真実の愛
最近、真の様子がおかしい。日中、学校で見かけても何かに心を奪われたようにぼーっとしていることが多いような気がする。近頃、俺が訓練や演習で一緒にいられないことが原因で、寂しがらせてしまったあまりに愛想を尽かされたのではなんて疑念を抱いたりもしたけれど、彼女に限ってそれはないだろうという信頼の方が遥かに大きくてそれ以外の何かが原因だろうと類推する。といっても一つも想定解など浮かんでこないのだが。今宵は久々に彼女と夜を共にする。しかし、彼女の衣服に手をかけるもいつもの恥ずかしそうな様子が全く見られない。


「真……大丈夫?もしかして、俺とエッチするの嫌……?」

「ううん……」

「俺のこと、好き……?」

「うん……」


質問に対する肯定否定くらいは判断できているのだが、心此処にあらずという状態だ。一体何が彼女の心を惹きつけているのだろうか。


「真、何か気になることでもある?」

「うん……」

「俺にも教えてくれる?」

「うん……明日、美術館、行こ……」

「美術館?」


返事はなく、真はすやすやと寝息を立てていた。彼女の心を奪ったのは美術品だったのか。一体どんな美術品なのだろうかとなんだか俺も気になってきた。気持ち良さそうに眠る彼女の頬におやすみのキスをして、彼女をそっと抱きしめて俺も微睡の中へ落ちていった。





学校から歩いて行ける距離にこんな大きな美術館があるなんて知らなかった。美術部員の話によると、先日の活動で真は美術部の先生や部員のみんなと一緒に芸術鑑賞活動を行ったとか。彼女は主に絵画を中心に見て回ったらしい。小さな手を引いて館内の絵画コーナーを見て回ったが、どの絵も繊細かつ優美で、一体ここまで描くのにどれ程の年月を費やしたのだろうかと様々な絵に心を打たれる。そんな中、ある一枚の絵画の前で彼女の足はピタッと止まった。彼女は頬に両手を当てて、じーっとその絵を凝視している。


「この絵が好きなの?」

「うん……」

「……俺にはよくわからないな。どの辺が好き?」

「愛……」

「え?」

「愛が……込められてる……」


絵心溢れる真にはこの絵の作者の愛情が感じられる、ということなのだろうか。何分経ってもこの絵の前から動かない彼女に、どうしたもんかと首を傾げたら、ふと絵の下の名札が目に入った。どうやら作者の名前とご丁寧にアトリエの場所が記載してある。俺はぼーっとしている彼女の手を引いて例の絵が描かれたアトリエへと足を運んだ。


アトリエには何人もの画家がいて、白髭の優しそうな老人があの絵の作者だというもんで、俺は真の様子を事細かに説明した。すると老人は申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「ワシの個性のせいじゃ。申し訳ないのう。」

「ど、どんな個性なんですか?」

「絵の横に説明文があったと思うんじゃが、ワシの創造物は3分以上見つめ続けられると他人の心を奪ってしまうんじゃ。今、この子は他の物への興味を持っとらんのじゃろう?熱心にワシの絵を見てくれたんじゃの……」

「そ、そうなんですね……真は……この子の心は、大丈夫なんですか?」

「うむ、時間の経過を待つか、絵に感じた魅力以上に興味を惹く物や出来事があればすぐに解除できるぞ。」

「時間ってどのくらいですか?」

「それはわからん……彼女がどんな想いであの絵を見つめていたのか……」


このアトリエには様々な人の作品が置いてある。老人に連れられて数多の作品を見せてみたけれど、彼女の心を惹く物はなかったようで。それどころか美術館に戻ろうと何度も訴えてくる。どうしたもんかと困っていると目を丸くした老人が俺にこう尋ねてきた。


「この子は、口が利けるのかい?」

「え?あ、はい、簡単な質問にも答えてくれます。真、チョコレートは嫌い?」

「ううん……」

「チーズは好き?」

「うん……」

「なるほど……お前さん、最近この子に愛の言葉を贈ってやったりはしたかい?」

「え?うーん……最近、っていうかこの子が美術館に行ってから昨日まであんまり会えてなかったから直接言ってないかも……」


思い返せば彼女が例の美術館に行った日から昨日の夜まで、キスをしたり抱きしめたり愛を伝えたりというコミュニケーションがほぼ無かったような気もする。俺が忙殺されていたというのもあるが、こんな状態の彼女が俺を求めて来なかったというのもある。俺は跪いて、彼女の右手をとって、こっちを向いてと乞うてみた。彼女はぼんやりとした表情ではあるが確かにその綺麗な目に俺を映してくれた。続けて、目を大きく開けてくれる?と乞う。すると、少しではあるが彼女は目を見開いてくれた。老人は気を利かせてくれたのか近くにある画材の整備を始めたようだ。


「真、よく聞いてくれる?」

「うん……」

「俺、真を愛してるよ。心の底から、キミが愛しくて愛しくて堪らない。キミに目も心も奪われたあの日から、一日たりともキミのことを考えない日なんてないよ。」

「うん……」

「真、愛してるよ……」

「うん……」


俺が真の頬に片手を添えると、もはや反射反応と化しているのか、真はそっと目を閉じて軽く唇を突き出してくれた。互いの心が愛という絆で繋がっているのは揺るぎない真実なのだと実感して、俺は周りに人がいるのも忘れて彼女の柔らかい唇に触れるだけのキスをした。心からの愛を伝えるために、長く、とても長く、ただ一度だけ。


ちゅっと音を立てて唇を離して立ち上がると、彼女の綺麗な目は俺の動きを追うように下から上へと動いている。少し屈んでじいっと目を合わせてみると、彼女の雪のような白い肌にじんわりと紅がさして、みるみるうちに林檎のように赤くなっていく。そして下を向きながら両手を頬に当てて、人前で……恥ずかしい!なんて言いながら頭を軽く左右に振っている。この恥ずかしがっているときのお決まりの動作、いつもの真、そのものだ。


「真!俺のこと、わかる?」

「え?うん、もちろん!尾白猿夫くん!」

「良かった……真、頭の中、ぼーっとしたりしてない?気持ち悪いところとかない?」

「うーん……ちょっとぼんやりしてるかも?でも、大丈夫だよ、どこも気持ち悪くないよ。どうしたの?」

「ううん……いいんだよ……おかえり、真。愛してるよ。」

「えっと、ただいま?本当にどうしたの?わたしもあいしてるよ。」


縋るように彼女を抱きしめると、今日は甘えん坊さんだねえ、なんて言いながら抱き返してくれた手で背中をとんとんとリズム良く叩いてくれた。人目があることも忘れてキツく強く抱きしめ合っていたら、先ほどの老人がおほんと一つ咳払いをして。慌てて真の身体を離して老人と向き合うと、布で包まれた一枚の小さな絵を差し出された。


「その絵には個性がかからんよう最後の一筆を他人に加えさせたからいくら見つめても大丈夫だよ。速描きで悪いがね、お前さん達を見ていると描きたくて仕方なくなっちまったのさ。」

「ど、どうも。頂戴します。」

「いやいや、いいモノを見させてもらったよ。お嬢ちゃん、ワシの絵を気に入って何分も眺めてくれたのは嬉しいがね、今後は旦那さんの顔と交互に見るようにしなさいな。」

「だ、旦那さん……は、は、はい……えへへ……」


今度は真っ赤な顔で俺の顔をじーっと見たまま動かなくなってしまい、帰るよ?と言ってもうん……と言うだけ、お腹空いてない?と聞いてもうん……、俺のこと嫌い?と聞いてもううん……とだけ。もしかして、今度は俺に心を奪われてしまったのか?なんて冗談めいた自惚れにだらしなく顔を緩めながら、老人に頭を下げて、彼女の手を引き、片手に絵を持ってアトリエを後にしたのだった。





真実の愛




「その絵、なんて題名なのかな。」

「ん?あ、裏に書いてある。」

「どれ?し、真実の愛……えへへ……嬉しい……でも、どんな絵なのかな。」

「布、開けるか…………こ、これは……真、これ俺が持っててもいい?」

「えぇ!?わたしも欲しいよお!ずるい!」


絵に描かれていたのは、跪いた俺が真の右手をとり片手を彼女の頬に当てていて、ふたりで目を閉じて口付けを交わしている姿だった。






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