恋のライバル



カップを割ってしまったタイミングで喫茶店の入り口のベルが荒々しく鳴り響いた。と、同時に高校時代からの親友、上鳴電気が凄い剣幕で俺達の席に走ってきた。どうやら彼も真に俺の記憶がないことを知った様子で。出された水を勢いよく飲み干すと彼は大声で俺達に詰問してきた。


「なんで!?今度は何があったん!?プロポーズは!?てかなんでこんなとこにいんの!?つーかこいつ誰!?あっ、もしかしてこいつのせいか!?」

「か、上鳴!落ち着いて!」


全く、慌てたいのは俺の方だというのに。上鳴の質問に一つずつ、俺と波間くんは答えていった。上鳴が来てくれたおかげでひとまず状況をあらかた整理することができた。どうやら真の中からは俺という存在はもちろん、彼氏なんてものもいないことになっているんだとか。そして、なんという偶然だろう、ここで一堂に会してしまった男達は皆同じ女の子を愛してしまっているのだ。波間くんの想いはここまで話を聞いていれば本人から聞かずともわかるし、上鳴もそうだ。高校生の時から、密かに真に恋慕の情を抱いていたのを知っている。あくまでも本人は親友だと豪語しており、その淡い想いを隠し通しているつもりなのだろうが。そしてその上鳴は波間くんに対して明らかな敵意を向けている。


「波間くん、だっけ?尾白と真ちゃんのこと察してたなら何ですぐ尾白に連絡しなかったわけ?事務所に行くか真ちゃんのスマホ借りて尾白の連絡先見るかくらいできたんじゃねーの?」

「あ、ご、ごめん。その、俺も統司もテストで忙しかったのもあるし、その、俺もどうしたらいいかわからなくて……」

「うん、波間くんが悪いとかじゃないからさ。とりあえず落ち着こう?」


俺は上鳴を宥めて、落ち着いて再び三人で話し合ったけれどなんの解決の糸口も見えなくて。数年前、そして、先程も味わった絶望感が再び俺を襲ってきた。もしも……もしも真が俺のことを思い出してくれなかったら……と不安な気持ちが無いとは言えない。けれど、昔の、あの時ほどではない。今の俺はあの時の、悩める日の少年ではないのだ。この数年で彼女と俺の絆はより深くより屈強なものになったはずだ。決して切れはしない、固い絆に。意を決した俺は沈黙を破った。


「俺のやることは変わらない。」

「……?どういうこと?」


わざわざ言うまでもないだろう。生涯かけて彼女を守ること。そして、彼女を愛すること。彼女が笑っていてさえくれればそれ以上は何も要らない。少しだけ欲を言っていいのなら、俺が彼女を笑顔にしたいし、最大の望みを言ってもいいなら、俺が彼女を幸せにしたい。


「真に、会いに行く。そして、もう一度……いや、何度でも、彼女と恋をしようと思う。」

「……うん、俺は応援するよ。頑張れ尾白!」


上鳴はぐっと親指を立ててへらりと笑ってくれた。上鳴だって、真のことを愛しているはずだけれど、今も昔も変わらず俺と彼女の良き親友でいてくれて本当に頭が上がらない。さて、一方の彼はというと。下を向いたまま何の反応も示さない。再び沈黙がこの場を支配して暫く経ち、痺れを切らした上鳴が波間くんに話しかけようとしたその時、彼はパッと顔を上げた。


「ごめん……俺は、その、応援、はできない。」

「は?」

「……好き、なんだろ?真のこと。」

「ああ…………」

「はぁ!?いや、ちょっと待てよ!元々真ちゃんは尾白の……!」

「いいんだ!上鳴、これは俺と彼の問題。」

「けど……!」


上鳴がこんなに激しく怒りというか苛立ちというか、とにかく人に対する嫌悪を見せているのはあまり見たことがない。俺ですらそうなのだから、彼の吊り上がった目の鋭さに波間くんが思わず、うっと唸って一歩引いてしまうのも無理はない。けれど波間くんの目は俺の目を真っ直ぐ見据えている。その目に応えるためにも俺は思っていることをそのまま口にした。


「恋のライバルね……今まで真のことを好きになった男は数えきれない程見てきたけど、こんな正面きって奪い合うのは初めてかもしれないな……」

「俺は……この15年近くずっと追いかけて来たし、今回だって俺のせいだけど……それでも諦めらんねー……」

「諦めろなんて言ってない。それに、俺と彼女の固い絆はそう易々と切れないよ。俺は、信じてる。」


自信を持って言いきった。上鳴はどうだ!と言わんばかりにドヤ顔で波間くんを見つめているが、なぜお前がそんな顔をするんだ、と突っ込んで思わず笑ってしまったら、波間くんもつられて笑って、やっぱテイルマンは昔からかっこいいな、なんて言ってきて、さっきまでのピリピリした雰囲気が嘘のように柔らかくなった。


それから三人で店を出て、上鳴は急な呼び出しがあって事務所へ慌てて戻っていった。波間くんは昔の印象とはだいぶ異なっていて正々堂々をモットーにした性格のようで、これから俺を真に紹介する、と俺をバイト先のパン屋へと連れて行ってくれた。


パン屋に入るとよく見知った店長がおろおろした様子で俺に声をかけて来た。それもそのはず、実はここの店長とその奥さんは俺と真がただのヒーローとファンの関係ではなく、真剣交際していることを知っている数少ない一般人だったりする。ちなみに真は店長達が俺達の関係を知っていることは知らない。


可愛い彼女を奪われたくなかった俺はいつでも公にしても構わない、いや、むしろしたかったくらいなのだけれど、真が遠慮していてそれがままならなかったのだ。こんなに可愛い子がバイトをしていたら同僚の男が狙わないはずがないと思っていた俺は、真がいない時にこっそり店長夫婦に俺達の関係を話して、彼女に悪い虫がつかないよう見張ってもらっていたというわけだ。


店長から詳しく話を聞くと、どうやら真は俺のことがわからずに怯えている様子だったとのこと。幸い店長夫婦が、恋人関係であることは伏せて俺に関する話をしてくれて、自分から尾白猿夫という人間のことがすっぽり抜けてしまっているのは認識しているらしい。恋人関係を伏せたのは、彼女が自分には彼氏なんていないと思っているから、余計なショックを与えない方がいいと思ったのだとか。その考えには俺も同意だ。心優しい彼女のことだ、恋人のことを忘れてしまったなんて知ってしまったらきっとパニックで泣きじゃくってしまうだろうから。


「あの……誰かお客様ですか……?」


二階から透き通った高い声が聞こえた。俺の大好きなあの可愛い声。振り向くと、ひょこっと顔を出して不安そうな顔でこっちを見ている真の姿があった。彼女は小走りで部屋から出て来て、急いで階段を降りようとしたのだが。


「きゃあ!」

「危ない!」


彼女は慣れないスリッパのせいで足を滑らせてしまった。俺はすぐに彼女の元へ走って、転落してしまう前にその小さな身体を正面から抱き留めた。どうしてこうも彼女は俺の上から降って来るのだろうか。そして自然に口を衝いて出てくるお決まりの言葉。


「大丈夫?どこか痛くない?」

「は、はい……あ、ありがとう、ございます……」


暫く彼女と見つめ合っていると、彼女の顔はじわじわと赤くなっていった。そして最後には少し目を逸らして林檎のように赤くなった両頬に手を当て、恥ずかしい!と言いながら、俺の恋のライバルである波間くんの後ろに隠れてしまったのだった。





恋のライバル




「あ、あの、救けてくれて、ありがとうございます……あなたは……?」

「……こんにちは。尾白 猿夫です。」

「……!あなたが、尾白くん……」


真は少し困惑したような様子で波間くんの後ろから姿を現し、ちょこちょこと俺に歩み寄って来て、じいっと俺の顔を見上げて来た。







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