涙色した輝きの
「えっ、真がまだ帰ってない!?」

「6時には帰るって言ってたんだけど、もう30分も過ぎてて……チャットの返信もないし……」


放課後、砂藤がケーキを焼いて皆に振る舞ってくれた。真が喜ぶだろうと思って余ったケーキを持ってD組の寮に足を運んだのだけれど、どうやら彼女は出かけてしまっており、まだ帰っていないらしい。これまで彼女はたった2,3分でさえ、無言で遅刻することは一度もなかった。彼女はかつて、忘れ物を取りに夜の学校へ行った帰りに通り魔事件の被害に遭いかけたことがある。当時のことを思い出した俺は冷や汗が止まらず、ケーキの箱を彼女の親友に預けてすぐに外出届を出しに行った。





「真ーっ!聞こえたら返事をしてくれ!」


学校を出てからさらに30分が経った。真が連絡もなしに1時間も彷徨くなんてあり得ない。心当たりのある場所は全て探したけれど、彼女の姿は何処にも見当たらない。外はもう真っ暗だ。こんな時間まで外にいて、今頃何処かでたったひとりで泣いているかもしれないと思うといてもたってもいられなくて、俺はがむしゃらに走り続けた。知らない道を何処までも何処までも、周りに人がいない時には尻尾を使って跳躍して、愛しい彼女の姿を探し続けた。


「真ーっ!!」

「こ、来ないで!いやっ!猿夫くんっ!!救けっ……!」

「痛ェ!!このガキ!!大人しくしろ!!」

「痛いっ!!やだ!!やだぁ!!」


今、確かに緊迫した彼女の声と、バシッと乾いた音が聞こえた。現場に駆けつけると、声にならない声で泣き叫ぶ彼女は二人組の男に押さえつけられていた。左頬が真っ赤に腫れていて、苦痛に歪んだ顔で、大粒の涙をぼろぼろと流している。一瞬で怒りが頂点に達した俺は、尻尾を振り回して無我夢中で男達を叩きのめした。仮免は持っているし、襲われた女の子を救けるためだ、個性の使用は認められている。男達は捨て台詞を吐きながらその場から逃げて行った。俺はすぐさま真の側へ行って、身を固くして泣きじゃくる彼女を掻き抱いた。華奢な肩がびくっと跳ね、彼女は縋るようにぎゅうっと俺の服を握り締めた。


「ひっ、あ、あ……」

「大丈夫、もう大丈夫……怖かったね……痛かったよね。ごめんね、俺がもっと早く来ていれば……」


真は声が出せないようで、ぷるぷると首を左右に振っている。けれど、彼女の綺麗な目を見ればその想いははっきりと伝わってくる。彼女の身体をすっぽり抱き隠して、頭や背中を撫で続けた。しばらくして、少し落ち着けたのか、彼女は震えた声で言葉を紡ぎ始めた。


「あ、の人、たち、万引き、してた、の。」

「うん……」

「わ、わたし、店員、さんに、お話、して、あの、人たち、怒られ、てて……」


真は俺の背に腕を回して、ぎゅっと力を入れて密着してきた。大きな胸が押し付けられて、強く速く、心臓の鼓動が伝わってくる。俺は彼女の後頭部に手を回して綺麗な髪を優しく梳いた。


「わ、たし、帰ろう、としたら、お、お、追われ、て……うっ、ひっ……あ、あ……」

「そっか……ごめんね……怖い思いさせて……怪我までさせちゃって……本当に、ごめん……」


真は目も頬も真っ赤にして、か細い声で事の顛末を話してくれた。どうやら逃げ回っていたのを挟み撃ちにされて丁度捕まったところで俺が現れたとか。尻尾で跳躍する音と自分の名前を呼ぶ俺の声が耳に入ったらしく、咄嗟に俺の名を呼んだのだと。


「……他にひどいことされてない?」

「うん……足が速くて、良かったと、思った……」

「うん……頬を叩かれたのは良くないけど、最悪の事態にならなくて良かった……」

「ありがとう……来てくれて、ありがとう……」

「言ったでしょ……いつだってどこだって……」

「駆けつけてくれるって……」


真の身体の震えは止まって、涙で濡れた丸くて大きい綺麗な目は月明かりを反射してキラキラと輝いている。なんて……なんて綺麗なんだろう……涙色した輝きの……まるで宝石のような煌めき……


あまりの美しさに鳥肌が立ってしまった。涙色した輝きの宝石に目を奪われてしまったら最後、一人残らず心までも奪われてしまい、まるで石になったかの如く動けなくなるに違いない。現に、今の俺がそうなのだから。


「ま、しらお、くん?」

「…………!!ご、ごめん!と、とりあえず、寮に帰ろう。友達も心配してたよ。」

「うん……帰る……」


すっかり彼女の虜になっていた俺は、不安気な声で名前を呼ばれてハッとした。傷ついた彼女を早く連れて帰らなくては。俺は彼女を優しく姫抱きにした。首に回してきた腕にぎゅっと力を込め、胸に顔を擦り寄らせてくる彼女が愛しくて愛しくて堪らない。決して彼女を離さないようしっかり抱いて、俺は寮へと駆け戻った。


寮に帰ると真は親友の二人にとても心配され、すぐに頬を冷やしてもらっていた。本当は夜通し側にいたいと思ったが、ここは親友の役目だろう。無事に彼女を送り届けて御役御免だとばかり思っていたのだけれど。


「待って!!やだ!!行かないで……!!」

「わっ!!真……?」


真は縋るように、か弱い小柄な身体で力一杯俺の尻尾に抱きついてきた。とても小さく震えているのがわかる。ちらっと親友の二人に目をやると、困ったような笑顔を浮かべていて。


「真ちゃんの一番の心の拠り所が、尾白くんなんだろうね……なんだかちょっとだけ妬けちゃうな……」

「ま、いーんじゃない?いつもあんなに必死なヒーローにゃ流石に勝てないっしょ。女子にはうちらで伝えとくから、彼氏君、泊まって行きなよ。」

「……わかった、ありがとう。真、俺の部屋がいい?自分の部屋がいい?」

「……わたしの、お部屋がいい。」

「わかった、風呂入って荷物取ってくるから少しだけ待っててくれる?」

「うん……早く、戻って来て……」

「わかった。すぐ戻るよ。」


シャワーでささっと汗を流して、課題や着替えを持って急いで真の部屋へ向かった。部屋では親友が彼女の心のケアをしてあげていて、本当に少しだが可愛らしい笑顔を見せていた。俺と入れ替わって、今は真とふたりきり。よくよく考えたら、あんな目に遭ってしまったら男が怖いと感じるのでは、と手を伸ばせなかったけれど、彼女はそろそろと近寄って来て、俺の尻尾にぎゅうっと抱きついた。


「尻尾、好き?」

「うん……大きくて、あったかくて、ふさふさで、とっても落ち着く……」

「そっか……良かった。ね、俺も真を抱きしめたいんだけど、ダメ、かな?」

「ううん……抱っこ、してほしい……」

「おいで……」

「うん……」


いつものように軽く腕を広げたら、彼女はそろそろと俺に跨って全身でしがみついて来た。やっと心の底から安心したのだろうか、彼女の綺麗な目は再び涙色に輝いた。……キスがしたいだなんて不謹慎だろうか。


「して、いいよ……ううん、してほしい……」

「……えっ!?」

「え?キ、キス、したいって……」

「……俺、声に出してた?」

「う、うん……ふ、ふふっ……」


真はクスクスと笑い出した。安心したのは彼女だけではない。この笑顔を再び見ることができた俺も安心した。彼女から笑顔を奪うという最悪の結果にならなくて、本当に、良かった……


「猿夫くん!?な、なんで泣くの!?」

「あ、いや、真が、笑ってくれたから、安心して……」

「あ……」


彼女は丸くて大きな目を更に丸くして、自身の赤く腫れた左頬にそっと左手を当てた。俺が反対の頬に指を滑らせたら、少し目線を泳がせてから、涙色した輝きの宝石に俺を映してくれた。


「おかえり……」

「ただいま……」


お互い引き寄せられるように、そっと唇を重ねた。初めてキスをした時と同じで、しょっぱい涙の味がした。





涙色した輝きの




「綺麗な目……見つめていると……石になりそうだ……」

「ほ、本当にそんなこと思ってるんだね……は、恥ずかしい……」

「あ、赤くなった。可愛いな……」

「や、やだもう……」

「ね、もう一回、キスしていい?」

「うん、何回でもどうぞ。」


それから涙味のキスを何度も何度も繰り返した。




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