みっつめ


二枚目の葉が光ってから一週間が経つ。私はこれまで以上に必死にショートの言葉に耳を傾けて、彼の意思を汲んだ。彼の望み……といってもそれはアレをとって欲しいとか好き嫌いせず食べてくれとか小さなことばかりだけど、必ず先んじて叶えるようにしている。頼む、と言われたら走り去って姿を消すか、首を横に振るかして、結局ショートが自分で望みを叶えていた。彼には悪いが、私はどうにかクローバーを光らせまいと必死なのだ。


……私は一族の秘密を守るために、自分の身を守るために、このクローバーを持ってここに来たはずだった。なのに今じゃこの場所に必死になってしがみついている。どうして私はヒューマンラビットに生まれてしまったんだろう。私も、純粋な人間に生まれたかった。そして、モモやワカメと一緒にショートともっと話がしたかった。沢山撫でてもらえるのも抱っこしてもらえるのも嬉しいけど、やっぱりショートと話がしたい。私は所詮、ウサギなんだ。人間化できるといっても、それはまやかしでしかない、酷い言い方をすれば妖怪と同じだ。辛い、悔しい、涙が、あふれて止まらない。しかし運悪く部屋の扉は開いてしまった。


「ユキ、ただい……部屋、寒かったか?悪い。」


違う、違うよ、ショート。震えてたのは寒いからじゃない。泣いていたんだよ。


だけど、泣いている姿を見られたくなくて、私は部屋を飛び出してしまった。後ろでショートが私の名前を呼んでいるけど、お構いなしに全力で建物を駆けた。駆けて駆けて駆けて、一階に着くとちょうどオジロと綺麗な瞳の女の子が立っていて、私が走って建物の出口に近づいたら、危ないよ!と言って、私がぶつからないよう女の子がドアを開けてくれた。私は外へ飛び出して、どんどん森の方へ駆け寄って行った。辺りはもう暗くなってて、でもどうしたらいいかわからなくてひたすらに駆けた。すると、横からガサガサッという音がしてユキ!と名前を呼ばれた。


草陰から顔を出したのは私の姉さんだった。すぐに姉さんに抱きつくと、今の一族の状態を教えてくれた。あれから随分と経ってしまったから、みんな私が人間に捕まって帰ってこないんじゃないかと心配して、危険を顧みず探してくれていたらしい。私がショートに心を奪われてぬくぬくと過ごしている間にそんなことになっているだなんて。私は自分のことばかりで、なんて無責任なんだろう。情けなくて、悔しくて、なんて愚かなんだろうと思うと再び涙が溢れて止まらなくなった。姉さんは私を強く強く抱きしめてくれた。


泣きながら、轟焦凍という優しい人に二度も命を救われたこと、モモやワカメ、トコヤミ、オチャコ、ツユチャン、優しい人は他にも沢山いたこと、そして、さっきまで考えていたこと、もっとみんなと、ショートと一緒にいたいということを話した。すると姉さんは一筋涙をこぼして、すごく小さい声で、今から言うことは絶対秘密だと前置きして、私にある秘密を教えてくれた。


「人間の、何かはわからないけど、何か一部を身体にとり入れてしまったら、ヒューマンの部分の力が濃くなってしまうんだって。そうなれば夜、月が出ている間しかウサギに戻れなくなるの。つまり、ベースの姿が人間になるのよ。ウサ婆様は教えてくれなかったでしょう?昔、娘さんが命を救ってくれた人間と駆け落ちしてしまったからよ。」

「そう、なの?わたし、人間、なれる?」

「私たちとはもう暮らせなくなるけどね。それでもいいの?」

「……つらい、けど、でも、わたし、ショート、いっしょ、いたい。」

「……わかった。クローバーはショートに食べさせちゃダメよ。記憶がなくなっちゃうもの。私はユキが人間に捕まってしまったのを見たってみんなに言っておく。お父さんとお母さんは、ユキがショートの元に行ってしまったんじゃないかって思ってるみたいだったから、口止めして二人にだけ本当のことを話しておくから。人間の世界は厳しいと思うけど、負けちゃダメだよ。応援してるから。」

「ありがとう……でも、さみしい。」


私がそう言うと姉さんはぽろぽろっと涙をこぼして、私をさっきより強く抱きしめてくれた。姉さんのグレーの毛が少しくすぐったい。


「私も寂しいよ。もう会えないんだよ。辛いよ。でも、ユキの一番の幸せがショートと一緒にいることなら応援するよ。負けるな、ユキ!いつもはやんちゃだけど本当は賢いの、私は知ってるよ。がんばるんだよ。大好きだよ、ユキ。」

「わたしも、ダイスキ!がんばる!」


そして私は姉さんに……いや、私はヒューマンラビットという種族に別れを告げた。お父さん、お母さん、姉さん、兄さん、これから生まれてくるまだ見ぬ弟妹、ウサ婆様、先生、おじさん、おばさん、みんなみんな、さようなら!私は、人間に、なってくる!モモと、ワカメと、トコヤミと、それからみんなと、ショートと一緒にいるんだ!


真っ暗な道を駆けていると、オジロとさっきの女の子が木の陰で手を繋いで星空を見上げているのが見えた。二人はとても幸せそうに笑っていて、私もショートとあんな風に笑いたいと思った。早く、早くショートのところへ戻りたい。


建物の近くに着くと、何度もユキ!と呼ぶ声が聞こえた。ショートの声だ。声のする方に走って行くと汗だくのショートがいて、ぴょんっと飛びつくと私をしっかり抱きかかえてくれた。すると、いつもクールなはずのショートが大きな声で私を叱った。


「ユキ!こんな暗い中どこ行ってた!」

「きゅ……きゅう……」

「……悪い、泣かせるつもりはなかった。心配、した。」


ショートの声に驚いて身体がびくっと固くなった。迷惑をかけてしまった罪悪感や叱られたことへの恐怖で涙がぽろぽろこぼれ落ちた。ごめんなさい、捨てないで。私、ショートのそばにいたいよ。私はきゅうきゅう声を上げてショートにしがみ付いてすりすりと頬擦りをした。ショートの顔を見上げたら、少しだけ穏やかな顔でもう一度、悪かった、と言ってくれた。


建物に入ってからはとても温かいお風呂に入れてもらって、トコヤミから分けてもらったらしい林檎を食べさせてくれた。トコヤミの林檎はとても美味しかった。林檎を食べ終わった後、ショートは私を抱えて一緒に布団に入った。私の顔とショートの顔はほぼくっつく位置にあった。こんなに近くでショートを見るのは初めてだが、これは俗に言うイケメン、というやつだろうか。目を合わせるだけで小さな心臓がトトトトっと早く動いてしまう。


「ユキ、話がある。」

「きゅ?」

「……お前、山に帰りたいのか?」

「きゅ……?」


どうやらショートは先ほど私が出て行ったのは山に帰りたかったからだと思っていたらしい。首を横に振ろうとしたけど横になっているから上手く動けなくて、力なく否定の意味を込めて返事をしたが、今日は意思疎通ができていないみたいで。ショートの口から出た言葉はとても酷烈なものだった。


「やっぱり、山に帰しに行くか……」


ねえ、ショート。ショートは私のことが嫌いなの?なんでそんなこと言うの?私、やだよ。やだよやだよやだよ!ショートとずっと一緒がいいよ!もっとショートの役に立ちたい!また、笑って欲しいよショート!


「お前が…………なら…………のにな…………」


それがショートの本日最後の言葉だった。ショートはすーすー寝息を立てて眠りに入ってしまったようだ。私は悲しくてつーっと涙が出て、ショートの腕を濡らしたくないから、起こさないよう抜け出して自分の寝床に入った。その時、タオルの上にあった私の袋が眩く光っていて、まさかと思って中を覗いたらクローバーの三枚目の葉が光っていて、クローバーはとても肉厚で瑞々しい果実のようなカタチに変形していた。





みっつめ



なんで?どうして?頼むとか言われてないよ。ショートは何をお願いしたの?私が山に帰ること?ショートは私のこと迷惑だった?嫌いだった?





私は、ショートのこと、こんなに、こんなに、ダイスキなのに。








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