至福の時
今日の猿夫くんは少し様子がおかしい。浮気とかそういう類のおかしいじゃなくて、むしろ真逆。いつにも増して私に対してデレッデレというのが正しい。外では立派な武闘ヒーロー・テイルマンとして活躍しているのに、家ではとっても甘えん坊。こんな彼の姿はきっとわたしだけが知っているのだろう。


お仕事から帰ってきた彼はお風呂もご飯も急いで済ませて、わたしを後ろから抱きしめて首元に顔を埋めている。


「はぁ……癒される……」

「そう?少しでも疲れが取れればいいんだけど……」

「真と一緒にいるだけで吹き飛ぶよ。」

「本当?それならいいんだけど……」

「ん……」


そんな彼を他所に読書を続けていると、小さくため息が聞こえた。どうしたの?と少し振り向いたら眉が下がっていて、チラッと尻尾を見るとしゅんとしたように垂れていて、とてもしょんぼりしている彼がいた。心配になったわたしは本を閉じて、彼と向き合った。じーっと顔を見ていたら、彼はボソッと呟いた。


「……俺、邪魔?」

「え?そんなことないよ?」

「でも、集中できなくない?」

「うーん……猿夫くんに抱っこされるのは好きだから、大丈夫だよ?」


猿夫くんはきっと寂しかったのだろう、今度は正面から思い切り抱きしめてきた。わたしもそっと彼の首に腕を回して抱き返したら、尻尾をぶんぶん振っていた。とても喜んでくれているのがわかってわたしも嬉しくなってしまう。読書はいつでもできるから、今は彼の疲れを癒してあげることに徹したいと思って、彼の頬にちゅうっと唇を押し付けた。


「……もう一回。」

「えへへ、いいよ。」


もう一度、頬にちゅうっと唇を押し付けた。


「……もう一回。」

「何回がいい?」

「してもらえるなら何回でも。あと、出来れば口がいい。」

「うん、いいよ。」


わたしは猿夫くんの両頬を掌で挟んで、何度も何度もちゅっちゅとキスをした。何度か繰り返していると、後頭部に優しく手を添えられて、ちゅーっと長いキスになった。しばらく長いキスをして顔を離すと、彼はニッコリ笑顔になっていて尻尾も元気にぶんぶんと動いていた。けれども、少し身を捩らせて大きな尻尾にぎゅうっと抱きついたら、元気に動いていたはずの尻尾は何故かぴたっと止まって、毛先が下を向いてしゅんとしてしまって。


「あれっ?嫌だった?ごめんね。」

「あっ!違うんだ、う、嬉しいんだけど、えっと……」

「うん?」

「だ、抱きつくなら、尻尾より身体にしてほしいな、なんて……」

「そっか。今日は甘えん坊だね。」

「尻尾に抱きついてもらえるのも好きなんだけど、やっぱり抱きしめ合いたいって思うんだよね……」

「それが甘えん坊ってことだと思うんだけどなあ……」


もう一度身を捩って猿夫くんの身体にぎゅうっと抱きついたら再び尻尾をぶんぶん振って、ニコニコしながらわたしをぎゅうっと抱きしめてくれた。もう何年も一緒にいるはずなのに、何度抱きしめあっても胸が高鳴らないことがない。いつもいつも、まるで初めて抱きしめ合った時のように、お互いの心臓の鼓動はとても激しくて、お互いの匂いが、体温が心地良くて、溶け合って混ざってひとつになってしまいそうで。たとえ永遠でもこうしていられる……ううん、このまま、時間よ止まれ、なんて願った事は数知れず。


「このまま、時間が止まればいいのにね……」

「うん……俺もそう思ってた……」

「すき……猿夫くん、だいすき……」

「うん、俺も大好き……はぁ……本当癒される……」

「えへへ、嬉しいな……」


ふたりで過ごす甘くて優しい穏やかなこの時間は彼にとって何よりの癒しで至福の時。それはわたしも同様で。熱くなった顔をチラッと彼の方に向けると、彼の顔も赤くなっていた。ふたりして林檎みたいって呟いて、お互い恥ずかしさをごまかすようにもう一度強くぎゅうっと抱きしめ合った。彼の頬に自分の頬をくっつけてすり寄せると、ゆらゆらと揺れていた彼の尻尾はとても早くぶんぶんと動き出した。付き合い出した頃から全然変わらないこの尻尾の動きに思わずクスクスと笑いが出てしまう、と同時に彼がゆっくり口を開いた。


「……もう、10年以上一緒にいるのにさ、付き合い出した頃から全然変わらないんだよね。」

「えっ?何が?」

「真の一挙手一投足にどきどきしちゃうところがさ。本を読んでる時も、眠っている時も、ただ座ってぼーっとしてる時でも、何をしててもしてなくても、可愛くて可愛くて仕方ないんだ。」

「……今日は本当に甘えん坊だね。」

「ん……甘える俺は嫌い?」

「ううん、すきに決まってるよ。わかっててきいてるでしょ?」


猿夫くんもわたしも付き合い出した頃のことを考えていたみたい。でも、昔のわたしはいつも彼に甘えていて、甘やかされていて、彼がわたしに甘えてくれることはあまりなかったような気もするわけで。もっと甘やかしてあげたいと思ったわたしは一旦彼から身体を離して、膝立ちになって両腕を前に伸ばした。


「おいで。」

「えっ?……い、いいの?」

「……これ、すきでしょ?」

「じゃ、じゃあ、遠慮なく……はぁ……至福だ……」


彼はわたしの胸に顔を埋めてすりすりと頬擦りをしてきた。身長が低めで身体の小さいわたしは自分のこの大きめな胸をコンプレックスに思っていたけれど、彼が本当に幸せそうにわたしの胸にすり寄ってくるのを見ていたら、大きくて良かったなあ、なんて思ったりもする。自分の複雑な感情をこんな風に解してくれる彼の存在が本当に愛しくて、ありがたくて、思わず彼の顔を胸に押し付けるようにぎゅうっと抱きしめてしまう。先と同様、このまま時間が止まればいいのにな……なんて思いながら、真っ赤な顔でわたしの胸元でんーんー言ってる彼の頭を優しく撫で続けたのだった。





至福の時




「んー!!んんん!!」

「うん?どうしたの?」

「ぷはっ!はーっ、はぁっ、真!お、俺、窒息するところだったよ!」

「えっ!?ご、ごめんなさい……!」

「つ、妻の胸で至福に浸って窒息死するヒーローなんてダサすぎるよ……」

「ご、ごめんね、もう胸に抱きつくのは禁止、ね?」

「そ、そんなぁ!!それだけは勘弁してくれ……」





back
top