングへ行くと、爽やかな笑顔を浮かべる猿夫くんが荷物の整理をしてくれていた。彼がこちらに腕を伸ばしてくれたから、近付いてぎゅうっと抱きつくと彼もぎゅうっと抱きしめてくれた。朝からこんなに幸せでいいのだろうか……


準備を済ませて玄関で靴を履いていると、胸のあたりがぐるぐると渦巻いているような気持ち悪さに襲われた。でも、猿夫くんがわたしの手を優しく握ってくれると気持ち悪さはすぐになくなった。指を絡めて手を繋ぐと、猿夫くんは頬をちょっぴり赤くする。高校生の時からずっと変わらない反応がとても可愛らしい。


大好きな猿夫くんと手を繋いでお外に出た。久々に直射日光を浴びたけれど、やっぱりとても気持ちがいい。猿夫くんと手を繋いで歩いている間は安心感も強いし陽射しは気持ちがいいしでずっとこのまま歩いていたい。だけど、楽しくお話をしているとあっという間に駅に着いてしまった。


電車の中では海を見たり本を読んだりおやつを食べたりしてゆっくり時間を過ごした。でも、隣にいる猿夫くんはとてもソワソワしている様子。というのも彼はわたしを傷つけてしまったと今もモヤモヤしてしまっているようだった。だけどそんな必要はなくて。キスをして、お互いの気持ちを伝えあったら彼は優しく微笑んでくれた。わたしの一番大好きで大切な人。彼と一緒にいるととても安心する。





温泉旅館はとても綺麗なところだ。わたしは施設の説明もろくに耳に入らずお部屋の温泉風呂を眺めることに夢中になってしまっていた。猿夫くんはちょっぴり困ったように笑いながら、お昼も食べに行きたいしお外に出ようかと誘ってくれた。


「真、手、繋ごう。」

「うん!」

「ん、さて、お昼どうしようか……何が食べたい?」

「えっと……あっ、このお店がいい……可愛い……」

「いいよ、じゃあバスに乗ろうか。」


猿夫くんが見せてくれたお店の一覧から外観がとても可愛いお店を選んで彼と一緒に向かうことに。彼はとっても優しい目でわたしを見つめてくれるから、なんだか初めて会った時のように顔が熱くなって照れ照れしてしまう。バスの中でもお互い目を合わせられずにいたほど。しっかり指を絡めて繋いだ手がとても汗ばんでいることに気がついた時に同時にぱっと顔を見合わせてしまった時はなんだか可笑しくてクスクス笑い合った。





「わあ……!美味しいっ!」

「美味い……それに柔らかい……フォークを乗せるだけで簡単に切れるよ……」

「お野菜も甘い……すごい……!」


可愛いお店は洋食を扱っているレストランで、わたしと猿夫くんは同じタンシチューのランチセットを選んだのだけれど、ほっぺが落ちるとはまさにこのことだ。お野菜は甘くてほろほろとした食感で、ごろごろと大きな牛肉はフォークを当てるだけですとんと切れてしまい、柔らかいだけでなくとってもジューシィ、さらにさらに、シチューはまろやかなコクとお出汁の優しい味わいがたまらない。すごい、なんて美味しいタンシチューなんだろう。完璧すぎる……


昼食をぺろりと平らげたわたし達はデザートまでご馳走になって、お腹をぱんぱんに膨らませてお外に出た。デザートのチーズケーキも涙が出そうになるほどの絶品だった。


「美味しかった……あうぅ……もっと大きな身体だったらたくさん食べれたのかなあ……」

「……俺より食べてなかった?」

「えっ!?わ、わたし、食いしん坊だから……えへへ……」

「真はご飯食べてる時もすっごく可愛いからね、俺はそれだけでお腹いっぱいになっちゃうよ。」

「す、すぐそんなこと言う……もう……恥ずかしい……」

「ほら、可愛い。」

「あうぅ……」


猿夫くんは楽しそうに笑うと、わたしの手をきゅっと優しく握ってくれた。猿夫くんと手を繋いでいると、家族と一緒にいる時と同じくらい安心する。本当に大切で大好きな人。ずっとずっと彼と一緒にいたい。当たり前だと思っていたけれど、全然そうじゃないんだ。もっと、もっともっと彼のことを大切にしたい。もっともっと彼と愛し合いたい……


「きゃうっ!」

「あっ!だ、大丈夫?」

「ごめんなさい、ちゃんと見てなくって……」

「大丈夫?見えてないの?見てなかったの?」

「あ、み、見えてるよ、でも、ちょっとぼーっとしてたの。」

「良かった……目に異常が出たらすぐ言うんだよ……」

「うん!ありがとう!」


ぼーっとしてて猿夫くんの尻尾にぶつかってしまったもんだから、彼は屈んでわたしの目をじぃっと覗き込んできた。いつ見えなくなるかとひどく心配してくれているのがよくわかる。わたし、すごく愛されてる……わたし、わたし、今、すごく、彼に……


「…………たい。」

「ん?何?どこか行きたいところがあるのかな?」

「……!あ、えっと、う、うん、そ、そう!そうなの!」

「だからぼーっとしちゃったのか……いいよ、どこへでも一緒に行くよ?」

「えっと、えっと……あ、あの、こ、これ!行きたい!」

「面白そうだね!いいよ、行こう!」


なんてことを口走ろうとしたのだろうか、真っ昼間から恥ずかしいったらありゃしない。わたしは誤魔化すようにスマホを弄り、近くにある美術館のサイトを彼に見せた。トリックアート迷宮展をやっているとのバナーがあって、彼はそれに興味津々のようだ。恥ずかしい考えはぽいっと捨てて、わたしは彼の手をぎゅっと握り、美術館のある方へ足を踏み出したのだった。





『抱かれたい』




恥ずかしい……昼間から『抱かれたい』なんて……言えるわけ、ないよ……えっちな女の子だと思われちゃう……恥ずかしいもん……



***



俺の気のせいじゃなかったら『抱かれたい』って言った……?つまり、今晩、いい、ってこと、だよな……?ゴム、買っとかなきゃ……でも、こんなところに来てまで……とか思われて引かれちゃうかな……うう……どうしよう……









back
top