笑顔を見せて
愛する妻と連絡がつかなければ夫としては気が狂いそうなほど心配になるわけで。今日の出張は必死の頑張りでなんとか夕方には終わらせて一足先に帰ることができた。真は優しい子だから、俺に迷惑をかけてしまったと思い込んでしまうかもしれないからそのことは秘密だが。


慌てて帰宅したものの、玄関に愛しい妻の姿はない。名前を呼んでも返事がなくて、家中を探し回っていると寝室で俺のシャツを着てぬいぐるみを抱きしめながらシーツを濡らして眠る真がいた。傍らにあるスマホの画面は粉々になっている、連絡がつかなかったのはコレか……


すぅすぅと寝息を立てていて、時折か細い声で俺の名前を呼んで眠る真があまりにも可愛くて、眠っているのに悪いと思いつつもそっと唇を重ねてしまった。すると彼女はゆっくりと目を開けた。


「…………」

「……真?大丈夫?何があったの?」


真はぽやんとした表情から一変、カッと目を見開いたかと思うと、じわじわと目に涙を溜め、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。


「……!!ま、ま、猿夫くん!!う、うう、うわああああああん!!」

「何があったの!?こんなに目を腫らして……」


少し苦しいと感じるくらい思いきり抱きつかれてしまった。ここで俺はある異変に気がついた。優しく抱きしめ返すと、彼女の身体がびくっと跳ね、ガタガタと震え出してしまったのだ。もう一度、何があったのかを尋ねようとしたが、どうしてここにいるのかを先に聞かれたため素直に質問に答えることにした。


「今日、泊まりは先輩だけになってね、俺は日帰りできそうだから帰るねって連絡しようとしたんだけどメッセージに既読つかないし電話しても繋がらないし……もう気が気じゃなくて慌てて帰ってきたんだ。」


真は再び謝ろうとしたが、俺はそれを遮った。そして何があったのかを聞こうとし、彼女が話し出そうとしたところで突然口元を押さえて凄い勢いで俺の前から一瞬で消えてしまった。慌てて追いかけるとトイレで嘔吐している様で。一瞬妊娠が頭を過ったが、もしそうならこんなに泣いたり怯えたりしないはずだ。ひとまず背中を撫でようと触れたらパシッと手をはたき落とされてしまった。しかし彼女は心底傷ついた様な顔をしている。心優しい彼女のことだ、と察すればやはり彼女の口からは謝罪の言葉。再びそれを遮って俺は背を向け尻尾を彼女の方へ差し出した。


「ご、ごめ……」

「尻尾。」

「えっ……?」

「さっきから俺の目見ないし、もしかして男が怖いのかなって。だから、尻尾、いくらでもぎゅってしてもいいからさ。昔から不安な時は俺の尻尾に抱きついてたでしょ?」


少しキザかな、と照れて頬をかいたら、彼女は丸くて大きい綺麗な目からぽろぽろと涙をこぼし、俺の尻尾に無我夢中でしがみついてきた。尻尾の先で優しく頭を撫でたら本当に少しだけだが可愛らしく笑ってくれて、あまりの可愛らしさに思わず尻尾を振ってしまった。彼女が可愛らしい笑顔を見せてくれるよう安心させてやることが今の俺の最優先事項なのだ。


それから少し話をして、ただいまのキスをした。抱きしめたいと言ってみたが、彼女は俯くとびくっと身体を跳ねさせて再び泣き出してしまった。ひとまずハンカチを渡して、なんとか落ち着かせたくて俺はリビングへチョコを取りに行き、彼女にチョコを食べさせると案の定少し落ち着きを取り戻してくれた様で。チョコを食べている間は至福と言わんばかりのとても可愛らしい笑顔を見せてくれて胸の高鳴りが全く抑えられなかった。


俺がシャワーを浴びている間もずっと脱衣所の前で泣きそうな顔で待っていた。一体何が俺の大切な可愛い妻をこんなにも傷つけたのだろうか。触れようと手を伸ばすだけで後退りをする始末。傷つけたくない、怖がらせたくない、早く安心させてやりたいだけなのに、触れることもままならない。


「ごめんね、俺、どうしたらいい?何かできることある?」

「ご、ごめん、なさい……」

「何も悪くないから、謝らなくていいんだよ。それより、何かしてほしいことある?」

「あ……う、うん、あの、わ、わたし、その、急に触られるの、怖くて……あの……」

「……うん、おいで。」


つまり自分から来ること、予め触れることを伝えればいいということで。俺は真に真っ直ぐ手を伸ばした。彼女は震えた手で、だけどしっかりと俺の手を握ってきた。手を繋いでふたりで一緒にリビングへ行って、冷蔵庫にあったもので適当に食事を済ませた。彼女はひとりで風呂に入るのを怖がっていたから俺も一緒に入り、寝る準備を済ませて再び寝室へと足を運んだ。


「眠れそう?」

「……目を瞑ったり、シーンとすると怖くなるの……」

「そっか……じゃあ、安心するまで話する?」

「猿夫くん、疲れてるでしょ……?わたし、大丈夫、だよ、えへへ……」


こんな時でも俺に気を遣ってくれるなんて……しかし、無理をしているのは明白だ。笑顔が引きつっているのだから。抱きしめてやりたいけれど、また怖がらせてしまうかもしれない……しかし先程は手を繋ぐことはできたっけ。


「……手、繋ごっか。抱きしめるのは怖いかもしれないけど、手繋ぐのはどう?」

「繋ぎたい……」

「良かった、はい、どうぞ。」

「うん……えへへ、おっきくて、あったかいなあ……」


今度はいつものふわりとした柔らかい笑顔を見せてくれた。彼女が少しでも安心してくれるなら何よりだ。しかし、事の真相は何もわからないままだ。このままにしておくのはどうも歯痒いけれど、真の心の傷を抉るわけにはいかない。


しばらく俺の今日の仕事のことや次の休みはどこに行こうかとか色んなことを話していたら、彼女が俺の方に身体を擦り寄らせてきた。そして、だっこ、と小さく呟いてきた。そっと優しく小さな背中に手を添えると、俺の知りたかったことをぽつりぽつりと話し始めた。





「…………でね、それでね、わたし、パニックになって、スマホ投げちゃったの……ずっと黙っててごめんなさい……」


黙って話を聞いていたが、件の変態に対して殺意にもとれるような激しい憎悪が俺の中に湧き上がった。俺の可愛い妻になんてことを……彼女の笑顔を奪った変態を見つけたらこの尻尾でボロ雑巾のようになるまで引っ叩いてやりたいところだ。しかしそんな怒りの感情は決して表に出すべきではない、彼女はそんなことを望んでいないだろうから。とりあえず、身を固くしている彼女の背をゆっくり撫でて話の続きをすることに。


「ううん、仕方ないよ……ごめんね、俺、何もできなくて……」

「う、ううん!そんなことない!猿夫くん、早く帰ってきてくれたし、ずっとそばにいてくれるし、わたしが何も言えなくてもちっとも怒らないし、さっきも手叩いちゃったのに……痛かったでしょ?ごめんなさい……」

「ううん、大丈夫。真の可愛い笑顔が見れるならどんなことでもへっちゃらさ。」

「うっ、うぅ……ぐすっ……ま、猿夫くん、わたし、猿夫くんのこと、だいすき……」

「ありがとう、すっごく嬉しいよ……俺も真が大好きだよ。」


ぎゅうっとしがみつくように抱きついてきたから、抱きしめていい?と声をかけて承諾を得てから俺も彼女を少し強く抱きしめた。彼女はしばらくぐすぐすと泣いていたが、互いの愛を言葉にし合っていると次第に顔色が林檎のような可愛い赤色に変わっていき、最終的にはいつもの可愛らしい笑顔を見せてくれた。


「猿夫くん、いつもありがとう……テイルマンはわたしの最高のヒーローだよ……」

「それめちゃくちゃ嬉しいな……真もいつもありがとう。その笑顔が見れるならどんなことも頑張れるよ……」

「や、やだ……恥ずかしい……」

「可愛すぎる……あ、おやすみのキスしてもいい?」


やっと笑顔を見せてくれたしきっと安心できただろう、真を寝かしつけたら俺も寝るか、と思っての発言だったのだが彼女は何故か首を縦に振らなくて。無理もない、きっとまだ怖いのだろう、と思ったがその想像はとんだ思い違いで彼女の口からは想像だにしない大胆な発言が飛び出したのだった。





笑顔を見せて





「……猿夫くんが、その、つ、疲れてないなら、エッチ、したい……」

「……!?い、いいの?いや、俺としては大歓迎だけど、その、怖くない?」

「怖い、かもしれないけど……今は猿夫くんのことだけでいっぱいになりたいの……だいすきなあなたのことだけ考えたい……」

「…………あ、っと、よ、喜んで……じゃ、じゃあ、その、キス、していい?」

「うん……優しくしてね……」


あまりの可愛さに見惚れてしまい、俺は石になってしまったのだろうか、一瞬呼吸が止まってしまった。





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