ずーっと一緒に
今日は日曜日。天気は快晴。こんな日はお外で絵を描きたくなる。受験勉強の息抜きに久々に絵を描こうかなと思い立ったわたしは先生に外出届を提出して、画材を詰めたリュックを背負って校門をくぐろうとした。すると、背後からざっざっと砂を蹴るような音がして、振り向くと小さなリスザルがわたしのところに駆け寄ってきているところで、こちらに来たと思えばわたしの足元でぴたりと止まってじいっとわたしの目を見つめてきた。リスザルなのに少し目が細い気がする。しかし、なぜ校内にリスザルがいるのだろう。裏手の山から降りてきたのだろうか。


「キーキー!」

「リスザルさん、こんにちは。どうかしたの?」

「キーキー!キキッ、キキキキー!」

「……お腹空いたの?」

「キィ……」


どうやら違うようで、ぶんぶんと首を振りながらしゅんと項垂れている。尻尾もしゅんと垂れて地面を這っている。なんだか猿夫くんに似てるなぁ、なんて思いながらわたしは小さなリスザルを抱き上げた。


「わたし、お外に絵を描きに行くの。あなたも来る?」

「キィー!キキッ!」


尻尾をぶんぶんと振りながら何度も縦に頷いている。心なしかとても嬉しそうに見える。可愛いなぁと思いながらよしよしと頭を撫でて、改めてわたしは学外へと足を踏み出した。





公園のベンチに腰掛けて、銀杏や紅葉の木、遊具や周りの住宅の絵を描いている間、リスザルは特に遊び回るわけでもなくわたしの隣でちょこんと座っていた。その上、絵の方ではなくわたしをじーっと見つめていて。


「どうしたのかな?」

「キィ……キーキー……」

「うーん……ごめんね、何を言ってるかわからなくて……」

「おっ!キミ可愛いねェ。こんなとこで何してんの?」

「えっ?」


後ろから突然男の人の声がして、ぱっと振り向くとサングラスをした男の人と金髪の男の人が立っていた。なんだか、怖い……


「あ……え、絵を、描いて、います……」

「へー!結構上手いじゃん!……ところでさ、息抜きにオレらと遊ばない?」

「あ、け、け、結構です……」

「そう言わずにさァ、ちょっとお茶でもしようよ、ね。あっちに良いカフェあっからさ。」

「あっ!い、いや……」


ガシッと腕を掴まれてしまった。怖くて全然声が出ない。どうしよう、どうしよう。怖いよ、誰か、誰か……



たすけて



そう思ってぎゅっと目を閉じた時、突然パシッと音が聞こえた。左を見ると、リスザルが尻尾で男の人の手を叩いたということがわかった。相手の手が少し赤くなっている。


「痛ってェ!何だこの猿!」

「キィ!!キキッ、キーキー!」

「うわっ!!痛っ!痛ててっ!な、何だよ!?」

「お、おい、行こうぜ!」

「キィー!キキキキッ!」


リスザルは男の人の手に齧り付いて、わたしからその手が離れた瞬間、男の人に飛びついて引っ掻くなり尻尾で叩くなりとにかく暴れ出して、彼等は尻尾を巻いて逃げ出した。といっても尻尾が生えているのはこのリスザルだけなのだけれど。


「キィ……キキキッ、キーキー?」

「うん、大丈夫だよ……ありがとう、猿夫く……あっ、間違え……ん?猿夫くん……?」

「キィ!キキッ!キーキー!」


大丈夫?どこか痛くない?と言われたような気がして思わず、猿夫くん、と呼びかけてしまった。しかしリスザルはブンブンと首を縦に振っている。身振り手振りで何かを伝えようと必死だ。まさか、まさかこのリスザルは……


「まっ、猿夫くん!?もしかして、猿夫くんなの!?」

「キーキー!」


リスザル……もとい、猿夫くんは嬉しそうに尻尾をブンブンと振りながらこくこくと頷いた。


「やだ、すぐに気づけなくてごめんなさい……でも、どうして……?」

「キィ……」

「確か今朝は早朝トレーニングって言ってたよね……その時に何かあったのかなあ……」

「キーキー!キキッ、キィ……」

「えっと、一旦学校に帰ろうか……えへへ、おいで!抱っこしてあげるよ!」

「キィ〜!」


今の猿夫くんは人の言葉を話せないから意思疎通が中々難しくって。荷物をささっと片付けてから、彼をぎゅっと、だけど優しく抱きあげて、わたしは帰路に就くことに。





ひとまずA組の寮に行ってみんなに事情を聞いてみたけれど、誰も猿夫くんがリスザルになってしまったことを知らないようだった。面白半分でからかおうとしてくる人もいたのだけれど、轟くんが、真面目に困ってる人にそれは良くないぞと制止してくれた。どうしたもんかと悩みっぱなしで少し疲れてしまったから、とりあえずわたしのお部屋へ戻ってゆっくりおやつを食べながら考えることに。


「猿夫くん、どうしてお猿さんになっちゃったんだろうねえ……」

「キィ……」

「大丈夫!とっても可愛いよ!えへへ、お猿さんになってもだいすきだよ!」

「キィ……グスッ……」

「ま、猿夫くん!?やだ、どうしたの!?」


猿夫くんはビーズのように小さな涙をぽろぽろとこぼし始めた。クッションに落ちて、濡れた箇所がどんどん広がっていく。どうして泣いてるんだろう。わたしはじいっと彼の目を見つめた。


「どうしたの?どこか痛い?」

「キキィ……」


ぷるぷると首を振る猿夫くん。


「……何か怖いの?」

「キィ……」


こくんと頷く猿夫くん。


「戻れないのが怖い……よね、そうだよね、戻れないと困るし……」

「キキッ……」


猿夫くんはのそりと立ち上がると、とてとてとこちらへ歩いてきて、わたしの膝上にぴょんと乗って、長い尻尾と腕をわたしの腰に回してぎゅうっとしがみついてきた。何が怖いんだろう、と必死に考えを巡らせると、突然はっと思いついた。確か最近読んだ小説に似たようなお話があったっけ。


「……もしかして、このまま戻れなくて、わたしが他の男のひとをすきになる、なんて思ってる?」

「キィ〜……グスッ……」

「やだ、図星?えへへ、大丈夫だよ、ずーっと猿夫くんと一緒にいるもん。お猿さんになっても一緒だよ、あなたは尾白猿夫くんだもの。」

「キィ……」

「他の男のひとをすきになんてならないよ。だって、わたしにはだいすきなあなたがいるもの……」


猿夫くんはまたしてもぽろぽろと涙をこぼし始めた。彼は不安なんだ。自分が元に戻れなくて、わたしが離れてしまうんじゃないかって、そんなこと、考えてるに違いない。わたしは、いつもわたしをたすけてくれる彼のたすけになれないだろうか。どうにかして彼を安心させてあげたい。わたしは彼をぎゅっと抱きしめて、目が合う位置まで彼の身体を持ち上げた。長い尻尾はだらんと垂れ下がっている。


「猿夫くんがわたしのこときらいになっちゃったら、その時は、仕方ないけど……でも、わたしは猿夫くんのこときらいになったりしないよ。ずーっと一緒にいるよ。だから、安心して……?」

「キィ……」

「猿夫くん、大丈夫だよ。記憶がなくても、はなればなれになっても、けんかしても、動物になっちゃっても……ずーっとずーっと、猿夫くんのこと、だいすきだよ……」


わたしの言葉を聞いた彼は自分の腕でごしごしと涙を拭うと嬉しそうにニコニコ笑って尻尾をぶんぶんと振っていた。彼の可愛い笑顔にわたしも嬉しくなって、彼の小さなお口に、ちゅっと触れるだけのキスをした。すると、ぼんっと大きな音がして辺りが煙幕で包まれた。わたしは咄嗟に手を離してしまったのだけれど。


「きゃあ!ご、ごめんなさい!大丈夫!?」

「ん……あっ!も、戻った!良かった!戻れたよ!真!」


わたしはぎゅうっと抱きしめられた。彼の力強さ、温かさ、いい匂い……なんて心地いいんだろう、彼の腕の中にいると安心する……


「猿夫くん、だいすきだよ……」

「俺も大好きだよ……元に戻れて良かった……」

「そうだね!でも、リスザルの猿夫くんもとっても可愛かったよ!」

「……真、どうして俺に気づいてくれたの?」

「えっ?だって、たすけてくれた後に、大丈夫?どこか痛くない?って聞いてくれたでしょ?」

「……わ、わかったの!?」

「うん!それで、ついつい猿夫くんって言っちゃって、あれ?って思ったんだ。ごめんね、もっと早く気づけなくって……きゃっ……」


突然もっと強く抱きしめられた。どうしたの?と聞く前に彼の方から先に言葉が降ってきた。


「動物になってもわかるって前に言ってくれたもんね……俺、すごく嬉しかった……」

「わかるにきまってるよ……だって、だいすきなんだもん……えへへ……」

「真……ずっと一緒にいよう……」

「うん……ずーっと一緒に……きゃあっ!!」


もう一度そっと唇を重ねたのだけれど、またしても辺りが煙幕に包まれてしまった。もくもくと煙が退いたところでじーっと注視してみると、またしても彼がリスザルになってしまっていたのだった。





ずーっと一緒に




「キキィー!?キッ、キキキー!」

「チューしたら変身しちゃうのかな?もう一回チューしよ!」

「キィ……」

「きゃっ!…………戻ったね。」

「……相澤先生のところ行ってきます……」

「行ってらっしゃい!」





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