雨のち晴れ
土曜日、普通科の授業は午前中で終わりだけれどヒーロー科は午後も授業がある。わたしは大好きな彼の帰りを待っていたのだけれど、急に室内が暗くなってきて。お外を見るとみるみるうちに黒い雲が青い空を覆っていくのが見えた。きっと雨が降るのだ。猿夫くんは傘を持って行っていないはずだ。わたしは傘を二本持って、授業が終わる頃合いを見て寮を出た。


校舎の近くまでやってきたら、ぞろぞろとヒーロー科の人たちが出てくるのが見えた。多くの人が傘をさしていて、顔を顰めている人や傘がなくて困っている人もいた。雨が気持ちいい〜!と笑いながら傘もささずに走ってきている人もいた。あれは3年の通形ミリオさんだ。通形先輩は雨も透過できちゃうのかな?なんてことを考えたらちょっぴり微笑ましく感じる。けれど、その笑みもぴたりと止んでしまった。猿夫くんが、ピンクの髪の女の子と相合傘をしながら、歩いて、きたから。その子は、誰?


「……というわけでして!いかがですか!?この傘なら尻尾も濡らさず……」

「う、うーん、でもこうやって肩にかければ……」

「ですから!この傘があればこうして相合傘を……ん?あれは……」

「…………」

「あれっ?真、どうしたの?普通科は午前で終わりじゃ……あ、もしかして、傘……」


二人の言葉なんて全然耳に入ってこない。目が、熱い。


「……うっ、うっうっ……」

「真っ!?ど、どうしたの!?」

「ぐすっ……うっうっ……猿夫くんのばかあっ!」

「あっ!ま、待って!」


……ばかばかばか!いくら猿夫くんが世界一かっこよくって優しくって素敵なヒーローだからって許せないことはどうしても許せないもん!醜い気持ちでいっぱいになってしまったわたしは耐えきれずに、雨が降る中二本の傘をその場で放り投げて校舎とは反対の方向に駆け出してしまった。





「うっうっ……ぐすっ……」


雨はまるでわたしの心を表しているように激しくなるばかりだ。わたしの目から流れる大粒の涙が止まらないのはこの雨と連動しているのだろうか。随分と遠くまで来た。この雨だ、全然人が歩いていない。まるで世界にひとりきりになったような気分だ。雨がまた強まったような気がする。


「寒い……お金、ない……」


お財布もスマホも持たずに学校を飛び出したからか、傘やタオルを買うお金もない。こんなずぶ濡れでどこか建物に入るなんて失礼すぎる。わたしにできることなんて、泣きながら彷徨くことだけだ。


雨はちっとも弱まらず、雨粒が痛いくらいで顔を前に向けられない。下を向きながら知らない道をふらふらと歩いていると、仔猫が公園の遊具の下でぷるぷると震えているのが目に入った。ちょうど屋根のようになっている。わたしもお邪魔しようと近付いたら、仔猫は少しだけ動いてわたしが座る分のスペースを空けてくれた。


「ありがとう……あなたも、ひとり……?」

「にゃぁ……」

「寒いね……寂しい、ね……ぐす……」


仔猫はすりすりと擦り寄ってきた。わたしよりもほんのり温かい気がする。そっと抱き上げて、仔猫を守るようにお腹の上に載せてあげた。わたしの頬をぺろぺろと舐めてくれたけれど、しょっぱかったのか、にぃ!と鳴いてぷいっとそっぽを向いてしまった。


「あ、ご、ごめんね、しょっぱかった?」

「にぃ……」

「震えてる……ごめんね、タオルとかなくて……」


仔猫をぎゅっと抱きしめた時だった。


「真!見つけた!」

「きゃあああっ!!」

「ふにゃああっ!!」

「うわっ!?」


仔猫はびくっと跳び上がって、すたこらさっさと遊具から飛び出して何処かへ逃げてしまった。おそるおそる振り向くと、ずぶ濡れになった猿夫くんが遊具に半身を突っ込んできた。眉は垂れ下がって、尻尾もしゅんと下を向いて、その毛先には水がたくさん滴っている。


「やだ!ずぶ濡れじゃない!風邪引くよ!」

「キミだって!そんなに震えて……!どこか怪我とかしてない!?」

「ひっ!う、う、うん……」

「あっ、お、大声出してごめん……でも、良かった、見つけられて……本当に……」


猿夫くんは身体を縮めながら遊具の中に入ってきた。わたしよりもずいぶん身体が大きいから、彼にとってはぎゅうぎゅうのスペースみたいだ。少しスペースを空けてあげようと動いたら、わたしが逃げてしまうと思ったのか縋るようにぎゅうっと抱きしめられてしまった。彼もわたしもずぶ濡れでとても冷えきっているはずなのに、触れられた箇所から急激にぶわっと熱くなってきたような気がする。


「行かないで……もう、どこにも……」

「い、行かないから離して……」

「嫌だ……」

「狭いかなって……ちょっと動くだけだったから……」

「……わかった……」


猿夫くんは渋々わたしの腰から腕を離してくれたけれど、今度はしっかりと手を繋がれてしまった。信用してくれてないのかな、と思ったけれど、猿夫くんの目に今にもこぼれ落ちそうなほどの涙が溜まっているのを見て、彼が不安な気持ちでいっぱいになっているだけなのは明白だった。ぎゅっと手を握り返して、ぴったりと彼に寄り添ったら、こんなに狭い中でもぶんぶんと尻尾の先を振っていた。こんなに喜んでくれるとなんだかわたしも照れてしまう。


「あ、あの……猿夫くん……」

「真、ごめんね……」

「えっ?えっと……」

「俺が初目さんと相合傘してると思ったんでしょ?」

「う、うん……きゃっ……」


どうやら彼にはお見通しだったようで、こくりと頷いたら思いっきりぎゅうっと抱きしめられた。わたしも彼の大きな背に腕を回したのだけれど、どこもかしこもずぶ濡れのはずなのに触れ合っているところがとっても温かく感じた。


「怒って……ごめんなさい……」

「ううん……いいんだよ……」

「……いつも、ヤキモチ、妬いてばっかりで、ひっ……全然、ぐすっ……お話も、聞かない、から……うっうっ……き、きらわれちゃ……」

「嫌いになんてならないよ!絶対にならない!もっと妬いていいし、不満も全部言って欲しいよ……くっ……ごめん……ごめんね、こんなに悲しませちゃって……」


わたしがあまりにもめそめそ泣いているからかな、猿夫くんも泣き出してしまった。なのに、彼はわたしの心配ばかり。なんて……なんてなんて優しいんだろう。猿夫くんは、どうしてこんなに優しいんだろう。わたしはいつもわがままばかりなのに、彼はいつもいつもとっても優しくしてくれる。ごめんね、ごめんなさい、猿夫くん……泣かないで……


「うっうっ……猿夫くん……」

「何?」

「ぐすっ……あのね……」

「うん……」

「猿夫くん、だいすき……」

「俺も大好きだよ……」


気が付けば唇が重なっていた。周りの空気もお互いの身体もひんやりしているはずなのに、顔が急激に熱くなってきて、ぽっと火が灯ったような気がする。身体が芯からぽかぽかと温かくなってきた。あったかいキス、冷たい身体、すごく、気持ち、いい、かも。


どのくらいこうしていたんだろう、ちゅっと音を立てて唇を離した時、彼とわたしの舌先は透明な糸で繋がっていた。恥ずかしくてちらりと目線を逸らしたら、地面がきらきらと光っていて、遊具の隙間からもふわっと晴れ間が差してきた。心の雨雲を大好きなヒーローに振り払ってもらったから、わたしの流す涙が止んだために雨も止んだのだろう。晴れた青空を早く見たくて、わたしは猿夫くんの手を引いて狭い遊具を出ようとしたのだけれど、もう一回だけ、とネクタイを引っ張られて、ちゅうっと唇を奪われてしまったのだった。





雨のち晴れ




「顔真っ赤。可愛いなぁ……」

「……猿夫くんのばかばか!ずるいよ!」

「えっ!?あ、ま、待って!どこ行くの!?」

「だって恥ずかしいんだもん!ほら、晴れてるよ!早く一緒に帰ろう!」

「う、うん!一緒に帰ろう!」




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