帰るところ


「ユキ、起きろ、ユキ。」


ショートが優しくぽんぽんと背中を叩いてくれて目が覚めた。いつもは目覚ましが鳴るより早く起きるのに、熟睡していたのか目覚ましの音に気がつかなかったようだ。ショートは既に身支度を済ませてしまっているようだけれど、今日は制服を着ていない。どこか別のところへ行くのだろうか。


ショートから朝ご飯にともらったニンジンを齧り終えると、彼は私の荷物袋と私をひょいと抱えて部屋を出た。彼の顔を見上げると少し悲しそうな顔に見える。みんなはショートのことをクールだと言うけれど、ショートは表情の変化が小さいだけで感情の動きは豊かな方だと思う。そんな気がするだけで気のせいかもしれないけれど。だから、みんなにとってはこの顔は普通かもしれないけれど、私は心配だよ、ショート。


きゅー、と鳴いたらショートはちらっと私の顔を見た。ショートが私を抱く力が少しだけ強くなった。ショートは早足で進んでたけど、一階の建物の入り口のドアの前でピタッと止まった。


「やっぱり……嫌だ。」


そう呟いて、近くのソファにぼふっと腰掛けた。ショートは私をじっと見ている。何が嫌なんだろう。もしかして、私のこと?私がいるのが嫌ってこと?やっぱりショートは私のことが嫌い?だからそんな顔をするの?


……山に帰った方がいい、のだろうか。私が抱えている袋の中には当初の目的だった、彼の記憶を消すためのクローバーが入っている。これを食べさせさえすれば、ショートのこんな顔を見なくて済むのだ。私にできる最後の恩返し、それは、ショートの悲しむ顔を拭い去ることだ。間違いない。私は袋からクローバーを取り出して口の中に入れると、ショートの腕からぴょんと跳ねてテーブルの上に跳び乗った。


「きゅう!!」

「ユキ、どうした?」

「……ショート、さよなら。」

「お前……言葉……」


ショートの顔目掛けてジャンプしたらやっぱり彼は両手でしっかり受け止めてくれた。そして思い切り首を伸ばして、ショートの口と私の口をくっつけて、自分の口の中にあるクローバーを彼の口内へ運んだ。彼はそれを反射的に咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。終わった、これで、終わりだ。私はショートの手を抜け出して、建物の入り口目掛けて駆けた。ショートはぼーっと座ったまま追いかけてこない。ちょうど汗だくのワカメが外から帰ってきて入り口のドアを開けていたから隙間から外へ飛び出した。


もう誰のところへも帰れない。ヒューマンラビットのみんなとも、モモ、ワカメ、トコヤミ達教室のみんなとも、ダイスキなショートとも、お別れだ。目が熱い、走っているから、涙がぱたぱたと宙に流れる。全部、全部、私のせいだ。元はと言えば、私がみんなに黙って巣穴を出てしまったことが全ての始まりだったんだ。私が悪い子だからこうなってしまったんだ。一族に迷惑をかけて、ショートに迷惑をかけて、自分の勝手で何もかも失ってしまったのだ。私は無我夢中でがむしゃらに駆けて駆けて駆け抜いた。


泣きながら走っていたらいつの間にか学校の敷地を出ていて、山へ帰って来ていた。ショートの手を煩わせずに済んだし、もうここに巣穴を掘って独りで生きていけばいいやと思った。もう生後10ヶ月以上なら、立派な大人だ。きっとそうだ、と思うことにする。元々住んでいた巣穴を見に行くとそこはもうもぬけの殻で。だけど、私のテリトリーだった場所には私の荷物がそのままにしてあった。そこには家族からの手紙が置いてあって、読んだらぼろぼろと涙がこぼれて止まらなくなって、巣穴中に響く大声で泣いてしまった。私は、本当に独りぼっちになってしまったんだ。


少し時間が経ってから目をぐしぐしと擦って辺りを見回すと、ショートと初めて会った時に巻いてもらった布が置いてあることに気がついた。布をぎゅっと握りしめると、ショートのあの笑顔が鮮明に思い出された。でも、ここに彼はいない。


巣穴を出ると外はもう暗くなりかけていた。お腹も空いてきたから、何か食べるものをとってこようと少し歩くことにした。……そして、歩き出して数分後のことだった。





ガシャン!!





「痛い!!」





私はバカなのだろうか。以前と同じ場所で同じ過ちを犯してしまったのだ。痛い、痛い、脚にはギザギザのハサミが食い込んでいる。ウサギの身体では手が届かない。かと言って今ここで人間になったらこの脚がどうなってしまうのかわからない。怖いよ、怖いよ、たすけてショート。


でも、彼が来てくれるわけがない。もう私のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまっているはずなのだ。自分から彼の元を去ったのに、恩返しをしなければならなかったのに、未だに彼に甘えきっているのだ。なんて甘い、愚かな、悪いウサギなのだろう。情けなくて涙が出る。痛いのは脚じゃなくて、心臓の辺り。これが、心、というやつだろう。


しばらくするとガサガサと草むらが揺れて。まさかショートが、と思ったのも束の間。そこから出て来たのは大きな大きなカラス。トコヤミではない、本物のカラス。最悪だ。逃げられない。私は今ここで喰い殺されてしまうのだろう。願わくば、もう一度彼の笑顔が見たかった。この場所で見せてくれた、あの、優しい笑顔を…………





嫌だ、嫌だ、死にたくない!!


ショート、ショート、ショート!!





「たすけて……たすけて!!ショート!!」





そう叫んだ時、目の前のカラスはバサッと大きな音をたてて飛び去った。どうして、と思ったら背後からダイスキな彼の声。





「ユキ、探したぞ。」

「なんで……?」

「お前の帰るところはここじゃねえ。」

「ショート……わたし、おぼえて、る?」

「……?何言ってんだ?」

「クローバー……たべなかった、の?」

「さっきのか?食ったぞ。苦かった。」

「えっ……じゃあ、なんで……」

「話なら帰ったらゆっくり聞いてやる。緑谷も八百万も常闇も、みんなお前のこと探すの手伝ってくれてる。みんな心配してる。ほら、帰るぞ。」


ショートは前と同じように手際良くハサミの仕掛けを解いてくれて、滲みる水で脚を洗って白い布をくるくると巻いて、私を抱きかかえてくれた。


ショートの顔をじっと見つめたけど辺りはもう暗くてどんな顔をしているかあまりわからなかった。だけど、一つだけ確かにわかることがあった。建物を出る前の悲しそうな顔ではなく、口角が少しだけ上がっていることだけは見てすぐにわかった。そしてショートは小さい声で呟いた。


「帰るぞ。俺達の家に。」





帰るところ




昨日寝る前確かに俺はこう言った。


お前がここにいたいのならずっと一緒にいてやるのにな、と。


常闇と仲良くしろっつったのは俺だが、その常闇に抱かれてんのも、緑谷や尾白、口田に抱かれてんのも、見てて胸のあたりがザワついた。


ウサギに対してこんな感情持つのおかしいだろ、って何度も何度も自分に言い聞かせた。


昨日お前がいなくなったときは心底焦った。もしかしたら、お前はずっと山に帰りたいと思ってて、だから山に連れて行ってもらいたかったんじゃねえかと思って寝る前にあんな提案をしたわけだが。


寮を出る前、苦しそうな声で鳴かれて剰えあんなに悲しそうな瞳で見られたら、お前を手放すなんてできなくなっちまった。





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lollipop