「ばか!もうきらい!」
「き、嫌い!?ま、待って!」
「知らない!もう離婚する!」
「り、離婚!?そ、それだけは勘弁……あ!!い、行かな……」
「さよならっ!」
いつものお出かけ用の鞄を手に持って、バタンと思い切りドアを閉めて、わたしは全速力で家を飛び出した。悔しくて悲しくて涙が溢れてくる。ひどいひどい、猿夫くんのばか。もう絶対許してあげないもん……
ドンッ!!
「うおっ!!」
「きゃっ!ご、ごめんなさい!」
「……おい!!どこ見て……!!テメェは……尻尾の嫁か。」
「あ、え、っと、爆豪、くん?」
泣きながら走っていたから前をよく見ていなくて人にぶつかってしまった。しかし流石ビルボードチャート上位のプロヒーローだ、後ろから突然ぶつかったのにびくともしなかった。驚いて一瞬涙は止まったけれど、爆豪くんを見ているとやっぱり猿夫くんを思い出してしまい、再び視界がぼやけてきた。
「うっ……あうう……」
「ハァ!?ちょ、ちょっと待て……!お、俺が泣かしたみてェだろーが!!泣くなや!!」
「ひっ!う、う、ご、ごめんなさ……」
「おい!!しょうゆ!!コレ何とかしろ!!」
「はぁ?……うおっ、すげー美人!!……って尾白の嫁さんじゃん!!何、泣かしたワケ?こんなん尾白に見られたら……」
「馬鹿かテメェは!!コイツが背後からぶつかってきて勝手に泣き出しただけだわ!!」
しょうゆと呼ばれていたのはテーピンヒーロー・セロファン、つまり、猿夫くんの高校時代のクラスメイトの瀬呂範太くんだった。爆豪くんは私を瀬呂くんに押し付けるとのしのしと歩いて何処かへ行ってしまった。瀬呂くんは少し困った笑顔で、とりあえず話くらい聞くからさ、と言ってくれた。一瞬猿夫くんの悲しそうな顔が頭を過ったけれど、ぶんぶんと首を振って彼の幻影を振り払い、瀬呂くんと共に過ごすことにした。どこか行きたい場所はあるかと聞かれて、わたしは近くの小さな公園を希望した。そして今は公園のブランコに座っている。
「で、何があったワケ?高校の時からあんなにラブラブだったじゃん?」
「……あのね、猿夫くん、テレビの取材で、女のひとに囲まれて、デレデレしてたの。」
「……ほう?」
「お仕事だから、仕方ないのはわかってるよ。でも、嬉しかった?って聞いたら、別に、って言ってた、けど、色、抜け、て、う、う、嬉し、かった、んだって……嘘、つかれて……あうう…………」
「な、泣くなよ〜!ホラ、涙拭きな。」
瀬呂くんは可愛いオレンジ色のハンカチを差し出してくれた。受け取って目に当てると涙がどんどん吸い込まれていく。
「あり、がと……う、う、綺麗な、女のひと、ばっかり、で……わ、わたし、な、んて、い、要ら……」
わたしなんて要らないのかな。
そう言いかけた時だった。
「真!!やっと見つけた……!!」
汗だくになった猿夫くんがわたしのすぐ目の前に走ってきて、瀬呂くんが見ているというのに思いっきりわたしを抱きしめた。その腕はとても震えている。
「やだ!離して!」
「お願い!考え直して!離婚なんて言わないで!」
「いやっ!嘘つくようなひとと一緒にいたくない!」
「う、嘘!?お、俺が真に嘘なんて……」
「色抜けたもん!嘘ついたもん!」
「えっ、ええ!?そ、そんなバカな……!?」
猿夫くんはわたしから腕を離して両手で頭を抱えだした。そして彼はハッと何かを思いついたかと思えば、今度はわたしの両肩をがしっと掴んでわたしの顔をじいっと覗き込んで来た。つい、いつもの癖で目を大きく開けて合わせてしまう。
「お、俺が愛してるのは真だけだよ!後にも先にもキミだけだ!だ、だから、り、離婚なんて悲しいこと、二度と、言わないで……信じて……お願い……」
「ま、しら、おくん……」
猿夫くんはぼろぼろと涙を零し始めてしまった。チラッと瀬呂くんを見たら、困ったような笑顔でハンカチを指差していて。ハンカチを手に取って、いつも彼がしてくれるようにとんとんと涙を拭いてあげたけれど、全然止まる気配はない。
わたしの世界は色鮮やか。彼がきちんと本音で話してくれている証。瀬呂くんは勢い良く立ち上がって、先と同様、困ったような笑顔を浮かべて、ハンカチはまた今度ふたりで返しに来てくれよ、とだけ残して颯爽と去って行った。
猿夫くんは子どものように嗚咽を漏らして泣きじゃくっていた。なんだか可哀想に思えてきて、困ったわたしは立ち上がって彼に向かって両腕を真っ直ぐ伸ばした。
「……おいで。」
「……い、い……の?」
「うん……酷いこと、言ってごめんね……」
「……真っ!!」
「きゃっ!!い、痛っ!!」
「ご、ご、ごめん!!け、怪我してない!?」
「う、うん、大丈夫だよ。」
彼はわたしに思いっきりのしかかるように抱きついてきた。体重をかけられてもわたしの身体じゃ彼を支えきれなくて尻もちをついてしまった。力一杯わたしを抱きしめる彼の背をいつも彼がしてくれるようにとんとん、さすさすと優しく撫でたら少し落ち着いてくれたみたいで。少し身体を離してお互い顔を向き合わせた。よく見ると、彼の細い目はほとんど開いていないんじゃないかってくらいに目の周りが腫れていた。
「取り乱してごめん……」
「ううん、わたしの方こそ、ごめんなさい。」
「……真、俺と、もう、一緒にいるの、嫌?」
「ううん、そんなことないよ……」
「俺のこと、嫌い?」
「ううん……だいすき……」
「離婚は……?」
「……しない。」
そう告げると彼はぱあっと向日葵が咲いたような笑顔になって、凄い力で思いっきりわたしを抱き寄せた。
「真……好きだよ……大好きだよ、真……」
「うん……わたしも、だいすき……傷つけて、ごめんなさい……」
「ううん、俺が真に酷いこと言わせるようなことをしちゃったから……真は悪くないよ。ごめんね……」
ふたりでぎゅっと抱きしめあって、少し落ち着いてから今度はお互いブランコに座ってお話を続けることにした。
「あのさ、俺が嘘ついたのってどの言葉だった?」
「えっと……嬉しかった?って聞いたら、別に、って答えたでしょ?その時に色が抜けたから、わ、わたしなんかより綺麗なあのひとたちの方が……」
「あっ!!」
「きゃっ!?」
わたしが話している途中で彼は大きな声をあげたもんだから、わたしは驚いて叫んでしまった。彼は真っ赤になった顔を片手で隠している。
「そ、そういうことか……」
「えっ、な、なに?どうしたの?えっ?やっぱり嘘つい……」
「ついてないついてない!俺が愛してるのは真だけ!他の女性に興味なんてないよ!」
彼は林檎のような真っ赤な顔でわたしの顔を真っ直ぐ見据えながら想いをぶつけてきた。けれど、わたしはまだ全然理解が追いついていなくて。少し不安で、首を傾げたら彼はすぐに口を開いて先の件についての説明をしてくれた。
「……ってこと。だから、色が抜けたんだと思う……ごめん、不謹慎だったね……」
「そ、そうなんだ……」
彼曰く、嬉しかった?と聞くわたしが膨れっ面で拗ねたような素振りをしていて、ヤキモチを妬いてくれているのが可愛くて愛しくて、とにかく嬉しいと感じてしまっていたらしい。だから質問内容には、別に、と答えたはずなのに、気持ちはわたしの嫉妬心に対して喜んでいたから、嬉しいという感情のこもった言葉になってしまい、わたしの世界が色を失くしたというわけだ。
「真、俺のこと、信じてくれる……?」
「うん……あ、あんなに泣かれたら流石に、その、あ、あ、愛されてるなあ、なんて……」
「当たり前でしょ……10年以上一緒にいて、一度だって目移りしたこともしようと思ったこともないよ……」
「そ、そう、なんだ……」
「むしろ、誰かに真を取られないか心配で目を離せないくらいだよ……」
「と、とられないよ!……わ、わたし、猿夫くんしか、す、すきに、なれないもん……」
「真……」
「……きらいなんて言ってごめんね。本当は、いちばん、だいすき、だよ……」
「……ありがとう。」
彼がまたつーっと涙を流したから、ブランコから降りて、彼の前へ移動した。いつも彼がしてくれるようにハンカチでとんとんと涙を拭いて、目尻にちゅっとキスをしてあげたら、再びぱあっと向日葵が咲いたような笑顔を見せてくれて、尻尾でぎゅっと抱き寄せられてしまった。
離婚騒動
「ね、猿夫くん、今日どうやってわたしのこと見つけたの?この公園、来たことないでしょ?」
「あー……いや、爆豪から電話があったんだけどものすごい怒鳴り散らされて……」
「えっ?ば、爆豪くん?」
「うん、『尻尾テメェ!!女の躾がなってねェぞ!!大通りのうどん屋あたりでしょうゆにお守りさせてっからさっさと引き取りに来い!!』、だって。」
「……し、しつけ……お守り……彼、わたしのこと何だと思ってるんだろう……」
「なんだかんだで良い奴だとは思うけどね……何にせよ、離婚騒動は二度と御免だよ……」