「はぁ……」
「……何か悩み事?」
「先輩……俺、運命の人に出会っちゃったっス!!」
「……うん?」
出勤直後、新人が溜息を吐きながら近づいて来た。ここ最近の彼は事あるごとに溜息ばかり吐いていて。先輩の俺としては心配ではあるところだが、あまり首を突っ込むのも良くないかと大人しく見守っているだけだった。しかし恋患いだったとは。まぁ、俺も愛しい妻のこととなると昔っから周りが見えなくなりがちだったので気持ちは分からなくもないが。
話によると、先日外回りに出ていた時、街で変な男に絡まれていた綺麗な目の女性を彼が颯爽と救けてあげたんだとか。そして彼の運命の人とされた女性はまるで天使や女神といったような慈愛に溢れた美しい笑顔を浮かべて彼にお礼を言ったのだと。彼女がどこの誰なのかはわからないけれど、とにかくその美しい瞳を見たら最後、目も心も奪われてしまったんだとか……まるでなんてもんじゃない、それは絶対俺の妻の話のような気がしてならない。
「……仕事に集中できないくらい夢中なの?」
「ハイ……いや、マジで超美人っつーか、可愛い系っすかね。小さくて守ってあげたくなるような……目もこんなくりくりしてて本当に可愛くて……ハァ……」
もう間違いなく俺の妻の紹介文だ、なんて思っていると、ポケットのスマホが震え出した。画面には今まさに俺の頭の中を支配していた愛する妻の名前が。何か困りごとだろうか。
「あ、もしもし?猿夫くん?」
「真、どうしたの?何かあった?」
「えっと、猿夫くん、お弁当、忘れて行ったでしょ?」
彼女の身に何かが起きたわけではないことにひとまず安堵した。しかし自分の鞄に手を入れてみると、あるはずのものがないことに気がついた。
「…………あ、本当だ。俺、取りに行っていい?」
「えっ?でも外で食べた方が早いんじゃ……?お財布は忘れてないかなって聞こうと思ったんだけど……」
「うーん、俺は真が作ってくれた弁当がいいな。」
「えっ!?えへへ……嬉しい……あ、じゃあ、わたし持って行くよ。お外に行く用事があるから、ついでに。」
「そう?わかった、ありがとう。気をつけて来てね。」
電話を切った後、林檎の如く顔を真っ赤にして、頬に手を当てながら照れ笑いしているであろう彼女の顔が目に浮かんで、思わずくつくつと笑ってしまった。すると新人はセンパーイと低い声で俺を呼んできて、振り返るとジト目で俺を見つめていた。
「ああ、ごめんごめん。」
「先輩はいーっすねー!もう結婚もしてて、しかも奥さんめちゃくちゃ美人だって所長から聞きましたよ!」
「え?あ、あぁ……うん、真は本当に綺麗だし可愛いよ。多分、彼女と関わって好きにならない男なんていないと思うな。」
「うわ!真面目な先輩が惚気るとか……奥さん、気になりすぎます!俺も一緒に待ってて良いっすか?」
「ん?あ、あぁ。けど、あんまり近付かないでくれよ、彼女、怖がりな一面があるから。大声とかも出さないようにね。」
「うす!承知したっす!」
さて、元気よく返事をした新人と共に真を待つこと数十分、突然事務所の電話が鳴り出した。用件は先日救助したお婆さんが無事に退院したらしいのだが、私物を紛失してしまったとのこと。事務所の中を歩いて確認すると、どうやら所長が間違えて持って帰ってしまっていたようで。幸いお婆さんの家は近くにあるみたいなので俺が持って行くことにした。電話を切って、真と入れ違いにならないために、俺は急いでお婆さんの家へと向かった。
というわけで、荷物を渡して事務所へ急いで戻って来た。きっと真が来ている頃だ。事務所の入り口を開けると突然胸の辺りが強い衝撃に襲われた、と同時に俺の大好きな優しくて甘い香りがふわっと漂った。衝撃の原因は愛する妻にほかならない。綺麗な目を潤ませて俺を見上げる彼女は本当に煽情的で、もぎたての果実のように瑞々しい桃色の唇に喰らいつきたくて堪らない。そっと頬に手を添えたところで正面から大きな声が聞こえてきて、彼女は瞬時に俺の後ろへ隠れてしまった。
「ちょっと待ってくださいよー!!俺、貴女のことが……!!」
「いやっ!救けて、まし……テイルマン!」
「えっ?な、何事?」
「先輩!この人です!俺の!運命の人!」
「ちょ、ちょっと!何言ってるの!?わたしの運命のひとはあなたじゃないよ!」
やはり彼の運命の人とやらは俺の妻、真のことだった。彼の恋患いの原因は、この涙色した輝きの、美しい宝石の様な瞳を見てしまったことなのだろう。無理もない、かく言う俺も、彼女に目も心も奪われた数多の男の一人なのだから……なんてボーッとしていると二人から何度も名前を呼ばれていたようで。
「先輩!聞いてますか!?」
「テイルマン!しっかりして!」
「あ、あぁ、ご、ごめん!え、えっと……」
「あっ、お、お弁当!はい!」
「あ、ありがとう、真、来る途中何もなかった?」
「うん、大丈夫……だけど、こ、この人が……」
真は眉を下げて、瞳を揺らしながら俺の服をギュッと掴んでいる。ああ、もう、なんでこんなに可愛いんだ。こんなの俺じゃなかったらとっくに襲われてるよ……なんて思ったら顔も尻尾も途端に熱くなってきた、その時。
「……ん?弁当?真……って、ええええ!?ま、まさか、俺の運命の人って先輩の……!?」
「違うもん!わたしの運命のひとは猿夫く……テイルマンだもん!」
勤務中はヒーロー名で呼ぶようにと夫婦の間で決めているからか、一生懸命俺の名前を言い直す彼女がとても可愛らしくて、今すぐにでも抱き締めたい衝動に駆られる。けど、今は我慢しなければ。夫として愛する妻を、ヒーローとして市民を守ることが俺の責務。私欲を出すなんてもってのほかだ。
「えっと、ごめん。お察しの通り、この子が俺の妻なんだ。」
「ま、マジすか!?俺、ソンケーする先輩の奥さんにナンパなんてなんつー失礼なことを……!すみません!」
「い、いや、いいんだ。真みたいな魅力的な女性ならどんな男でも好きになるさ……」
彼女に心を奪われた男なんて数知れず……俺もそうだが、俺の親友もその一人だったりする。この台詞を言うのももう何度目だ、という感じで思わず軽く笑ってしまうほどだ、なんて思っていると真は俺の後ろからひょこっと出てきて、大きくて綺麗な目を新人の彼に向けた。彼の顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「あ、あの、テイルマンのこと、尊敬してる、って……」
「……あ、は、ハイ!武闘ヒーロー・テイルマン!俺の憧れっす!自慢の先輩っす!俺、テイルマンと一緒に頑張りたいと思って、ここの事務所の採用試験、3回も受けたんですよ!」
「……!!い、良い人だ!」
真はずいっと前に出てくると、キラキラした愛くるしい笑顔を浮かべながら彼の手をギュッと握って機関銃のように喋り始めた。
「や、やっぱりそうだよね!テイルマン、かっこいいよね!うわあ、嬉しいなあ……同期ならチャージズマとかショートとか、他にもたくさん素敵なヒーローがいるんだけど、やっぱりテイルマンがいちばんだよね!えへへ、強くて逞しくて優しくて……本当かっこいいよねえ……」
「真……は、恥ずかしいからその辺で……」
うっとりしながら俺をヨイショする真を静止しようとしたのだけれど、この新人も便乗してきてしまって。
「そ、そーっすよね!?うおおお!!俺、テイルマンの一見普通っぽいけどすっげー真面目で優しくて逞しくて強ぇとこに憧れてるんす!何より努力家なところが本当に尊敬できて……!」
「そ、そうだよね!テイルマンは努力家でいつも精一杯頑張ってて本当に尊敬しちゃうよね、憧れちゃうよね!うわあ、嬉しい!わたし、テイルマンだいすきなの!」
「お、俺もっす!テイルマン、大好きっす!」
真と彼は硬い握手をしながら俺を持ち上げ合っている。何なんだこれは……と恥ずかしくて尻尾を肩に掛けてしばらく毛先を弄っていたら、いつの間にか話は終息していたようで。
「えへへ、たくさんテイルマンのお話聞かせてくれてありがとう!」
「い、いえ!光栄っす!俺も家庭での先輩の魅力を知ることができて嬉しかったっす!あ、良かったら先輩も交えて近いうちに飯でもどうですか?」
「いいねえ!もっとテイルマンのお話したい!ね、今度うちにおいで!」
「え!?い、いいんすか!?やった!!」
なんと家に招待するほどの仲になってしまったようだ。まさかこのまま彼と仲良くなってしまって略奪愛、なんて最悪のオチが待ってるんじゃなかろうかと少し冷や汗が出てきてしまった。はぁ、と今度は俺が溜息を吐くことに。俺の恋患いはきっと何年経っても完治することはないのだろう。
恋患い
「いやー、でもこのまま奥さんと仲良くなってゆくゆくは俺と……なんてことになったら笑えないっすね……」
「うーん、わたし、猿夫くん以外の男のひとを好きになれないから、そんなあり得ない心配はしなくていいよ。」
「……奥さん、結構思ったことハッキリ言うんすね。」
「ああ……妖精とか天使とか……とにかく可愛い見た目してる割に意地っ張りで気が強いとこあるんだよね。」
「……ギャップ萌え、ってヤツっすか?」
「……話わかるね?」
「俺、テイルマンもその奥さんも大好きっす!」