ひとつめ


かなりの距離を走ったけど、結局あの優しい人は見つからない。それはそうだ、たまたま救けてもらっただけでどこに住んでいるかなんて聞いていない。


もう朝が近いのか、周りの植物は朝露でキラキラ光っている。外の世界の朝はこんなにも美しいのか、と思わず足を止めてしまう。秋の朝は結構冷え込むけれど私はこのふわふわの毛皮があればへっちゃら……のはずなのに、どうしてか身体はガタガタと震えている。外の世界ではウサギを捕まえる人間だけではなく環境さえも敵になってしまうというのか。足取りはふらつき、荷物もしっかり持ちきれなくなって落としてしまった。だんだん、視界も不明瞭、になって、きた。だめ、だ、寒、い……………………





温かい……ここは天国だろうか。それになんだか、い草のような芳ばしい良い匂いがする。天国とはこんなに美味しそうな匂いがするのか。





否、私は紛れもなく生きている。誰かが私を撫でている感覚が確かにある。この内側からじんわりあったかくなる心地の良い温かさ……間違えるわけがない……昨日の優しい人だ!


「お。目、覚めたのか。」


ぴょんっと勢い良く飛び跳ねて振り返ると、やはり昨日の優しい人がいた。真白雪が私の人間化した姿だとバレるわけにはいかないから、足に巻いてくれた布は山を出る前に巣穴の自分のテリトリーに置いてきた。


「お前、どうやって入ってきたんだ?それともバリアーは動物には効かないのか……」


ここは彼の部屋なのだろうか、確か人間の住処には電気という明るく光る便利なものがある。電気を使うということは今は夜なのだろう。状況がわからなくて、彼の目をじーっと見つめて何か情報をくれと訴えてみる。よく見ると彼の目は左右で色が違っている。珍しいなぁと気を取られていたら、思いが通じたのか、彼は私の欲しい情報を与えてくれた。


「お前、そこの森で倒れてたんだ。朝から俺がトレーニングしてたせいで凍えちまってた。悪い。」


彼は少し悲しそうな顔をした。また命を救ってもらったのに、恩人にこんな顔をさせてはヒューマンラビット族末代までの恥だ。私は大きな耳をぴんと上に伸ばし、二足で立ち上がり両腕をぐっと曲げて、私は元気だぞとアピールした。


「元気だ、って言いてえのか?」


彼が私の思いを汲み取ってくれたことが嬉しくて、私はブンブンと頭を前に振った。


「……俺の言ってること、わかるのか?」


さらにもう二回ブンブンと頭を振る。


「お前、賢いんだな。」


彼は目を細めて少しだけ笑ってくれた。氷のようにクールな人かと思えば時折見せる炎のような温かさ、まさに外見と性格がマッチしているなぁと感心してしまう。私がぼーっとしていたら、彼は立ち上がると私をひょいと抱き上げて、また座って、私を膝の上に乗せてくれた。ひんやりと冷たい右手とじんわりと温かい左手がとても気持ち良くて、思わず頬擦りしてしまう。


「お前、どこから来たんだ?誰かに飼われてたのか?」

「き……きゅー…………」


突然尋ねられて、思わず、昨日の山!なんて言いそうになってしまったため、きゅーとそれっぽい鳴き声を出して頭を左右に振って誤魔化した。けれども、この鳴き声のせいで彼はとんでもないことを口走ったのだ。


「……お前、昨日のウサギのやつか?」


なぜ勘づかれたのかと一瞬頭をめぐらせたら、昨日、きゅーと鳴いたら彼が微笑んでくれたのを思い出した。どうしよう、どうやってごまかそう、と内心焦り出したけれど、彼はすぐに自分の意見を否定した。


「……違うか。ウサギの耳が生えてるのはわかるが、ウサギそのものになるなんて聞いたことねぇしな……」


よかった、バレなかった。……さて、ここからどうやって彼に恩返しをすれば良いのやら。といっても何をすれば恩返しになるのだろうか、ぼんやりと考えていたら彼は私を抱き上げてじーっと目を合わせてきた。


「……お前に、頼みがある。」

「……きゅ!?」


やはり彼には私の思っていることが全て伝わってしまうのだろうか、彼の方から私に頼み事をしてくれるなんて願ってもいない好機だ。二度も救ってもらったこの命、恩人の為に使えるのなら私はなんだってする思いだ。……といっても私はその恩人の記憶を消しに来たのだが。なんて想いを巡らせていたら彼の話を聞き逃してしまっていたが、肝心な頼みの部分はハッキリ聞き入れることができた。


「……それで、棚の裏にスマホが消えちまった。俺じゃ手が届かねえ。頼む、取ってきてくれねえか?」


なるほど、棚の裏にスマホというものが落ちているのか。棚の隙間に目をやると、確かに狭くて、彼……確か下の名前は……ショート、ショートの身体は入らないのがわかる。私はショートに自分の前足を合わせてマルを作った。


「頼めるか?」

「きゅー!」


私が承諾の返事の代わりに鳴き声をあげると、ショートはゆっくり私を床におろしてくれた。素早く棚の裏に潜り込んだら、少し埃っぽくてけふけふと咳き込んでしまった。真っ直ぐ進むと昨日のパネル、スマホを見つけることができたので、それを抱えて棚から出て行った。我ながら二足歩行が上手いものだ。


「助かった。」

「きゅ!」


棚の裏には埃が溜まっていて私の白い毛に少し纏わりついてしまっていて、ショートは私の身体をぱっぱと手で払ってくれた。スマホをずいっと差し出すと、お礼の言葉と共に温かい方の手で頭をぽんぽんと撫でてくれた。


さて、これは恩返しと呼べるのだろうか。クローバーを確認するために近くの机の上に乗って、置いてあった私の荷物の袋を覗いてみたら緑色の葉っぱが一枚、ぼんやりと光っていた。どうやら今のは恩返しと呼んでもいいらしい。そういえばウサ婆様に何をすればいいのかと尋ねた時に、相手が求める頼み事をきいてあげればいい、と言っていたような気がする。


どうやら早速ひとつめの恩返しを達成することができたようだ。命の恩人の役に立つことができたという実感を得ることができたのが嬉しくて思わずぴょんぴょんと跳ねてしまう。


「……雪。」


……え?今、私の名前を呼んだ?どうして?バレてしまったのだろうか。跳ねるのをやめてピタリと動きを止め、恐る恐るショートの方を振り向いた。


「振り向いたな。ユキ、お前の名前だ。気に入ったか?」


……これは、バレていないのか?とりあえず、きゅーと鳴いてみる。


「昨日、お前にそっくりな白いウサギの個性の女子を見たんだ。だから、そいつから名前をもらった。お前は今日からユキだ。」


ショートは察しが悪いのか純粋なのか、似ているからと同じ名前をつけたつもりでいるのだろうが、その実、私こそがそのウサギの女子ということに気づいていないようだ。といっても気づかれてはまずいのだが。


……さて、ひとつめの恩返しは終わったし、一旦ここから出て、近くに巣穴でも掘って残りの恩返しをするためにちょこちょこ様子を見に来ればいいかと考えた。本当はここにいさせてもらう方が都合が良いのだけれど、流石にそこまで迷惑はかけられない。私は部屋を出るために足を前に出そうとした。しかし、後ろからひょいっと抱きかかえられたため、その足は空を蹴った。そして、ショートは思いもよらない言葉をかけてくれた。


「ユキ、お前行くとこないならここにいろ。たまに外に連れてくから、いい場所見つけて出て行きたくなったら好きにしていい。」





ひとつめ




最近の俺はウサギと不思議な縁でもあるのだろうか。


個性がウサギの人間を救けた次の日に、今度は動物のウサギを救ける羽目になった。


まあ、凍えかけてたのは俺のせいだが……


手触りが気持ちいいコイツを撫でてやったら擦り寄ってきた。悪い気はしない、むしろ気分が安らぐ気がする。


誰かの飼いウサギではないとみていいだろう。随分賢いようで、俺の言葉を理解していて頼み事も聞いてくれる。そこで、なんとなくコイツをここに置いてみることにした。


呼ぶときにオマエなんて言うのは少しかわいそうで、ひとまず昨日のウサギの女子と同じ真っ白な毛色をしていたから、アイツの雪という名前を借りることにした。





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lollipop