夏のある夜のこと。D組のみんなで校舎内で肝試しをしようということに。先生からの許可は事前にもらっているらしい。わたしは後ろの席の男の子とペアで、今まさに真っ暗な夜の校舎を歩いている最中。彼の手元のランプだけを頼りにわたしはすいすいと歩いて行く。だってお化けなんて信じてないんだもの。
「統司、その、こ、怖いなら、て、手を……」
「えっ?わたし、怖くないよ。だって校舎内に変な人はいないし、お化けなんていないし……」
「えっ?あ、ああ、統司って意外と肝が据わってるタイプなのね……とほほ、折角クラス1可愛い統司とペアなのに……」
「あっ、あれかな?」
理科室の奥にある飴玉を取る、というのがミッションクリアの条件で、わたしは飴玉を掴んで入り口へ戻ろうとしたのだけれど突然背後から叫び声が。
「ぎゃあああああ!!ででで、出たァァ!!」
「えっ!?あっ、待っ……!!ど、どうしよう……」
ランプを持っていた男の子が走って理科室から出て行ってしまったのだ。仕方ない、手探りになっちゃうけれど歩いて戻ろう……わたしはひとりで理科室を出て、壁に手をついて月明かりを頼りに真っ暗な校舎を歩いた。実はわたしは方向音痴なところがあって、なかなか下の階へ行けずにいたけれど、かなり歩き回ってやっと階段へたどり着いた。踊り場のところは光が入らないから慎重に行かないと、と思った時、下の階から狼のような獣の吠える声がした。
「ひゃわああああ!!」
咄嗟にすぐ近くの教室のドアを開けたのだけれど真っ暗で何も見えない。とりあえず適当に歩き回ったら教卓にぶつかったのでその中に隠れることにした。廊下側の窓を注視していると何か獣のようなものがグルルと鳴きながら歩いていることに気がついた。この学校はセキュリティ万全で変質者なんて入ってこないはずだし、お化けなんてものもいないはずだ。なのに、なのに。なんなんだ、あれは……
「ふっ……ぐすっ……!」
怖くて泣きそうになったけれど、自分の口を掌で覆って声を出さないように堪えた。怖い、怖い、怖い、どうしよう、たったひとりであんな怪物に立ち向かわなければならないなんて。怖い、怖い……身体はカタカタと震えてしまい、こんな状態では逃げるのもままならない。どうしようもなくて、わたしは自然にぽつりとこう呟いた。
「たすけて……テイルマン……」
すると、ガラッと教室のドアが開く音がした。怖くて堪らなくて、身を縮めて息を殺した。あの怪物が入ってきたのだろうか、それともD組の誰かだろうか。ぎゅっと目を閉じていたら突然誰かに肩を触られた。怖くて叫ぼうとしたけれど、相手の声を聞いた瞬間、恐怖心はすぐにどこかへ飛んでいった。
「こんなところにいたんだね……心配したよ……」
「……!!ま、猿夫くん……来てくれたの……?」
彼の額が月明かりに照らされて光っている。汗をかいているんだろう。つまり、寮からここまで走ってきてくれたのだ。
「うん、見つけられて良かった。早く帰ろう、みんな心配してる。」
「だ、だめ!」
「わっ!」
わたしは猿夫くんの身体をグイッと引っ張って教卓の下に押し込めた。ふたりでぎゅうぎゅうになってしまったけれど、彼にぎゅっと抱きついて状況を説明した。
「あのね、校舎の中にね、狼みたいな怪物がいるの。グルルって鳴いててとっても怖いの……」
「狼?怪物?」
「うん、だから居なくなるまでここでじっとしてた方がいいと思うの……」
「……くくっ、真、それ、違うよ。」
「えっ?でも、わたし見たもん……」
「大丈夫だよ。ほら、怖いの怖いのとんでいけ……」
猿夫くんはまるで小さい子をあやすようにわたしの頭を撫でて、額や頬にちゅっちゅとキスをしてくれた。それから彼はわたしをぎゅうっと抱きしめ返して言葉を続けた。
「真が聞いた声や見た影はね、ハウンドドッグ先生のものだよ。」
「……えぇ!?あ……確かに、言われてみれば……狼は二足歩行しない……」
「D組の男子がね、真を置き去りにして来たって慌てて俺に言いにきてさ、もう俺、いてもたってもいられなくてすぐ校舎に来たの。真、暗いのあんまり得意じゃないでしょ?で、警戒中のハウンドドッグ先生がいたから、一緒に探してくださいって頼んだわけ。」
「そ、そうだったの……なんだあ……驚いて損した……」
「もっと早く見つけられれば良かったんだけど……怖い思いさせてごめん……」
「そ、そんな!猿夫くんは何も悪くないよ!来てくれて、すごく嬉しい……」
「真……」
「猿夫くん……」
見つめ合って、彼がそっとわたしの頬に手を添えた。目を閉じて、唇への柔らかい感触を待っているとガラッとドアが開く音がした。パッと振り向くとそこにはハウンドドッグ先生が立っていて、わたしは後頭部を猿夫くんの顎にぶつけてしまった。
「ッ……!痛っつ……!」
「きゃうっ!ご、ごめんなさい!!」
「い、いや、いいよ……はぁ……」
「グルル……統司……無事か……」
「はっ、はい!あ、あの、お、お手数おかけして申し訳ありません……」
「構わん、これも仕事の内だ。しかし夜ももう遅い。高校生がこんな時間に外にいるもんじゃない。早く寮に戻れ。」
「はい!あの、ハウンドドッグ先生、ありがとうございます……」
ハウンドドッグ先生に近付いて頭を下げると、先生はわたしの頭をわしわしと優しく撫でてくれた。先生は怒ると怖いけれど、普段は生徒想いのとても優しい先生だ。
「うむ……それから尾白……」
先生は猿夫くんの近くに歩いて行って、ぼそぼそと何かを耳打ちしていた。
「……彼女が愛しい気持ちはわからんでもないが、あからさまに発情するな。」
「発っ……!?お、俺は決してそんな……!」
「匂いでわかるんだ。」
「……!?お、俺、そんな匂いします……?」
「僅かだがな……あまりがっつくなよ……」
「がっ……!?そ、そんなことは……!」
二人は話し終わるとこちらへ歩いて来て、先生はまだ巡回を続けるからふたりは早く帰りなさい、と残して再び廊下を歩き出した。わたしは猿夫くんのスマホのライトを頼りに手を繋いで寮まで歩いて帰った。
別れ際にD組の寮の前でおやすみのチューをして、彼を見送ってから建物に入ろうと思っていたのだけれど、なんだか彼と離れるのがとても怖く感じた。だんだん小さくなっていく彼の背中とは反対に、わたしの不安はどんどん大きくなっていってしまって。彼を追いかけて、背後からぎゅうっと抱きついてしまった。
「うわっ!ど、どうしたの?」
「あ、あの、なんだか、まだ、怖くて……一緒に寝ちゃ、だめ?」
「断るわけないでしょ……どっちの部屋がいい?」
「えへへ、猿夫くんのお部屋がいい!荷物持ってくる!」
「うん、じゃあまた迎えに行くから準備できたら電話してね。」
「うん!ありがとう!」
それからすぐに準備を済ませて、彼のお部屋に着いてからすぐにふたりでベッドに横になった。ぎゅうっと強く抱きしめられて、怖いの怖いのとんでいけ、と囁かれ、背中を優しくとんとんと叩かれているうちにいつの間にか微睡の世界へ落ちてしまっていたのだった。
怖いの怖いのとんでいけ
「すぅ……すぅ……」
「安心してくれてるのかな……良かった……」
「すぅ……怖いの……怖い、の……すぅ……とん……で、いけ……」
「……俺はキミがいなくなることが一番怖いよ……」
「ん……ずっと……いっしょ……」
「……!うん……ずっと一緒に、ね……」