悲しい笑顔



奥の休憩室で休んでいたら、従業員さんからわたしの様子がおかしいと聞いた店長さんと奥さんが心配して話を聞きに来てくれた。知らない人からずっとメッセージが止まらないことを伝えて、波間くんに見せたようにスマホの画面を見せると、二人はとても怪訝そうな顔をして、本当に知らない人?と聞いてきた。黙って頷いたら、困ったような顔をした店長さんが重そうに口を開いた。


「波間くんからも少し事情は聞いてるんだけどね……先日、変な男に襲われなかったかい?」

「あっ……はい、銀髪の、怖そうな男の人……」

「うん、どうやら彼の個性がね、人の記憶を消しちゃう個性らしい。」

「記憶を……?」

「そう。例えば、家族の記憶だったり、恋人の記憶だったり、親友、いや、全然知らない人かもしれない……」

「わからない……心当たりが、何も……」


そういえば、あの銀髪の人は、わたしの中から波間くんが消えた、とか言ってたような気がする。朧げにそんなことを言っていた記憶がある。けれど波間くんのことはバッチリ覚えてる。一体わたしの中から何が消えたというのか。


しばらく店長さん夫婦と話し込んで、ひとまずわたしに何度もメッセージを送ってきた尾白猿夫くんという人のお話を聞くことができた。雄英高校出身で、チャージズマ……上鳴くんと仲良しらしい。わたしはヒーロー科全員を覚えているわけではないからあまり知らない人のはずなのに、どうしてこんなにわたしにしつこく連絡してくるのだろう、と店長さん夫婦に相談したらとても困ったような顔をされた。もしかして、尾白くんはわたしの記憶から消えてしまった人なのだろうか?


少しお店が忙しくなってきたみたいで、従業員さんが休憩室に駆け込んできた。わたしは伝票整理を任されて、店長さん夫婦は階段を駆け下りて店内へと走って行った。


伝票整理をぱぱっと終えたわたしは、スマホのメッセージをずっと眺めていた。尾白猿夫……ダメだ、やっぱりわからない。元々知らない人なのか、わたしの記憶から消えてしまった人なのか……いや、店長さんや波間くん、それに上鳴くんの言葉を振り返ればわかること。きっとわたしが忘れてしまったのは尾白くんのことに違いない。けれど、こんなにわたしの身を案じてくれる尾白くんとはいったいどんな人なのだろう。もう少し店長さんから話を聞こうと思って休憩室を出た途端、波間くんと見知らぬ男のひとが店長さんとお話をしているのが見えた。


「あの……誰かお客様ですか……?」


出てきちゃまずかっただろうかと思いながら上から声をかけてみたら、見知らぬ男のひとはばっとわたしの方を振り向いて、目を見開いてとても驚いていた。お店の照明の光が反射してキラキラ光る金髪と大きな尻尾が特徴的な男のひと。けど、少し遠くてお顔がよく見えなくて。わたしは小走りで階段を駆け下りようとしたのだけれど、途中で足を滑らせてしまった。


「きゃあ!」

「危ない!」


尻尾の彼は勢い良くわたしの方へ駆け寄ってきて、落ちてきたわたしをいとも簡単にがっちりと抱き留めてくれた。落ちてしまったことにびっくりしたし、恥ずかしい上に、とても強い力で抱きしめられて胸の鼓動はただただ加速するばかり。そしてはっきり目に入った彼のお顔。目は少し細めで、鼻も口もとても綺麗で、真面目そうなとても凛々しいお顔。けれどその凛々しいお顔は一瞬にして眉が下がってとても不安そうな顔になって。


「大丈夫?どこか痛くない?」

「は、はい……あ、ありがとう、ございます……」


彼とわたしの目線は同一直線で結ばれているのだろうか。全く逸らすことができなくて。顔がじわじわと熱くなってきた。すると彼はとても優しく、柔らかく、だけど、とても悲しそうに、微笑んだ。彼の笑顔を見たわたしは心臓がギュッと掴まれたような気がした。どうしてこんなに、悲しそうに、切なそうに笑うんだろう……彼はわたしを見据えて目を逸らさない。だんだん見つめられているのが恥ずかしくなったわたしは熱くなった頬に両手を当てながら、彼の後ろにいた波間くんの影に隠れてしまった。けれども救けてくれたお礼がしたくて、そして、彼の名を聞きたくて、波間くんの後ろから顔を覗かせて声をかけた。


「あ、あの、救けてくれて、ありがとうございます……あなたは……?」

「……こんにちは。尾白 猿夫です。」

「……!あなたが、尾白くん……」


わたしは隠れるのをやめて彼に近付いて、じいっと彼の顔を見上げた。細い目がもっと細くなって、とても柔らかくて温かい視線を向けてくれる……このひとは、すごく優しいひとなんだと感じる。


「統司さん……」

「はい……?」


彼はゆっくり跪いて、わたしの右手をそっと手に取った。不思議とこのひとに触れられることに嫌悪を感じない。


「キミに怪我がなくて、無事で良かった……」

「ごめんなさい、わたし、あなたのこと、わからなくて……」

「大丈夫。これから、知ってくれればいい。もう一度……俺のことを、知っていってくれますか?」


彼のお顔はとても真剣で、すごくかっこよく見えて、心臓がどきどきと高鳴って破裂してしまいそう。暫くじいっと見つめ合っていたら、彼はまた困ったようにふにゃりと笑って、ダメ、かな?なんて。お返事をしなきゃとハッとしたわたしは声を出そうとしたけれど上手く出なくて、何度も何度も首を縦にぶんぶん振った。すると彼は一瞬きょとんとした後、くつくつ笑い出して、よろしくね、と握手をしてくれた。


もしかしたら彼だけじゃなくて他にもいるのかもしれないけれど、わたしの記憶から消えてしまったのは、このひと、尾白猿夫くんで間違いなさそうだ。あの数々の連絡も、きっと日頃から仲が良かったのであろうわたしからお返事が来なくてただ心配してくれただけだったのだとやっと心底ほっとした。


「あの……メッセージ、お返事してなくてごめんなさい……」

「ううん、仕方ないよ。俺の方こそ、しつこくごめんね。怖がらせちゃったよね……」


尾白くんはとても柔らかくて、けれど悲しい笑顔を浮かべている。それから、尻尾の先はしゅんと垂れてしまっていて、落ち込んでいるのがよくわかる。きっと、わたしと彼はよほど仲が良かったのだろう。どうして彼のことを忘れてしまったのだろうか、どうすれば彼のことを思い出してあげられるのだろう……





ひとまず尾白くんのことを知ることができたし、ここに泊まるお話は無しにしてお家に帰ることにした。波間くんはこれから大学へ行かないといけないみたいだったからお店の前で別れて、お家までは尾白くんが付き添ってくれた。帰り道ではたくさん尾白くんのことを聞いてしまったけれど、彼は何一つ嫌な顔をせずに優しく笑って答えてくれた。





「尾白くん、送ってくれてありがとう。」

「ううん、大丈夫だよ。あっ、何か困ったことがあったらいつでも連絡して来てね。」

「うん、わかった。たくさん親切にしてくれてありがとう。」

「気にしないで。それじゃ、俺、帰るね……あ、そうだ、本当は今日、遊びに行く予定だったんだけど、統司さんが良ければまた今度どこかに行かない?その、ふたりで……」

「えっ?うーん……約束、してたみたいだし、いいよ、遊びに行こう!」


約束してたのももちろんだけれど、もう少し彼のことを知りたいと思ったわたしはニッと歯を見せて笑って答えた。彼は一瞬きょとんとしていたけれど、すぐにハッと我に返っていた。


「本当?良かった。じゃあ、また予定見繕って連絡するから。」

「うん、待ってるね。」


こうしてわたし達は笑顔でバイバイと手を振って別れた。彼が去り際に見せてくれたのはとても柔らかくて優しくて、そして、切なくて、悲しい笑顔だった。





悲しい笑顔




あまり自分から男のひとのことを知りたいと思ったことはないのに、何故だか彼のことは知りたいと思ってしまう自分に戸惑ってしまう。


お家に入ったわたしは一目散に寝室に入って、大きな猿のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。なんだか疲れを感じて、ふぅっと溜息を吐いた時、ベッドのヘッドボードにちょこんと座らせていた猿のマスコットの首に結んである、鈴のついた黄色いリボンが目に入った。わたしはしばらく黄色いリボンから目を逸らすことができなかった。










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