一緒にいてね
まずい。非常にまずい。真が本気で怒ったのを初めて見たかもしれない。いつもなら、嫌い!とか、ばか!とか、怒っていても可愛らしいだけなのに。今日はとても冷え切った目で見られた上に、二度と近づかないで、と冷たく吐き捨てられ、思わず腰が抜けてしまい尻尾で身体を支えなきゃ倒れてしまうところだった。というのも全て俺が悪いのだろうけど。


「尾白、真ちゃんが演習場の近くでわんわん泣いてんの見たぞ!声かけたら走って逃げちゃったけど……」

「上鳴か……うん、ちょっと誤解されちゃってね……」

「えっ?尾白が原因?それともまた勘違い?」

「いや、今回は完璧に俺が悪い……」

「何したんだよ……」

「実は……」



***



時は昼休みに遡る。一つ下の学年の女の子が階段から落ちそうになっている場面に遭遇してしまった。その子の第一印象はとても真にそっくりだった。大きな目や胸、小さな身体。違ったのは林檎の髪飾りがないことくらいで。よく見ていなかったために完全に彼女を真だと思っていた俺は、無事で良かったと呟きながらその子を抱きしめて、あろうことか額にキスをしてしまったのだ。ところが正面からよく見れば全然違う顔立ちをしていたわけで。その子からはビンタされるわ、それを見た普通科の男子に噂を広められて真からフられるわでもう散々な目にあった。


後ほど例の女の子のクラスに行って、真の写真を見せながら事情を説明すると叩いたことを謝ってはくれたものの、肝心の真とは今も拗れたままだ。例の女の子が彼女に話しかけてくれようとしてみてはくれたものの、わたしと彼はもう何の関係もないから!と聞く耳を持ってはくれなかったようだ。



***



「それは……まぁ、よく確認しなかったお前が悪いな。」

「うん……俺も焦ったよ、まさか知らない子に……それに、真が本気で怒ったらあんな風になるとは……」

「そんなに怖かったん?」


それはもう怖かった。けど、怖かったのはその態度はもちろんだが、あるもう一つの理由。


「……俺の見間違いじゃなければ、目が白くなってたような気がする。」

「えっ?真ちゃんの?あの真っ黒な目が?」

「ああ……どうしよう、俺が傷つけたせいで……真……」

「うーん、流石に門限までには帰って来るんじゃね?D組の寮で待てば?俺、付き合うよ、友達もいるしさ。」

「上鳴……ありがとう、そうしようかな。もう一度、話をしてみるよ。」


上鳴の後押しもあって、俺はどうしても彼女に謝りたくて、仲直りしてほしくて、すぐにD組の寮へ行った。さて、時刻はすでに20時を過ぎた頃だが、いくら待てども真は一向に現れない。部屋から出てこないだけなのかも、と思った俺は女子に頼んで呼んでもらおうと思ったが、どうやらやはりまだ帰ってきていないようで。念のため、と上鳴と二人で演習場の周りを探したけれど見当たらない。電話をしても出ない。流石におかしいと思った俺達は先生に知らせに行くことに。事情を話したらすぐに相澤先生とマイク先生が監視カメラを確認してくれたのだが、つい10分ほど前だろうか、彼女の姿がかなり外れにある森のような場所の入口のカメラに映っていたのだが。


「……!?何だこいつら……オイ!部外者じゃないか!?」

「……追いかけて行ったのか?マイク、ちょっとカメラ戻してもっと近づけろ。」


見知らぬ3人組の男が映っていた。もう一度、同じ場面を拡大してゆっくり再生した。すると、明らかに彼女は涙を流しつつ何度も後ろを振り返りながら走っているのがわかった。最初の映像では足が速すぎてわからなかったのだ。真が、真が危ない!!


「あっ、尾白!」

「おい!待て!お前一人で……」

「お、俺も行く!」

「チッ……探すなら合理的にやれ。マイク!ハウンドドッグを連れてこい!」


もう一刻を争うであろう、こんな時にじっとしていられるはずもない。おそらく人生でこんなに全力を出して走ったことはそうそう無い。尻尾が邪魔だと思ったのは初めてだ。早く、早く行かないと!





森に着いた俺は無我夢中で彼女を探し回った。どれだけ名前を呼んでも返事はない。尻尾を使って木々を跳ね回っても彼女はいない。どうしよう、どうしよう、もし、彼女が襲われでもして、心に深い傷を負ってしまったら……下手をしたら、追い詰められて……だめだ、悪い考えばかり浮かんでしまう。そんなことを考える余裕など無い。俺は一度動きを止めて耳を澄ませた。


ゆっくり歩いていると、洞穴のような場所を見つけた。中に立ち入ると女の子が泣き叫んでいる物凄い悲鳴が聞こえた。考えるより先に身体は動いていて、気がついたら彼女に纏わり付く男達が全員大怪我を負って気絶するまで尻尾で殴ってしまっていた。もはや服とは呼べないボロボロに破けた布を身に付けた彼女に近づいた。ぎゅっと目を閉じたまま自分の身体を抱きしめてガタガタと震えている。


「真。」

「……!!あ……!………っ……!!」

「大丈夫、もう大丈夫だから。」


彼女はぱくぱくと口を動かしているけれど、うまく声が出ないようだ。抱きしめてもいい?と問い、こくこくと首を縦に振ったのを確認してから小さな身体をぎゅうっと抱きしめた。彼女の震えは止まってくれない。まさか、まさか、彼女は……


「……俺、間に合わなかった?」


ぷるぷると顔を左右に振っている。不幸中の幸いとはこのことか。想定した最悪の事態は免れていたようだ。


「ここに隠れてたら見つかった?」


今度はぶんぶんと顔を縦に振った。つまるところ、ここに隠れていたら見つかってしまい、辱められる寸前で俺が救けたというところか。


「……帰ろう。ふたりで、一緒に。」

「……ご…………い……」

「ううん、俺の方こそ。傷つけてごめん。でも、あの子にもちゃんと説明したよ。ごめんね、大切な彼女と別の女の子を間違えちゃうなんて彼氏失格だ……」


抱きしめる力を強くすると、ガタガタと震えた腕をそっと上げて俺の背に回してくれて、小さな掌で背中をとんとんと叩いてくれた。


「許して、くれる?」

「……………………う。」

「……キミは本当に優しい子だね。一緒に、帰ってくれる?」

「………ん………る……」

「うん、あ、これ、着て。」


俺は着ていたシャツを脱いで彼女の頭からすぽっと通したのだが、体格差が現れてまるでミニワンピースのようになってしまった。彼女がゆっくり腫れぼったい目を開けたら、そこには涙色に輝く綺麗な漆黒の宝石が。どうやら俺の見た白真珠のような目は見間違いだったのだろうか。彼女は何かを言いたそうに口をぱくぱく動かしている。俺はじっと注視してその意図を汲み取った。


「……ん?上半身裸なんて男は別に気にしないよ。そんなことより真の方が大事。ほら、もう行こう。こんな危険なところ、早く出るよ。」

「あ、あの…………」

「うん?」

「な、んで……来て……くれた、の……?」

「好きな女の子を救けに来ないわけないでしょ?」

「で、も……わた、し……」

「もういいから、ね。ほら、早く帰って一緒に寝るよ。今夜も離してあげないからね。」

「……うん……一緒に、いる……」


姫抱きにして、額にちゅっとキスをすると少しだけ顔を綻ばせてくれたことにほっとした。真を抱いて森を抜けると、上鳴にハウンドドッグ先生、相澤先生、マイク先生がやってきた所だったが、一人で先走ったのをこっ酷く叱られてしまった。けれどそんな俺を真が力一杯守ってくれた。自分の不注意が原因だから、と涙を流しながら必死になって訴えてくれ、真のためにも早く寮に帰れと促された。上鳴は先生達と先の暴漢を拘束しに行くから先に帰れとのことで。俺は彼女を抱いて帰り、夕食も風呂も就寝も、全ての時間、片時も離れずふたりで一緒に寄り添って過ごしたのだった。





一緒にいてね




「あの……ひどい態度とってごめんなさい……それから、来てくれて、ありがとう……」

「ううん、俺が悪かったから真は謝らないで。それに、約束したからね。いつだってどこだって救けに行く、って。」

「……ずっと、わたしの、ヒーローで、いて、ね。」

「もちろんだよ……真も、ずっと一緒にいてね……」

「うん……ずっと、一緒にいる……」




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